夜明けの海


 辛そうな奴を長時間放っておく訳にもいかず、俺は深い溜め息をしながら空を仰いだ。
 天候は良好、雲はぽつぽつと青い空を漂ってはいるが、雨が降ると言う事はないだろう。
 人一人分程高い位置にある中央の甲板に視線を向けると、木が軋む音と共に俺の部下が海上を偵察していた。

「ハワード」
「…船長?如何なされました」
「操舵士に予定通り航行を続けろと伝言しておけ。指示はお前等に任せる。あと明日まで船長室には入ってくんなと船員に伝えとけ」
「了解しました、船長」

 呼びかけに答えた黒髪の青年は直ぐに俺を見下ろして敬礼をする。まだ顔にはあどけなさが残っている奴だが、これでも俺の部下の一人だ。
 ハワードは俺の命令に少し疑問を抱いていたが、深追いはせずにぴしり、ともう一度敬礼をした。理由を聞かれなかったのは有難い。
 俺は一応船長と言う肩書を持ってはいるが、大抵の指示は部下の者達に任せている。その方が彼等にとって勉強にもなるだろうし、国である俺が堂々と表に立つ訳にもいかないからだ。
 所詮俺達は国なのだから。あまり表立って行動する訳にはいかないのだ。…つい数日前にベッドで蹲ってる野郎が船のマストをへし折った事については流石に頭を抱えたが。
 あれには驚いたと言うか、未来の奴が何やらかしてるんだと思ってしまった。自分で歴史を捻じ曲げようとしてる事に気付かないのかと怒ったら、頬を膨らませて子供の様に拗ねていたし、反省はしていないんだろう。馬鹿だろ、あいつ。
 もしかして媚薬を飲んだのはその事に対しての罰なんだろうか。だったらざまあみろだな。助けてやる必要なんかないだろ、俺。

「それと、客人に変なもん飲ませた奴をひっ捕まえて船底の掃除させとけ。終わったらどっかの柱に逆さにして吊り下げろ」
「は、あ…?分かりました」

 それなのに口は俺の意に反してつらつらと逆の言葉を述べていく。ああほら、ハワードだって今度こそ意味が分からないと言う顔をしているじゃないか。
 何言っているんだよ、俺。馬鹿馬鹿馬鹿、助けるなんて性に合わない事してんじゃねえよ。ああ、くそ。
 ばたばたと甲板から消えて行く部下の姿をしかめっ面で見上げながら、俺はがつん、と踵を鳴らした。

 悶々と悩んでいても時間が止まってくれる訳じゃない。常に時は進んでいて、今こうして考えている間も一秒ずつ時間は経って行く。
 どうせ止まったとしても動き出せば現実が待っている事だし、逃げる事は出来ないんだろう。
 現実から目を背けても、心を閉ざしたとしても、物理的に逃げる事は不可能だ。この場所から船に戻るには寝室を通らなければならないのだから。
 あとはもう海に飛び込む位しか逃げ道は、ない。ああ、くそ、早く諦めれば良いものを。つーかさっき一瞬だけ諦めた筈なのに、ふと我に返った瞬間これだ。いっそ酒でも飲んで全てを投げ出してしまいたい気分だ。
 生憎とポケットの中には酒らしき姿は無く、何かを掴もうとした掌は空を切る。神はどうやら俺に現実から逃げるなと仰るようだ。あーそうかよ、そこまで言うならこのまま行ってやる。
 ぽこ、と頭に浮かんだアホ毛はまだ部屋の中で揺れてるんだろうか。アルフレッド。未来の俺と友達だと言った奴。
 その話を聞いた時は危うく泣きそうになった。未来の俺は寂しい思いをしてないのか、と。そして今の自分が辛くなった。嬉しさ半面、寂しさが溢れ出そうになって必死に抑え込んだ。
 俺は弱さを見せてはいけないんだ。俺は国だから、付け入る隙を見せたら負ける。それは何としてでも阻止しなければならない。
 伸ばしそうになった手を押さえて、探検に行くと言って出て行った奴の後ろ姿を目で追って、消えた背中を追い掛けて、泣きたくなって。
 一人にしないで欲しいと小さい頃に願った事を思い出して頭に手を置いた瞬間、奴が戻ってきたんだ。
 思わず流れそうになった涙は驚きで引っ込んでしまって、もう一度奴の顔が見れた事に胸がぎゅっとした。時間が経てば何とも思わなかったかもしれないのに、何で直ぐ帰って来たんだよ馬鹿。
 理由を聞けば名前を聞いてなかっただの言いやがって、意味分かんねえ。苦し紛れに本を投げたら軽くキャッチされて、自分が馬鹿らしくなった。何してんだよ、たった一人、未来からきた国にペースを乱されるなんてどうかしてるぞ、俺。
 ああもう、これも全部あいつが友達だって言った所為だ。それなのに今度は何だよ、友達だって言ったのは嘘だと?挙句それ以上の存在とか、何だよそれ。本当に意味分かんねえ。
 でも一番分かんねえのは、嫌悪している筈なのに心の奥底じゃあ「まあそれもありかな」って思ってる自分だ。

