ルート氏と、

 世話になったな、と言われて頭を下げられ、私はぴしりと数十秒固まった。
 いつもは威厳に満ち溢れているのに、こんな雑用係とも言える下っ端に頭を下げるとは思ってもみなかったのだ。
 はっと我に返り慌てて手を振ると、ルート氏は少し戸惑ったように顔を上げた。

「やはり礼はきちんとしておかねばならないと思ってな…」
「そんな畏まらなくて大丈夫です!お構いなく…」
「しかし兄さんが迷惑掛けただろう?」

 そこまで言われて以前ルート氏の家に行った時の事を言っていたのだと知る。
 あの時初めてルート氏の兄であるギルベルト氏にお会いし、可愛らしい沢山のひよこと戯れたのだ。
 その後膝枕されてうっかり二人して昼寝してしまい、ルート氏に見つかってしまった時の何とも言えないあの空気はいつまで経っても忘れはしない。
 迷惑掛けたと言われればそうなのかもしれないが、私的にあんな至福な一時を過ごす事が出来て嬉しかったとも思っている。
 普段動物と戯れる事が少ないし、あったとしても菊さんの所のぽちくん位だからだ。小動物飼うのも悪くはないけど、それ以上に仕事が忙しいので世話が出来ないのが現状。
 もっとのんびりしたいのは山々なのだが、国に仕えている以上それは仕方ない。
 ふるふると首を横に振り、私は苦笑してルート氏に最後の書類の束を手渡した。

「私も楽しかったですし、逆に迷惑掛けましたから…お相子って事で」
「…はぁ、すまないな。兄さんにはまたちゃんと言っておく」
「いえいえ、…それよりも珍しいです」
「?」

 書類に目を通しつつルート氏が顔を上げる。その表情には疑問符が浮かんでいて、また珍しいなあと私は呟いた。
 いつもルート氏と話す時は専ら仕事の話ばっかりだ。
 それ以外の世間話などは二人きりで話した事が一切無い。それはもうルート氏と出会ってから一度も。
 二人きり以外の時はフェリシアーノさんや菊さんが場を繋いでくれるので話が弾んだりする。フェリシアーノさんが居れば仕事の話すらしないのがいつもの事だ。
 逆にフェリシアーノさんが居ない時は菊さんもルート氏も真面目な性格なので仕事の話ばかり。仕事が捗るのは良いが何処か気まずいのが本音だったりする。
 そしてそれはルート氏と二人きりの時も同様で、話が続かないと私自身凄く不安になるのだ。怒ってないかなあ、とか、邪魔じゃないかなあ、とか。
 いつも厳つい顔をしているので世間話をするのも戸惑ってしまうし、どう話を切り出せばいいのか分からない。
 そんなおろおろと慌てふためいていた(でも表には出さない)私を救ったのは他でも無い、ルート氏だった事に驚いたのだ。
 その事をルート氏に伝えると、そうだったか?と首を捻り記憶を掘り起こしているように空を見上げた。

「確かにこうしてお前と対話したことは無かったな…」
「はい、…正直普段話しかけ辛いので」
「…すまん」

 自分でも自覚はしているらしく、ルート氏は頭を抱える。私は否定する事が出来ず(だって本当の事だし)、視線を横にずらした。
 会議室とは違う、こじんまりとした部屋。両サイドにぎっしりと本が詰まった埋め込み式の本棚。中央に横長のソファと長めのテーブル、そしてそれの向こうに大きな窓と沢山の書類が積み上げられたデスク。
 各国の人たちに呼び出される部屋は大体こんな仕事部屋か、呼び出した人の自宅だ。基本的に上司に会うとき以外は自宅に呼び出しをされるが、重要な話がある時はこうして態々仕事場までお邪魔する。
 流石に自宅にまで押し掛けて仕事の話をするのは個人のプライベートを邪魔しているようなものだし、私もそんな事されればきっと怒る。
 でも大体の人は来訪を喜んでくれたりするので、その行為に少しばかり甘えたりする事もしばしばあったりなかったり…。
 ルート氏の自宅にお邪魔するのもそれほど少なくはない。けれど部屋の間取りを把握するくらいに深入りした事もないので、ギル氏に連れられて個人の部屋に入ったのはあれが初めてだ。
 いつもは入ってもリビング止まりだし、玄関で少し話して帰ったり、なんて事もしばしばある。
 …ルート氏の自室が気にならないとは言い切れないけれど、自分の家(マンションの一室)に比べると天と地ほどの豪華ぶりがちょっとだけ羨ましかったりもする。

