あのこと、

 ふわふわ、そよそよ。
 白くぼかしが掛かったあたたかい世界。
 そんな場所で、わたしは佇んでいた。

「…?」

 きょろきょろと辺りを見回しても、何処までも続く綺麗なお花畑があるだけ。
 雨など降る気配のない真っ青な空を見上げ、そして溜め息を吐いた。

 よくある事では無いのだが、時々こうして見知らぬ場所で意識が浮上することがある。
 けれどこの世界は現実のものではなくて、私が眠ったあとに訪れる世界―つまり、夢の中の出来事。
 妙にリアルなそれは起きた時にも鮮明に記憶に残っていて、まるで夢ではない様に思えてしまう。
 否、大半は…夢なのに、夢じゃなかった。

 夢の中で知り合いが出てきたりする事があるのは誰しも経験したことがあるのだろう。
 けれど私の場合、全く知らない人物が登場する事が多い。
 それは架空の人物だと断言してしまえばそれまでなのだが、ある時すれ違ってしまったのだ。その、夢の中の人物と、街中で。
 夢はそのほとんどが自らの記憶の中の欠片を繋ぎ合わせて創り上げられる。
 もしかして何処かですれ違って、その小さな欠片が夢に現れたのかもしれない。そう思って軽く受け流そうとした。
 けれど夢であってほしい事は夢では無くて、別の夢に出てきた上司の知り合いが…夢の中の名前と一文字一句全て同じだった。
 その人にはその時初めて出会ったし、上司もその時になって知り合いの事を話に出したと言う。
 知りえる筈のない人物なのに、その人の事を私は知ってしまっていたのだ、夢の中で。

 それからと言うもの、誰かも分からない人に出会ったり、子供の頃の同級生が出てきたり、夢の中なのに話しかけられたりもした。
 最近は忙しくて夢を見る機会が無かったけれど、以前見た夢でアーサー氏とアルさんの幼少時代が出てきて頭が痛くなったのをよく覚えている。
 あの時は本気で二人とこれからどう接していけばいいのか悩んだものだ。結局いつも通り接しているのだが。

「…さて」

 今日はどんな人が出てくるのだろうか。
 そよそよと風が通り抜ける音が耳を掠めるが、それ以外の音はしない。
 人の気配さえ感じさせないそれはいつもリアリティに溢れている。
 けれど夢の中の出来事だからか、瞬きをひとつ、した瞬間に存在しなかった筈の人影がぽつり、と浮かんだ。
 色とりどりの鮮やかな花たちに囲まれている中に影を落とすそれは私よりも大分小さい影で、ぽかりと穴が開いた様に真っ黒な色をしていた。
 羽織っている布が風に揺られて靡いているのか、ゆらゆらと黒は形を変える。
 ふと、私の存在に気が付いたのか、その影がゆっくりとこちらを振り向いて―私は固まった。

「…るー、と氏?」

 黒に身を包んだ小さな姿、頭をすっぽりと覆う帽子もまた黒い。
 ちらりと見える髪は金髪で、瞳は綺麗なスカイブルーだ。
 その姿は先日出会ったルート氏にそっくりで、ルート氏を小さくしたらこうなる!と言ってしまえる程に似ている。
 子供にしては大人びた目つきで、ルート氏のそっくりさんは私を見据えた。

「どうしてここにお前のようなものが存在しているんだ」
「…え?」

 問い掛けられた言葉に唖然として、私はその子供に歩み寄ろうとしていた足を止めた。
 言葉の意味が、よく理解出来ない。どう言う事なのだろう?
 まるで私が存在してはいけないと拒絶されているみたいで、少し胸の奥が痛んだ。

