夜明けの海


「あー…もう降参するわ…。あんな怪物出て来られたら敵わんわ、やる気無くした」
「…はあ?太陽の沈まない情熱の国が何腑抜た事言ってんだよ。まだ決着ついてねえだろうが」
「もー何とでも言いや。ウチの船もこないな事なってしもうてるし、…総員退却準備しい!」
「あ、こら、てめえ!」

 どさりと甲板に腰を下ろして、アントーニョは降参、と両手を上げた。
 溜め息を吐いて持っていた斧も放りだした彼に、アーサーは釈然としないのか眉を吊り上げて声を張り上げる。けど、アントーニョは既に戦意消失していて、戦う気はもう無くなっているようだった。
 アーサーは何としても決着をつけたいみたいだったけど、相手がやる気を無くして降参までしているのだから、俺は剣を振り上げようとするアーサーの手をぎゅっと掴んで止めた。
 目を丸くする彼に軽く首を振って、それからひょいと彼の身体を持ち上げる。重そうな外套を着ている癖に、アーサーの身体は片手でもすんなりと持ち上がる程軽かった。

「っ!?お前も何してんだよ!下ろせ馬鹿!」
「やなこったー。彼も降参してるんだし、もう良いじゃないか。弱い者苛めは見っとも無いんだぞー」
「はあ!?…くそ馬鹿力め、は、な、せ!」
「HAHAHA!聞こえないんだぞ!」

 DDDDと笑って口笛を吹いたら、アントーニョがひらひらと手を振るっていた。
 お互い大変やね、と見知らぬ筈の俺に対してそんな事を言うからちょっとびっくりしたけど、無視する訳にもいかず、手を振り返してそうだね、と呟く。
 未来では出会い頭に膝かっくんしてくるほど彼は俺の事を毛嫌いしているから、まるで同情するかの様な台詞を貰うとは思いもしなかった。
 アントーニョも俺と同じように空気を読めないと言われる性格だし、状況が違ったら良い友人になれたのかもしれないなあ。今みたいにさ。

 次第に足場が悪くなってくる船から逃れるように吊るされた縄を手繰り寄せ、アーサーの船へと戻る。
 アーサーはまだ俺から離れようと暴れていたけど、流石に船同士の移動の時には大人しくしていた。だって万が一俺がバランスを崩して縄を手放したりしたら、二人纏めて海に真っ逆さまだからね!
 大人二人(しかも両方男)を支えるには細すぎた気がする縄だったけれど、それでもなんとか元の船に戻る事が出来たので良しとしよう(戻った時は切れかかっていて危なかったけど)。
 元のアーサーの船に戻ってくると、わっと周りから声が上がる。アーサーの部下の人達が一斉にこちらを見ていて、勝利した事を喜んでいるみたいだった。
 流石にそんな状況になってくるといつまでもアーサーを小脇に抱えている訳にもいかず、俺はアーサーがバランスを崩さないように支えて立ち上がらせる。彼は直ぐに俺の手を振り払ったけど、聞こえてくる部下達の声に吐息を吐き、太い眉毛を八の字に下げてぷすりと笑った。

「お前等、こんな勝利でそんなに浮かれんなよ。…まあ、祝賀位は認めてやる、けど程々にしとけよ」
「案外優しんだね、君は」
「…うるせ。最近ぴりぴりし過ぎてたからこれ位させねえと士気が下がんだよ」

