菊さんと、

 久しぶりに上司からの呼び出しも無し、他国からの無理難題な要求も無し。
 本当の休日が何週間ぶりかに漸く訪れて、私は朝から小躍りしたい気分になった。

「今日のスケジュールは真っ白だ!一日完全にフリーだ…やった…」

 自分の国で一日のんびりと過ごせるなんてなんて嬉しいのだろう。
 いつも呼び出しが掛かると何十時間もの時間を費やして外国に赴かなければならないので帰ってくる頃にはへろへろになってしまっているのだ。
 昨日もアルさんに呼び出されて二日連続アメリカに赴いてヒーローとは何かをパレードを交えて延々と聞かされた。
 いや…ね、流石に知り合いとは言え、パシリ扱いされるなんて私にとってはこの上ない迷惑なのですが。
 しかも何のパレードだったのかも分からなかったし。マシューさんに助けを求めてもあの人も楽しんでたし。
 私にも都合ってものがあるし、時にはこうして部屋でのんびりしたい衝動に駆られることだってあるのだ。
 毎日呼び出し喰らってたら私の身が持たないぞ、こんちくしょうめ。

さん、さん、いらっしゃいますか?」
「ふえ?はーい、少々お待ちをー」

 思いだしたくない日々の疲れを感じていた時、ドアを叩く音がした。
 私の部屋を訪れる人はそれほど多くはない。大体電話で呼び出されるし。
 誰だろう?と疑問符を浮かべて玄関へ急ぎ扉を開けると、そこには着物を着た黒髪の青年が立っていた。

「あれ、菊さんじゃないですか。どうかしたんですか?」
「買い物のついでに寄ったんです。あとアーサーさんからのお届け物です」
「アーサー氏から?」

 そう言って手渡された紙袋の中身を見て、ああ、と納得する。
 何かとんでもないお菓子でも寄こしたかと一瞬思ってしまったが、中身はいつも頂く紅茶の詰め合わせの箱だった。
 そう言えば頼んでいたのすっかり忘れていた。後で電話しなければ。
 どうして菊さんに渡したのかは分からないけれど、きっと出会った時に渡してくれとでも言われたんだろうなあ。

「態々ありがとうございます。上がりますか?」
「いえ、むしろさんに私の家に来ていただきたいのですが…」
「え?」

 菊さんから呼び出すなんて珍しい。いつも私が勝手にお邪魔するのに。
 何だろう、と首を傾げると、菊さんが凄く小声である事を呟いた。

「実は…」
「…!!なんと、是非行かせていただきます」
「それは良かったです。早めに支度して下さいね」
「もちろんですとも!二分でしてきます!」

 丁度何処かに散歩に行こうとしていたので、用意するものは直ぐに用意出来た。メモ帳に筆記用具、それにデジカメ…うん、完璧。
 今からにやけそうな顔を引き締めるように頬を叩き、扉を開ける。
 そこにはさっきと変わらない菊さんが立っていて、急ぎましょう、と微笑んで拳を握り締めた。
 普通の人ならどうして?と首を傾げるのだろうが、私は同じ様に拳を握り締める。
 いざ行かん―楽園へ。

「それにしても買い物の途中だったのによく気が付きましたね?」
「一旦帰ったんですよ。そしたらああなってたので…是非さんを呼ばねばと思って荷物を持ったまま来てしまったのです」
「なるほど…有り難う御座います」
「いえいえ、いつもお世話になってますから」

 にこにこと微笑み合う私達。でもその足並みは尋常じゃない速さだった。
 端から見ると変人に見られそうな気がするけれど、ぶっちゃけて言うとよくある事なので近所の人は見向きもしなかったりする。
 そうして数分後、息も切らせていない煌々とした表情で私達二人は菊さん宅に着いたのである。
 今の勢いなら短距離走だって世界新記録狙えそうな予感がする。だって走ってなくてこの速さだもの…長距離はちょっと無理かもしれないけど。

「それではいざ行かん…聖地へ」
「同上…生きて帰ってくる事を祈ります…」

 びしっと二人揃って敬礼をし、そっと玄関の引き戸を開ける。
 物音を立てずに得意である忍び足で目的の場所に辿り着くと、周囲の確認及び戦闘態勢に入る。
 そして目標の確認。…OK、目標確認。
 菊さんが目で合図をする。私もそれにこくりと頷き、ゆっくりと戸を開けて部屋に忍び込んだ。
 あとは思いのままに―デジカメのシャッターを切る!