「ここはお前が居ていい場所じゃない、早く帰るんだ」
「…と、言われても…。ここって私の夢の中じゃないんですか?」
「…」

 ぽすん、と花の絨毯に座りこんだ私に、子供はふるふると首を振る。
 そして私に近付いて、子供らしからぬ神妙な表情で黙りこんだ。
 こうして近くで見ると益々ルート氏に似ている。やっぱり何かしら関係があるのだろうか…。前にアーサー氏とアルさんの例があるし、ルート氏の幼少時代だと考えるのが一番妥当かもしれない。
 それにしても、子供の頃からこんなに大人びた表情をする子は初めて見る。
 国なのだから私達人間とは比べものにならない位歳月を重ねているのは理解出来るけれど…それでも以前アントーニョ氏に見せて貰ったフェリシアーノさん達の幼少時の写真では人間と変わらない年相応の表情をしていたはずだ。
 他の皆さんも小さい頃は少なからずあどけなさを残した可愛らしい表情をしていた。
 なのにこの子はどうだろう。ちらりとしか見ていないからなのかも知れないが、子供のあどけなさは一切見受けられない。
 まるで大人の人格が子供の身体に入り込んだような、違和感。それが目の前の子供に対する印象だった。

「…そう思っているなら好きなようにすれば良い。その代わり、あまりここから動かない方が良い」
「どうして?」
「消えるぞ」
「え。…そんな、大人をからかわないでください」
「なら何処へでも行けば良い」

 消えてもしらないけどな、と含み笑いをされて、少しだけ背筋がひんやりとした。
 もの見たさに行ってしまいたい、と身体が疼きそうになるが、流石に自分の命が掛かっているらしいので止めておく。
 だって行って本当に消えてしまったら私の人生がここで終了してしまうからだ。それはちょっと御遠慮させて頂きたい。私だってまだやりたい事の一つや二つや三つ…。
 …考え込めば込むほどぽこぽことやりたい事が浮かんできて、自分はまだ現世に沢山未練を残しているんだなぁとしみじみと思ってしまった。

「あの、それよりも聞きたい事があるんですけど…」
「なんだ」
「えと、貴方は…ルート、氏…ですか?」

 ぽつりと言い淀みながらも、私は子供に問い掛けた。今やり残している事はこの疑問。
 この疑問を解消する前に消える訳にはいかない。
 子供は目を細めて何かを考えているのか、少し時間を開けた後に首を振って口を開けた。

「俺は神聖ローマだ。それ以外の名前はない」
「しんせい、ろーま、…。…そうですか」

 何かを言い掛けた口はそのまま何を紡ぐことなく閉口し、私は黙りこんだ。
 神聖ローマ。流石に歴史を勉強していない私でも分かる言葉。
 様々な国家が集まって出来たとされるその帝国は古代ローマ帝国の後継を称していた。
 けれど実際には神聖ローマ帝国はローマに無くて、そしてその帝国は今から何世紀も昔に―…。
 そこまで考えて、私はそれ以上思いだす事を止めた。これ以上歴史の事を思い出しても目の前に居る子供とどう接したら良いのか分からなくなるだけだ。
 黙り込んでしまった事に何かを察したのか、神聖ローマさんは私の頬をそっと触って、小さく笑った。

「俺は平気だ。お前が心配することはない。あるとすれば、それは元の場所に帰る事だけだ」
「…すみません、気を使わせてしまって」
「構わない。それよりも、お前はイタリアの匂いがするな」
「え?」

 その言葉を呟いた神聖ローマさんはほにゃっと、文字通りに顔を綻ばせた。
 まるで子供のように笑ったので、私はびっくりして頬を少しだけ赤く染めてしまった。
 だってさっきまで、あんなに大人っぽい表情をしていたのに、イタリアの言葉を出しただけでこんなにも、可愛らしく笑うなんて。
 イタリアの匂い、思いつく限りではフェリシアーノさんかロヴィーノさんの事だろう。多分アントーニョ氏に貰った写真を見返せば神聖ローマさんと一緒に写っている写真があるかもしれない。
 でも確か神聖ローマの支配下にあったのは北イタリアだった筈なので、きっとフェリシアーノさんの事を言っているのだろう。
 やっぱりルート氏に似ているからだろうか、その事にあまり違和感は感じない。むしろ納得してしまったほどだ。

 ほにゃほにゃと年相応に笑う神聖ローマさんに釣られて、私もほにゃりと顔を緩ませる。
 ルート氏もこんな風に笑えばもっと周りに馴染めるのになぁ、と思いながら。だって、あの威圧感はどう見ても…ねえ。

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思った以上に行数があったので変な所でぶった切ってしまいました。

[2009.08.27]