 飴と鞭って奴だな、とアーサーは片目を瞑ってにやりと口を吊り上げる。流石、従順な部下達を鍛えるのが上手いなあ、この人は。
 祝賀と聞いてより一層盛り上がりを見せる部下達を見ながら俺はそうぽつりと呟いたけど、それは歓声に掻き消されて誰の耳にも届いていなかった。
 アーサーは言いたい事は伝えたからか、早々に踵を返して人の輪から離れて行く。部下の一人くらい引きとめると思ったけど、喜びの渦から抜け出すものは誰一人居なかった。意外とあっさりした関係なんだな、アーサーと彼らって。
 さて、俺はどうするべきかな?…って悩んでも答えは既に出ているんだけどね。
 渦の中で揉みくちゃにされている身体をなんとか抜け出させて、船内に消えて行った深紅の外套を追いかける。
 向かう先はもちろん船長室だ。だって彼が一番落ち着く場所はきっとそこだから。あんまり人の出入りも無いし、一人で居られるしさ。
 むしろ船長室以外にアーサーが居そうな場所が思いつかない。客室や倉庫は行かないと思うし、食堂は…うん、前者より居そうな気はするけど悪い予感が当たったら嫌だし、これ以上想像するのは止めておくんだぞ。
 だからやっぱり、居るとしたら彼の自室である船長室なんだろうな。と言うか寂しいのは嫌いな筈なのに、自分から孤立しちゃってどうするんだよ。もう、君って奴は本当に世話が焼けるなあ。
 ぽこぽこと怒る彼の顔を思い出して苦笑する。まあ、そんな所も好きだから良いんだけどね!
 床を鳴らしてお目当ての部屋へ辿りつくと、またノック無しにドアを開ける。ばたん、と大きい音を立てて開けたら、アーサーは外套を脱ごうとした姿勢のまま、ぴしりと固まっていた。これで彼がフリーズする姿を見たのは何回目だろう。

「やあアーサー!暇だから遊びに来たんだぞ!」
「…の、ノック位しろ馬鹿!俺はお前と違って暇じゃねえんだ、出てけ!」
「えー。上着脱いでるって事は休むつもりじゃなかったのかい?」
「っ、…」

 ぐ、と出しかけた言葉を詰まらせて、アーサーは眉間に皺を寄せる。図星なんだぞ、って言ったらまた馬鹿と叫ばれた。
 そんなに俺と一緒に居るのが嫌なのかい?そりゃあ、君が仕事をしようとしてても邪魔する気満々だったけどさ、仕事じゃないんだから別に遊びに来たって良いじゃないか。客室でのんびりするよりかはここでのんびりした方がなんとなく安心するんだし。
 ぷす、と頬を膨らませて最初にここに訪れた時に勧められたソファに腰掛けると、アーサーは数秒位の長くてふっかい溜め息を吐いた。

「お前が居たら休む事も出来ねえだろが」
「俺は別に気にしないんだぞ?ちょっかい出すかもしれないけど」
「…喧嘩売ってんだろお前…」

 HAHAHAと笑う俺に対して、アーサーはいつまでも渋い顔をしていたけど、俺を無理矢理追い出す事はしなかった。
 ばさりと外套は椅子に掛けて一息ついたら今度はコーヒーを淹れる為に立ち上がる。俺も欲しいんだぞ、とソファに寝転がって呟いたら、文句一つ無くカップを差し出された。
 いつもはつらつらと文句を言い続けるのに、意外だなあ。警戒していると思えばこんなに優しくしてくれるなんて、なんだか調子狂っちゃうんだぞ。
 湯気が立つコーヒーをずず、と音を立てて飲むと、独特な香りと苦みが口いっぱいに広がっていった。あー、やっぱりインスタントよりこっちの方が美味しいなあ。
 アーサーも自分のデスクで書類を見ながらカップに口を付けていた。服とカップの中身は違うけど、その仕草はやっぱり見慣れた彼の姿と同じだ。
 ぺらぺらと紙を捲る指とか、文字を辿って行く毎に伏せられる目とか、見てて様になってるなって思う。流石自称英国紳士、黙っていれば綺麗なんだよなあ。口を開けたら暴言ばかりだけど。