「あーさー」
「…ん」

 部屋に戻ると、待っていた筈のアルフレッドがドアの前に立っていて、音を鳴らしながら扉を閉めた瞬間にぎゅっと強く抱きしめられた。
 そんなに待ち切れなかったのかよ、と聞いてみたら、素直にこくりと頷かれた。眼鏡越しの青い瞳は先程見た空の色より艶やかな煌めきを宿している。
 最初に見た時よりも深い色合いのそれに見つめられて、俺も目を細める。ぴくりと動いたアホ毛を摘んでみたら、喉を鳴らして睨み付けられた。ああ、よかったのか?

「誘ってるのかい、君は」
「そんなつもりねえよ」
「絶対、嘘なんだぞ…俺がこんな状態なのを、ざまあみろって思ってる癖に」
「まあそれに関しては否定しねえ」

 やっぱり、と呟くアルフレッドにによりと笑って腰に回された腕を取る。ベッドが直ぐ傍にあるのに立ったままなんて勿体無い、とアルフレッドに先程まで座っていた場所に再度腰掛けるように促して俺も一緒にベッドに座る。
 二人分の体重を受けてベッドがぎしりと音を立てたが、俺達は気にする事無くシーツの海に倒れ込んだ。
 こんな風に誰かとベッドに寝転がるのはいつぶりだろう。少なくとも数カ月は経っている筈だ。その全てが性欲処理に扱った女ばかりで、男と寝るのはこれが初めてだった(まあ、その理由は今までと同じなのだが)。
 新鮮と言えば新鮮なのだが、これと言って女と寝た時との差異が無くて面白味に掛ける。ちょっとベッドのスプリングが五月蠅い程度だし。
 まあこんな所で面白がっても何になるって話なんだけどな。ころりと寝返りを打ったらアルフレッドと目が合った。何だよ馬鹿、見てたのかよ。

「するなら早くすれば良いだろ」
「…君は良いのかい?男とするの嫌なんだろう?」
「嫌だと言ったら止めるのかよ、お前は」
「…止めないね」
「だったらしろ。そして後で俺との関係を全部話せ」

 戸惑いの表情を見せる奴の腕を手繰り寄せて俺の胸へと導かせると、アルフレッドの喉が大きく上下した。けど震える手は俺の服すら掴もうとしない。
 なんだよ、これじゃあ俺が強請っているように見えるじゃねえか。それとも何か、今更罪悪感でも湧いて来たというのか、こいつは。
 俺が吹っ切れたと思ったら次はお前かよ。ほんの少しでも受け入れようと思った自分が馬鹿らしく思えるじゃないか。
 居ても立っても居られなくて仕方無く身を起こし、視線を漂わせる奴の顔の真横に手をつく。見下ろしたアルフレッドの顔は影で見え辛くなっていてもしっかりと赤が差されていた。

