夜明けの海


 船内を隅々まで探検した後、倒れるようにぽふりと客室のベッドに沈んだ俺は、そのまま滑り落ちるように意識を飛ばした。
 小型の船とは言え、中身は大型船と変わらない本格的な造りになっていて、いくつもの階段を上り下りを繰り返したら体力的にもきつかった。
 でもそのおかげで何処に何があるか大体把握出来たので結果的には良かったかもしれない。いつまで居座るか分からないんだから一日で回りきらなくても良かったんじゃないか、と言う突っ込みはアーサーから貰ったからここではスルーしておくんだぞ。
 行き成り現れた見知らぬ俺に、アーサーの部下の人達は最初は不審に思っていたみたいだけど、それも船長であるアーサーの一喝で綺麗さっぱり消えてなくなっていた。
 無言の威圧も追加されてたから、客人の俺に失礼な態度は出来なかったんだろう。俺が気になった事とかを聞いてみると、言葉に棘があるもののちゃんと答えてくれた。
 君達も大変だねって仕事をしていた人達に言ったら、気が弱い人に泣き付かれた。上司に恵まれてないってこう言う事を言うのかな、ねえアーサー。
 もうちょっと部下の人達に優しくしてあげなよ。じゃないといつまで経っても友達なんか出来ないんだぞー。
 めそめそと泣いている人に苦笑して心の中でそうアーサーに呟く。もちろん本人が聞いてる筈が無いんだけど、うるせえ馬鹿って言われた気がした。

「この所戦続きで船長はぴりぴりしてるんですよ…だからあんまり刺激しないように、貴方も気を付けて下さいね」
「ああ、なるほどね。でもそれは約束出来ないな!」
「えええ!被害被るのは俺達なんですから勘弁してください!」

 嫌だと言ったらまた泣き付かれたので、最終的には俺が譲歩してなるべく気を付ける、と言う事になってしまった。
 だってそんな事言われたって俺はアーサーをからかうのが趣味と言っても良いくらいあの人を弄るのが好きなんだから、急に止めろって言われても…無理な話じゃないかい?
 でも約束しちゃったから気を付けないといけないな。俺だけに被害が来るのは別に良いんだけど、部下の人達をこれ以上不憫な目に合わせるのは可哀想だし。
 明日までに忘れてないと良いけど…自信無いな。うん、忘れてたら部下の人達に謝っておこう。そしてエールを送っておこう。頑張れ、胃薬片手で頑張るルートヴィッヒよりはマシだと思うよ。多分。
 それに最終兵器のスコーンを押し付けられないだけまだ十分安心だろう。と言うか彼を厨房に立たせたらこの船の船員全滅するんじゃないだろうか…。
 そう思うと彼が船長で良かったかもしれない。だって忙しくて厨房にすら立てないと思う筈だし。
 無駄な犠牲者は増やして欲しくないし、アーサーはこれからもずっと船長で居て欲しいな。未来じゃ仕事の片手間に炭みたいな兵器を生み出すようになってるけどさ…うう、もうあの食べ物じゃあない味は勘弁してほしいんだぞ。思い出しただけで口の中がまずくなってくる。
 ふるふると顔を振って部下の人達に別れの挨拶をして、俺はその場を離れた。
 この時にはもう一部の船員と打解けあっていて俺が声を掛けると答えてくれるようになっていた。

 俺が寝泊まりして良いと連れて来られたのは、船長室よりはシンプルに纏められた一人用の客室だった。
 それでも船員達が寝泊まりしている部屋よりはクラスが高く、ベッドもふかふかしてて利用するには申し分無い部屋だった。
 最初は不審人物と怪しまれてたのにこんな部屋に泊っちゃって良いのかなあ、と思ってしまったけど、何かを言う前に疲れがピークに達していたので俺はそのままベッドに入ったのだ。
 で、今に至る、と。そう言えば部屋に案内してくれた人が何か言ってた気がするけど、何を言われたんだっけなあ。
 あの時はもう誰の声も耳に入っていない状態だったから、適当に返事をした覚えがあるような無いような…肝心の内容がすっぽり抜け落ちてしまっているから考えても意味無いか。
 ごろんと寝返りを打って薄く目を開ける。ぼんやりとした視界の中は、敷き詰められた木目の模様でいっぱいになっていた。