「…、なんだよ」
「別になにも無いんだぞ」
「じゃあこっち見るな、気が散るだろ」
「それは良かった!邪魔しにきた甲斐があったね」
「あのなあ…」

 書類からちらりと目を離したアーサーは、俺の方を向いてあからさまに不機嫌な顔をする。
 俺はカップを持ちながらその表情を見てにんまりと笑い、もう少し、と呟いた。もう少し、あと少しで全てのバリエーションが揃いそうだ。
 アーサーは俺の呟きにまた眉毛を歪ませて、頭に疑問符を浮かべる。言葉の意味が理解出来なくてもどかしいらしい。
 けど、その疑問に答えてあげるほど俺は優しく無いんだぞ!と言うかアーサーに気付かれたらコンプリートが難しくなるから、敢えて言わないんだ。
 だってそうだろう?過去のアーサーの色んな表情が見たいと思っているんだからさ。言ったら絶対笑った顔とかしてくれないし。
 俺が知っている表情でまだ見ていないのは、妖精さんと戯れている時とかの至福の笑顔とか、満面の笑みとか、笑っている表情が中心だ。泣いてる顔とか辛そうな顔とかは俺が見たくないので今回は横に置いておくんだぞ。
 見る事が難しいのは分かっているんだけど、それでも見たいんだ。まだ俺と出会ってない時代の彼の笑顔を、さ。
 どんな顔をして笑うのか、俺は俺の時代のアーサーの笑顔しか知らない。まあ当たり前と言えば当たり前なんだけど。
 その笑顔は俺を包み込んでくれるようなあったかい笑みで、弟として育てられた時間が多い所為か余計にそう感じるんだ。まるで親が子供を見るような笑顔ってやつでさ。
 最近はそんな親心を含む事は少なくなってきたけど、まだ欠片位は残っている。それは彼が俺を育ててくれた事実があるからで、きっと薄れていったとしてもこれからも残り続けるんだろうな。
 なら、俺と出会ってないこの時代のアーサーはどんな笑顔を見せてくれるんだろう?想像出来ないから余計に見たくなる。

「きっと可愛いに決まってるけどね」
「はあ?お前何が言いたいんだよ」
「んー、アーサーは見てて飽きないなって事さ!」
「…」

 oh、そんなに怖い顔で睨まないでくれよ。また綺麗な顔立ちが台無しなんだぞー。
 冗談じゃないか、と苦笑してそう言うと、アーサーはじろりとこちらを一見して顔を隠すように書類を目の前に翳す。
 紙が擦れ合う音の中で小さく馬鹿、と言う声が聞こえたのはきっと気の所為じゃなかったんだろうな。あーもう、そんな可愛い反応しないでくれよ。
 君はまだ俺との関係が未来じゃ友達止まりだと思っているんだろう?なのにそんな反応をするなんて、まるで恋人同士って事を知ってるみたいじゃないか。
 だから俺もつい未来の君を重ねて同じようにからかってしまう。そして行きつく先は理性の限界だ。いや、まだ今の所は大丈夫なんだけどさ。
 その限界もいつ突破しちゃうか分からないのに、俺を刺激するような反応しないで欲しいなあ!
 無性にそう言いたくなるんだけど、言ったら友達じゃなくて恋人なんだって彼にばれてしまうから言う事は出来ない。ああ、もどかしい。胸の中がもやもやする。
 残り少なくなっていたコーヒーを飲み干して、口をもにゅもにゅと動かす。おかわりを頼んだら、アーサーは渋い顔をしながら嫌々ながらも注いでくれた。

「あー…柄にもない事考えるなんて、これもアーサーの所為だな」
「俺は何もしてねえ!」
「居るだけで効果があるのさ!」
「はぁ?理不尽過ぎるだろばかあ!」

 ぽこぽこ頭から湯気を出してアーサーはそう叫ぶ。俺はDDDDと笑って内心ほっとしていた。
 君の所為で悩んでるって言ってるのに気付かないなんて…君が心底鈍感で良かったと思うよ、本当にね。
 危ない危ない。次からは変な所で墓穴掘らないようにしないとな、と思いながら、俺は新しく淹れられたコーヒーに口を付けた。

 数日後、その思いは見事にぶち壊されるのだが、もちろん今の俺が知る由も無い。


 

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親分回終了。まだまだスランプ中。

[2010.03.15]