「それとも俺にして欲しいのか?」
「え、…」
「お前がそう望むなら付き合ってやるよ。ただし出来る範囲でだがな」
「アーサー…」

 不安そうに、それでも熱に溺れかけている瞳をじっと見返して、頬に指を這わせる。つ、と手袋の上からでも分かる位に俺とアルフレッドの体温の差は激しかった。
 アルフレッドは俺の指の冷たさにぴくりと肩を揺らし、もう一度俺の名前を呟く。強請られている気がして首を傾げると、後ろから掬うように髪の毛を撫でられた。
 そして顔を傾けられる。あ、これは、と思った時には唇に温かい何かが触れていて、反射的に目を瞑っていた。
 ああ、キスされてるんだなあ、俺。近くで聞こえるリップ音にぼんやりとそう考えて不思議と感じられた心地良さに酔いしれる。
 少しかさついた口唇にしっとりとしてやわらかい同じものが重なり合い、角度を変えて徐々に触れる部分が深くなっていく。ちゅ、と軽く唇を吸われて思わずぱっと目を開けてしまった。
 その瞬間に見えた深いスカイブルーに目を奪われる。眼鏡越しで見え辛い筈なのに、その綺麗な青ははっきりと俺の視界に入り込んでいた。

「っふ、…ばか。目閉じろよ」
「嫌だぞ、今の内に見ておかないと、理性ぶっ飛んだら忘れちゃいそうだし」
「…むしろ忘れてくれた方が良い」
「駄目だよ、可愛いのに」

 そう言って頬を緩ませるアルフレッドに俺は馬鹿、とぽつりと呟いた。男に可愛いは無いだろ。俺は誇り高き大英帝国様だぞ?それが可愛いって、お前の頭はイカれてるんじゃないのか(ああ、薬で既にイカれているか)?
 罵声を発した筈なのに、俺の言葉に笑みを深めるアルフレッドはまるで割れ物を扱うくらい優しい手付きで俺に触れてくる。髪に、頬に、口にキスを落として俺の名前を呼ぶ。
 未来じゃこんな風に俺は愛されているのかと思うと、またちょっとだけ胸の奥がもやもやした。でも今度は先程から感じていたものでは無くて、別の気持ち。
 それが嫉妬心だと自覚して死にたくなった。なんだよ、未来の自分に嫉妬するなんてどう言う事だ。しかもこんな時に嫉妬するなんてどうかしてるぞ、俺。
 やっぱり強請ってるんじゃないか、と心の奥で他人の様に誰かが囁く。うるせえ、分かりたくも無い事言うんじゃねえよ、馬鹿!

「アーサー?大丈夫かい、やっぱり止めといた方が」
「お前から誘ってきたんだろうが。今更何言ってんだ」

 どうせ後戻りなんか出来ない癖に、妙な遠慮しやがって。一丁前に気取るにはまだガキすぎるだろ、お前は。
 熱の中心を膝でぐいっと押し上げると、ひく、とアルフレッドの喉が引き攣る。間近で熱い息が吐き出されて、俺は乾いた唇をぺろりと舐めた。
 今にも泣きそうな顔で見上げられる姿は悪くない。むしろ支配力を掻き立てられて背中がぞくぞくしてくるほどだ。
 カチリと首に付けられていたチョーカーを外して徐々に熱くなっていく身体をシャツのボタンを外す事で冷ましていく。アルフレッドの服にも手を掛けてゆっくりとタイを緩めると、焦らさないでくれよ、と唸られた。馬鹿、まだムードってもんが全然無いってのにがっつくなよ。
 我慢出来ないのは分かっているけれど、あんまり急くと嫌われるぞ。にやにや笑ってそう言ったらアルフレッドは口をへの字に曲がらせて冗談じゃないと首を振った。

「強請ってくるのはいつも君の方なんだぞ、スイッチ入ったら大変なんだからね」
「…まじかよ」
「まじだよ、このエロ大使」

 未来の俺は一体どんな風になってるんだよ、想像したくねえぞ。


 

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この時代ではまだ自分はエロ大使じゃないって思ってるアーサーさん。次からただのえろです。

[2010.04.22]