夜明けの海


 カリエド、不敵に笑うアーサーの口から零れたのは、こちら側より一回り以上大きい船の甲板に仁王立ちしている者の名前だった。
 焦げ茶の癖毛が潮風に靡いているラテン系の顔立ち。アーサーとはまた違ったエメラルドグリーンの眼差しは、殺気が隠される事無く曝け出されていた。
 自分の身長と同じ位の長さを持つ斧を足元にガン、と突き刺して、アントーニョ=フェルナンデス=カリエド―スペインはぎり、と歯を食いしばった。

「昨日と言い今日と言い…よくも俺んとこの船沈めてくれたなあ、ええ?覚悟は出来てるんやろな!」
「はっ、それはこっちの台詞だろ。たかが小型船ごときに負けるなんて、沈まぬ太陽なんて言えたもんじゃねえなぁ、カリエド」
「…っ!元はと言えば海賊を取り締まるのがお前の役目やのになんでそっち側についてんねん!お前んとこの上司にも言った筈やのに!」
「あ?聞こえねえな」
「…こんの眉毛…潰したる…」

 ぎらぎらと燃えるような怒りを瞳に宿したアントーニョは斧に括られていた赤の布を翻した。まるで闘牛士のようなその布は情熱の国に相応しい色だ。
 更には自軍の士気を高める為の色でもあり、彼の船に乗っている船員達もやる気満々と言った様子だった。
 まあ、それはこちら側も変わらないんだけどね。アーサーがアントーニョを挑発させている分、こちら側の船員はいくらか余裕を感じる。
 勝てる見込みがあるんだろう、既に戦闘態勢に入っている彼等をぐるりと見回して、俺はぴゅっと口笛を吹いた。

 アントーニョが出てきたって事は、これは多分アルマダの海戦って奴なんだろう。時期的にも本に書いてあった通りだから間違いない筈だ。
 史実によれば、ここで所謂無敵艦隊の大敗って言う出来事がある。スペインが太陽の沈まない国の称号をイギリスに譲るのも、衰退の兆しが出始めるこの年からだ。
 と言う事は俺ってもしかして彼等の歴史の中で結構重要な日に立ち会っているって事なのかな?わお!何だか楽しくなってきたんだぞ!
 ここでじっとしているつもりだったんだけど、こうなると俺もほんの少しだけ戦いに参加してみたくなる。歴史を改変しない程度に、ほんの少しだけ。
 アーサーに言ったら絶対駄目って言われるんだろうなあ。でも目立ちたいじゃないか!俺はヒーローなんだから!それが出来ないなんてとっても歯痒いんだぞ!
 DDDDと二人の会話を両肘を付いて見守っていると、けたたましい轟音が鳴り響いて水飛沫が近くで上がった。砲弾が海に落ちたんだろう。
 ずん、と船体自体が揺さぶられて俺はびっくりしたけど、周りの人々はむしろその音が開戦の合図かと思う位に一斉に相手の船に乗りこんでいった。
 映画でよく見る一昔前の海賊同士の戦いと同じ情景が目の前に映し出され、迫力のある白兵戦が繰り広げられていた。

「さて…どうしようか悩むんだぞ」

 その中で一人ぽつん、と俺は何をするでもなくぼうっと彼等の戦いを眺める。アントーニョの部下達はこちらにも乗り込んできているけど、俺に目を向けるより先にアーサーの部下達と戦っていたので俺に刃が向く事は無かった。
 アーサーとアントーニョの二人もいつの間にか一騎打ちを始めてしまって、アーサーが軽々と吊るされた縄を伝ってアントーニョの船に乗り込んでいた。
 そう言えば本の中にこの戦いで無敵艦隊が敗北した理由の一つに、戦術の仕方に問題があったと言うのが記されていた気がする。
 船の大きさもあるけど、こう言う白兵戦を得意とするスペインに対して、イギリスは射程の長い軽砲で遠くから戦ったと言う。アントーニョもそれらしい戦い方なんだけど、アーサーも彼らしい戦い方だよね。遠くから砲撃するなんて、そりゃあアントーニョも怒るよ、うん。
 でもそれが戦略って奴なんだから仕方ないと言えばそうなんだけど…。って、あれ?じゃあ今この状況って大丈夫なのかな?アーサーも接近戦は出来るみたいだけど、アントーニョの方が得意なんじゃ…。
 うーん、と悩んで加勢しようかと一瞬思ってしまったが、見た所どちらも同じ位の戦力だったので、もう暫くは状況を見守る事にした。
 いや、でも正直言うとそろそろ身体がうずうずしてきてるんだよね。皆がこんなに動いているとさ。あーもう、俺の出番が無いなんて酷いんだぞ!