 今この小説を読んでいる方にはなにがなんだかさっぱり分からないであろうからここで補足説明をしておこう!
 私、そして本田 菊さんは大の二次元ヲタクであり同士であり、常に萌えを求める者だ。
 萌えがある所には車もびっくりな速さで移動し、その情景を頭に刻みつけるようにじっくりと拝む。
 常に妄想をしている(らしい)菊さんにはまだまだ敵わない私だけれど、出来るだけお手伝いもする。
 菊さんが締め切りで死にそうになっている時は全力で助太刀し、何度も美麗原稿を拝ませていただいた。
 そして私が萌えに飢えている時はこうして萌え補給を兼ねて一緒にデジカメを握り合うのだ。
 と言う訳で今宵(まだ昼だけど)のターゲットは…菊さん家に押しかけて現在爆睡中な眉毛ことアーサー氏と空気が読めないアルさんだ。
 この組み合わせは菊さんの家でよく遭遇するので萌え補給がしやすい。
 喧嘩した後に二人で寝ている様はなんだこのギャップ萌え!ちきしょう!とごろごろと転がりたくなるくらいだ。
 いつもは見せない可愛らしい一面をバッチリとデジカメに記録し、生でもその姿を拝む。

「…ふふふ、堪りませんね」
「同感です。禿げ萌えてしまいます」

 によによと熟睡中の二人を見つめながら私と菊さんは手を握り合った。
 きっと菊さんの中では新刊の妄想が繰り広げられているに違いない。修羅場にならない事を祈るけれど、きっと無理なんだろうな…また生原稿見に来なくては。
 私もなにか本でも出せたら良いんですけど、生憎と美術の成績は破壊的に悪い。
 その割には器用だったりするのでトーン貼り付けたり修正とかしたりして菊さんのアシスタントをたまにしたりする。
 あとはネタの提供とか…。絵の方は専ら菊さんが担当しているので残念な仕上がりにならないのがまた良い。
 そんな感じで菊さんと私は意外と仲が良かったりするのだ。以上解説終わり!

「…さて、そろそろ二人も起きてしまいそうですし、今回はこの位にしておきましょうか」
「そうですね、いっぱい写真撮れましたし、満足です」
「それは良かったです。ついでに晩御飯食べていきますか?」

 菊さんの問いに満面の笑みで頷いた私は、何事も無かったかの様にデジカメを鞄の中へと戻した。
 流石に菊さん以外の人前でこんな姿を見せる訳にはいかないからだ。
 菊さんも同様にデジカメをすばやく懐に隠し、買い物袋を提げて台所へと向かっていく。
 私は何か手伝えることは無いかなあ、と菊さんに着いていこうとするが、ゆっくりしていってください、と微笑まれて大人しくしている事にした。
 アーサー氏とアルさんは私達の事に全く気が付いておらず、未だに夢の中だ。
 その寝顔を頬杖をついてじっと眺めつつ、私は至福の一時を過ごした。

 ふわふわと甘辛い良い香りが漂ってきた頃に目を覚ましたアーサー氏とアルさんは私が居る事にびっくりしていたけれど、直ぐに運ばれてきた菊さんの手料理に目が輝いていた。
 彼らは気付いていないのだろう、自分の寝顔写真が目の前の二人にばっちり撮られていることを。
 それに気が付く事は…多分ない。

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オタクな菊さんがとても好きです。そして原稿に追われている菊さんがもっと好きです。

[2009.07.12]