「なら今するか?」
「え?」

 ふいに投げかけられた言葉に反応出来ず、私はぽかんと口を開けた。
 考え事をしていた所為で話が上手く理解出来ない。ええと、どう言う話をしていたんだっけ。

「世話話という奴だ」
「ああなる程…、え?」

 ぱちぱちと目を瞬かせて座っているルート氏を少しだけ見下ろした。
 面と向かって話をするのは気まずいよねー、なんて話をしていた事ははっきりと思いだしたのだが、ルート氏がそんな事を言い出すとは全くと言いて良いほど思わなかった。
 さっきからルート氏の新たな一面に毎回驚いている自分が居る。だって本当に珍しいのだから。
 これでまた一歩国の皆さんと仲良くなれたのかなあ、なんて思うと嬉しい事この上ない。友好関係は広く長く続けた方がいいですもんね。
 こくりと頷いて近くのソファに座り、さて何から話そうかと口を開いて…止まる。

「…でもそう言われると何を話せばいいか困っちゃいますよね」

 何か話題を…と口を開くが、浮かぶのは仕事の事ばかり。流石に菊さんと話すネタや萌えの話をルート氏にする訳にもいかないし…。
 きっと話すのが下手と言われれば下手と答えるのだろう。フェリシアーノさんみたいに沢山話題がある訳でもない、うざいと言われるまで喋り続けるなど…私には不可能だ。
 嗚呼、なんてつまらない人間なんだろう。もっと社交的に色々な話を喋る事が出来ればいいのにな。口を開けたら毒吐きそうだけど。

「…ふむ、なら、お前は昨日何をしていた?」
「私ですか?…うーん、昨日は菊さんのところに遊びに行って、アルさんを隠し撮りして原稿の手伝いをして…」
「隠し撮り?」
「あ、いえこっちの話です、お気になさらず」

 思った傍から言っちゃいけない事を口走ってしまい、慌てて手を振った。
 ルート氏は呆れた様子で、逮捕される事はするなよと呟いたが、その問い掛けに私は曖昧に返事するしかなかった。
 うん、多分きっと大丈夫なはず。万が一見つかったとしても説得すればきっとアルさんも許してくれる…はず!
 眉尻を下げて困ったように笑い、私は自分の話よりも、と口を開いた。

「ルート氏は昨日はどうしてたんですか?」
「フェリシアーノに呼ばれていた」
「ああ…。お疲れ様です」
「本当にな」

 おかげで寝不足になった、とルート氏は続けて溜め息を吐く。
 見た限りではいつもと変わりないと思っていたが、やはり少し眠いのか目を細める回数が多い気がする。
 そんな状態でも仕事をするルート氏は本当に真面目だなあ…。私だったらぶっ倒れるか仮病使って休…いえ、なんでもないです。
 眠たいなら席を外した方が良いのかな、と心配してルート氏に視線を向けると、困ったように苦笑した。

「大丈夫だ、いつもの事だからな」
「そうですか…?なんだかいつかぶっ倒れそうで怖いです」
「全くだ。自分で言うのもなんだがな」

 それでも嬉しそうなのは数少ない友人の為に身体を張れるからだろうか。
 時々国々の皆さんに憧れを抱く事がある。こんな風にお互いを信頼しあって力を貸し合う事が出来るから。それも国境を越えて。
 私はそれほど仲の良い友人は居ない。きっと居たとしても上辺だけの付き合いなんだろう。
 お互い腹の内を探り合う事しか出来ない、利用するだけの友人。そんなの、居ない方が良い。
 作り笑いをする事が嫌でこの職に飛び込んでしまったのだが、ここでも少なからずその嫌な探り合いは続いている。
 人間として生まれてきた故の性か、相手に人格がある限りそれは仕方の無い事なのだろう。
 きっと国々の皆もそういった醜い争いを垣間見てきたに違いない、そして自らもそれをしてきたに違いない。
 それでも、私は国々の人たちに憧れを抱く。人間よりもその姿は純粋に見える所為だろうか。それとも、まだどす黒い裏の顔を見ていない所為だからか。

?お前こそ平気か?」
「はい、大丈夫ですよ。それはもう今から国を跨いでも良い位に」
「そうか…なら付いてくるか?」
「ふえ?」

 変な考え事を彼方へと葬り去って、私はぽかんと口を開ける。
 怒りと呆れと混乱…そんな感情が混ざり合った何とも言い難い表情のルート氏が握っていたのは携帯電話で、どうしてそんな表情をしているのかは次に発せられた言葉で納得した。
 多分私はこんな風に呆れるほど構ってくれたり、構いたい人が居なかったから憧れてしまったんだろうなあ、と思いながら私は席を立った。

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何か話題を…と頑張ろうとしても根が真面目だと空回り。そんな二人。

[2009.08.24]