「あー…やっぱり夢じゃないんだな」

 放り出されたテキサスを手探りで掴んで両手でゆっくりと掛ける。まだ視界はぼやけていたけど、さっきよりも線がくっきり見えて、天井以外の風景も目に入ってきた。
 そして分かる、昨日の出来事。過去に来たなんてやっぱり夢なんじゃないかって心の片隅でほんの少しだけ思っていたのに、今日も目覚めた場所は昨日意識が途絶えた場所と同じ、船内だった。
 一日で元の時代に戻れれば良かったのに、それが出来なかったとなると本当にいつ帰れるか分からなくなる。明日帰れれば良いんだけど、二日って微妙な期間だから神様は戻してはくれないよね。あーもう、いつになったら帰れるのかなあ、俺。
 途端に膨らむ不安にはあ、と吐息を吐いて、俺は重い身体を起こした。

「そう言えば昨日も結構騒がしかったけど、今日も騒がしいんだな…。何かあったっけ?」

 ばたばたと上からも下からも聞こえてくる足音を不思議に思って、乱れていた服装を元に戻す。
 寝苦しかったいつもの軍服はぐっちゃぐちゃになっていたけれど、手で皺を伸ばせばそんなに気にならなかった。
 投げ出された靴も手繰り寄せて履いて、跳ねる後ろ髪を軽く梳く。ナンツケッツは今日も元気に俺の頭の上で跳ねていた。

「んー、んん?やっぱり五月蠅いんだぞ…」

 次第に近くからも足音が聞こえてきて、俺の疑問は益々膨らんでいく。えーっと、部下の人は確か最近戦続きで忙しいって言ってたっけ?
 現代と比べれば血生臭い時代なのは分かっているから、きっと今この状況も戦の準備をしているのかもしれない。え、でもそれだったら俺ってここに居て大丈夫なのかな?
 アーサーの乗っている船なんだし、今の時代で負けると言う事は無い筈なんだけど…多分。万が一沈められでもしたら大変だよね。海って広いし、漂流したら陸に辿りつける自信なんて無いんだぞ!
 うーん、と眉間に皺を寄せて悩むけど、こればっかりは成り行きに任せるしかない。船が沈む事になってしまえば、俺一人じゃどうする事も出来ないし。
 まあ、なるようになれって話だよね。しかし、こんな時に誰かと戦うなんて…相手は一体誰なんだろう。
 胸の奥からぽっと好奇心が生まれて身体がうずうずしてくる。部下の人達に迷惑を掛けないようにすれば、見学くらい許してくれるかな?
 もしかしたら俺が知っている人が相手かもしれないけど、気になってしまうからしょうがない。
 じっとしているのは性に合わないんだから、俺はそこで考えるのを止めて勢いよく立ち上がる。そして護身用の銃に弾がきちんとセットされている事を確かめて、客室から足を踏み出した。

 俺が甲板に出てきた時には、既に敵に向けての砲撃が開始されていた。
 階段から上半身だけを乗り出してきょろきょろと辺りを窺い、いつもの薄い金髪を探す。
 お腹に響く重低音が引っ切り無しに聞こえていたけど、どうやらこちら側にはまだ一発も着弾はしていないようだった。

「あ、居た。アーサーおはようなんだぞ!」
「っ?…アルフレッド?お前なんで甲板に出てるんだ!出んなって言っただろ!」
「あれ、そうだっけ。聞いてないんだぞー」
「はあ!?部屋に案内した奴が伝えた筈だぞ!」
「…ああ!昨日の寝る間際のアレはこう言う事だったのか!」

 視界を回していたら、お目当ての後ろ姿を見つけ、手を振りながら彼に聞こえるように声を張り上げた。
 俺の声に驚いたアーサーは声が何処からしているのか探していたけど、直ぐに俺に気付いて目をしぱしぱと瞬かせた。
 爆音が鳴り響く中、俺は階段を上りきって甲板に出ると、船員達が慌ただしく動き回っていた。それをぶつからないように避けてアーサーに近付くと、彼も外套をふわりと靡かせてこちらに向かってくる。
 驚いていた表情はすっかり不機嫌な怒り顔になってしまっていて、やあ、と挨拶したら暴言が挨拶代わりに返ってきた。
 もう、朝から怒るなんてカルシウム足りていない証拠なんだぞ?毎日牛乳を飲まないと、只でさえ貧相な体付きなんだから骨もすっかすかなんじゃないかい?
 DDDDと笑って俺は一段高い彼の足元に腕を乗っける。見上げる形で同意を求めるように首を傾げたら、アーサーは馬鹿、としゃがんで俺の額を突っついた。