「むむむ…俺だってやれば出来る所を見せたいんだぞ」

 その為にしなければならない事は、と少し考えた所で、頭上に豆電球の光が灯される。ああそうだ、良い事思いついたんだぞ!
 嫌でもアーサーとアントーニョがこちらに目を向ける方法。それはアントーニョの船を行動不能にすれば良いだけだ。簡単な事じゃないか、俺ってばいつにも増して良い案が浮かんだね!
 自分に褒めてあげたいくらいだ、と口をにんまりと吊り上げて、漸く俺も観客から参加者へと切り替わる。
 簡単に移動出来そうな場所を探していると、敵側の船が追突するかの様に近付いてきたのでチャンス、とばかりに身を乗り出す。
 目立つ筈の俺の姿は、誰の目にも入らずにアントーニョの船へと乗り移った。注目されないのは癪だけど、なんだか忍者っぽくてとってもクールじゃないか!

 アントーニョの船の甲板ではアーサーとアントーニョの船長対決(アーサーが船長だったんだし、アントーニョも船長なんだろう)が激しさを増していた。
 まるでフランシスと喧嘩している時位に殺気を出しているアーサーに引けを取らない程アントーニョの殺気も強烈だった。一般人が彼等の中に入ったら間違いなく殺気で気絶するよ。俺も出来ればあの中には入りたくないんだぞ。
 何か言い合いはしているみたいだったけど、ここからじゃあ金属がぶつかり合う音が大き過ぎて聞き取る事は出来なかった。
 どうせ汚い罵り言葉で相手を貶しているんだろうな。アーサーってば自分で英国紳士とか言ってるのに、やってる事が正反対過ぎるよ、全く。
 その癖俺に対してはぐちぐち文句言うのにさあ、ああもう、人の事言うより自分の事をなんとかして欲しいね!まあそんな彼も好きなんだけど!

「って違う違う。今はこっちに集中しないと」

 船に乗り移ったのは良いけど、どうやって行動不能にすればいいのかまでは考えてなくて、俺は腕を交差させて首を傾げた。
 途中ナイフが飛んで来たような気がするけど軽くステップしたら目標を失ってとすり、と柱に刺さっていたのでスルーしておく事にしよう。
 それよりもどうすればこの船を追い払えるかを考えないと。えーっと、前見た映画ではどんな事になってたっけ?
 まず大砲を撃てないようにしないと砲撃されたら一溜まりも無いんだっけ?でもそれには船内に入らないといけないよね、ここからだと逆方向だし…甲板の中央には未だに睨み合いをしている二人が居るし…、この案は次の機会にしよう。
 あとは船を動かす舵か帆を壊すか、どうにかして船自体を沈没させるか…後者は派手で良いと思うんだけど、俺一人の力じゃ簡単には出来ないから、ここは前者にする事にしよう!
 幸い操舵輪は近くにあるし、帆はさっきナイフが刺さった柱がマスト部分だから、これを折っちゃえばいいんじゃないかな?
 コンコン、とノックをするように太い支柱を叩くと、木が軋む音がして案外脆そうな気がした。

「んー…んん、やっぱりちょっと重いんだぞ…」

 両手いっぱいに抱きしめた柱を、思いっきり力を入れて傾ける。ぎしぎしと音を立てていたけれど、ちょっとの音じゃあまだ周りの人は気付かないみたいだった。
 けどそれもほんの束の間、軋む音から木が折れて行く音に変わってくると、嫌でも近くに居た者たちの耳には俺が何をしようとしているか目に入ってくる。
 そして目を丸くし、思わず交わらせていた剣への力が抜ける。唖然と立ち尽くすしかないと言った様子だ。
 それもその筈だろう。なんたって男がたった一人で身長の何倍にも及ぶ巨大なマストをへし折ろうとしているのだから。
 普通なら折れる筈もない物を折ろうとしているのに驚いている訳じゃあない。折れていっているのに驚いているのだ。それもたった一人の力によって。
 俺が居る周辺だけが静まり返るけれど、それ以外の場所ではまだ声や金属音が響いていて俺には注目していない。
 皆目の前の事で手一杯と言った所かな?でも俺はヒーローなんだから、俺を目立たせてくれないと駄目なんだぞ!