「ここは危ねえから客人は部屋で大人しくしてろ」
「えーやだよ。つまんないじゃないか」
「馬鹿かお前は!万一怪我でもされたら俺の面目丸潰れだろが」
「HAHAHA!それ位大丈夫なんだぞ!俺は強いからね!」
「お、まえは…っ!とことん人の話を聞かない奴だな!」

 ぐいっと胸倉を掴まれるけれど、アーサーの力じゃ俺はびくともしない。首が締まったとしてもちょっと息が苦しい程度だ。
 俺が動じない事にアーサーは更に歯を食い縛って怒りを露わにしていたけど、結局は最後に馬鹿、と投げ捨てるように言葉を吐いて俺の服から手を離した。
 今この時代で彼に勝てる国なんて無いに等しいから、俺が彼に対して恐れていない事に苛々しているんだろう。
 客人と言ってもやっぱり国同士、ましてや未来では友人以上の存在だとしても、今の時代じゃどちらが強国なのかを真っ先に考えてしまうんだろうな。
 支配したり、されたりを繰り返している時代なんだからそう考えるのは当たり前の事だ。現代でも表は穏便に外交を続けているけど、裏の顔は誰しも支配したい、手に入れたいと言う欲求があるに違いない。
 世界で一番強い筈の国なのに、そこにぽっと突然現れた俺と言う存在が、アーサーの栄光の地位を脅かしている。これはプライドの高い彼にとって結構な屈辱だ。
 まあ俺は未来から来たからその座を乗っ取ろうとは思わないんだけどさ。彼もそれは分かっていると思うけど、こんなに堂々と彼の前に立つ俺は客人だとしても気に食わないんだろうな。
 現代以上にプライドが高そうな元ヤン時代なんだから尚更だろう。ああもう、老大国って変な所で頑固だよね。栄光ある孤立とか見栄なんか張らなくて良いのにさ!
 もっと大らかに過ごせないのかなあ、全く。まあアーサーの性格じゃあ無理なんだろうけどね!

「…とにかく、変な真似はすんなよ。まだお前を信用した訳じゃねえんだから」
「そうは見えないんだけど」
「うるせえ!後ろから襲ってくる可能性だって捨てきれてねえんだよ。良いからお前は大人しくしてろ」
「友達なんだからそんな事する訳ないじゃないか」

 ぷす、と頬を膨らませてそう言うと、アーサーはぴしりと表情を固まらせてその後直ぐにまた馬鹿、と叫んだ。
 耳に近い位置で叫ばれたので俺は咄嗟に両手を耳に押し当てたけど、わんわんとこだまする音は俺の頭の中をぐるりと駆け巡っていた。もう、アーサーってば怒るとすぐこれだ。鼓膜が破れちゃったらどうしてくれるんだよ!
 うーと唸って恨めしそうにアーサーを見上げようとしたが、今までアーサーが居た場所には既に誰の影も無かった。あれ?
 首を傾げて顔を上げれば、俺が声を掛ける前に居た場所にぼさぼさの金髪が揺れていた。君ってば逃げるの早過ぎなんだぞ。
 しかも俺に対して怒っていた表情は跡形も無く消え失せていて、そこには船長らしい、眉の端を吊り上げて不敵に笑うアーサーが居た。
 普段、仕事をしている時はいつもそんな表情だから見慣れてるつもりだったんだけど、やっぱり服装一つでイメージは変わるみたいだ。ちょっと格好良いんだぞ。
 思わず見惚れてしまう彼の立ち姿をぼんやりと目で追って、俺は甲板の上で片肘をついてその上に頬を乗せた。

「見つけたで、アーサー=カークランド!その首掻っ捌いて見世物にしちゃる!」

 ぴくん、と何かに反応するようにナンツケッツが動いた刹那、けたたましい音と共に聞き慣れた方言を叫ぶ声が辺りに轟いた。
 それと同時に様々な人声がひしめき合って、ぴりぴりとした空気が一気に船を包み込んでいく。
 そんなぶわりと膨れ上がる殺気の中、名指しされた本人がにやりと口を歪ませたのを、俺は見逃さなかった。


 

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見惚れてもアルはきっと自分の方が格好良いと思ってる。なんたってヒーローだからね!

[2010.02.27]