「よし、えいっ」

 よいしょ、と傾いてきた支柱を枝を折るように片腕で持ち上げると、砲撃と同じ位の音量でばきり、とマストはへし折れた。
 メインのマストじゃ無いとは言え、一本折れただけでも船体が大きく揺らぐ。俺はぐらりとバランスを崩して危うく転びそうになったけど、なんとか踏み止まって巨大な支柱を肩に乗せた。
 船が傾いた事でアントーニョの船に乗っていた者達は一時的に攻撃の手を止めて驚いた様子で辺りを見回していた。
 アーサーとアントーニョの船長対決も一旦休戦していて、俺は頃合いを見図ってアーサーに声を掛けた。

「おーい、アーサー!これって海に投げ捨てていいものかい!」
「…え?は?」
「え、…な、なんやのあれ。なん、…なん、あいつ」
「アーサー?返事するんだぞー」

 船長の二人は俺の方向を振り向いてぎょっとしていたけど、俺は気にせずアーサーに質問する。うん、反応としては悪くないんだぞ!
 DDDDと笑ってぐらぐらと傾くマストを持ち直す。その際に上の方で縄が別のマストに引っ掛かった気がしたけど、そこは敢えてスルーするんだぞ。
 アーサーは俺の問い掛けに二テンポ遅れて反応し、ほんの少し困った様子でああ、と頷いた。

「捨てても構わねえけど、そこのマストも追加しとけ」
「ん?分かったんだぞー」

 す、と指を差されたのは甲板の中心にあるメインのマストで、俺が今持っている柱よりはもう一回り大きい物だった。
 けど俺はぱちりとウィンクをして二言返事で了承する。これ位の太さで直ぐに折れたんだから、メインの方を折るのもそれほど難しくないみたいだしね。
 持っていた長い柱を出来るだけ船体が揺らがないように持ち上げて、またえいっと力いっぱい海の方向へ投げると、非常にゆっくりとした動作でマストは楕円を描いて真っ青な海の中へずぶずぶと沈んでいった。
 呆気に取られている人はまだ多かったけど、俺は気にせずアーサーに指示されたマストの方へ足を向ける。今居る場所より低い位置に存在しているマストの為、俺は時間短縮とばかりに柵を乗り越えて下の甲板へと飛び降りた。

「…って、ちょ、ちょい待ち!そう簡単に折らせて堪るかいな!お前なんなん!?」
「俺かい?俺はただのヒーローさ☆」
「はあ!?どう言う事なんよカークランド!なんでこんな怪力隠し持ってん!?」
「知るか、俺に聞くな」
「あああ、もうなんなんよ…、親分もう分からんわ…なんなんこいつ…」

 だからヒーローだって言ってるのになあ、とぽつりと呟いた言葉は、きっとアントーニョの耳には届いていないんだろう。
 アーサーは俺が国だと言う事を知っているから、こんなに力があっても可笑しくは無いと分かるだろうけど(でもびっくりしてたのは知らなかったからだろうな)、アントーニョは俺がどう言った存在なのか全くと言って良いほど理解出来ない筈だ。何せ突然沸いて出てきたような存在だから。
 更に彼は鈍感だし、ばらさないと俺が国だと理解するのに凄く時間が掛かりそうな気がする。まあ、そんな時間は与えてあげないけどね!
 軽く現実逃避をしているアントーニョを尻目に、俺はメインマストの方もばきばきと音を立ててへし折った。


 

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ちょこっと齧った程度の知識なんであんまり本気にしないで下さい…。親分ごめん。これでも大好きなんだぜ…。

[2010.03.05]