夜明けの海
説明するのはそれ程難しくは無かった。一言「未来からきた」と言えば良いだけの話なのだから。
でもそれで納得出来る人なんてほんの一握り、いやこの世界には居ないだろうと言う低確率なのに。
それなのにこの眉毛は、特に動じる事も無く言い放ったのだ。
「そうか」
そのあっけらかんとした一言を。oh、普段から変人だとは思っていたけれど、ここまですんなり状況を飲み込める程の変人だとは思わなかったよ。
分かってくれたのは有難いんだけどさ、普通驚かないかい?そして有り得ないと思わないかい?俺が嘘を吐いていると疑わないかい?
説明した俺の方が逆にそう問いたくなってしまって、軽く頭を抱えたくなった。ジーザス、この人はどこまで俺の予想を飛び越えてくれるんだい。
未来の恋人だと言うのに彼の思考回路が未来以上に全く分からないんだぞ。あれ、だとしたら未来のアーサーって大分分かりやすい反応をしてるって事かな。フェリシアーノから見ても分かるらしいからそうなんだろうね。
そこまで彼を単純にしたのって何なのかなあ、と少しだけ気になったけど、今はそんな事を考えている場合じゃない。
アーサーがこれほど簡単に俺の話を理解してくれたと言う事は、もしかしたら何か原因を知ってるかもしれないのだ。
「君は元の時代に戻れる方法とか知ってるのかい?」
「いや知らねえな。大体時を遡る奴なんて見る事ねえし」
「そりゃ…そうだけど。じゃあなんでそんなに普通にしてるんだい?驚かないなんて変なんだぞ」
「ああ…まあ、何となく気付いてたからな」
そう言ってアーサーは自分のカップに視線を落とした。まだ少しだけ残っている黒い液体が、船の動きによってゆらゆらと揺れている。
いつもなら紅茶を持っている筈なのに、と先程も疑問に思った事を頭に浮かべて、そこではたと気付く。
コーヒーと、紅茶。そして今の年代、十六世紀。そうだ、紅茶がヨーロッパに渡ったのは今から随分後の十七世紀だったはず。
十六世紀のアーサーが紅茶の事を知っている筈が無いんだ。だからコーヒーを飲んでいたのか。
あれ?でもコーヒーも大々的に飲まれるようになったのは十七世紀に入ってから…じゃあなかったけ。んん?何だか時代が、おかしい。
首をこくりと傾げて頭に疑問符を浮かべると、俺の疑問に答えるようにアーサーが口を開いた。
「まだコーヒーは民衆にとって身体に悪い飲み物だとされている。それを物怖じせずに平然と飲んでるお前を見ると、誰だって変だと思うさ」
「じゃあなんで君は飲んでるんだい?もし本当に身体に悪い物だとしたらどうするのさ」
「人間と一緒にすんなよ。たかが飲み物一つでくたばる程軟な身体じゃねえよ。お前も俺の事を知ってるんだったら分かるだろ、俺が国だって」
「…そうだね、やっぱり君は君だなあ」
「なんだよその反応」
何でもないよ、と口元を緩ませると、アーサーは訝しみながらも残りのコーヒーを飲み干した。
そして一番の理由は美味いと思ったからな、と空のカップをテーブルに置く前にぽつりと呟いた。俺はその言葉に生返事で答えて持っていたカップをアーサーに手渡す。
百年後にはこの答えが紅茶に切り替わってるなんて彼は気付きもしないんだろうなあ。あれだけ沢山のコーヒーショップを作ったのに、勿体無い。
俺の時代じゃあコーヒーはむしろ毛嫌いしてるから、いつもとのギャップの差が激しくて違和感がそう簡単に消える事は無かった。
「次の質問するぞ」
「えーまだあるのかい?もう良いじゃないか」
「良くねえよ。突然現れた侵入者をこのままにしておく訳にはいかねえからな」
「どうせ逃げも隠れも出来ないんだからいつでも良いじゃないか。俺は疲れたんだぞ!」
「…ほう、叩き斬られてえのか」
あ、いやいや別に答えないとは言ってないんだからさ、そんな怖い顔しないでくれよ。帯剣に手を伸ばさないでくれよ!
ぶるぶると音が鳴る位に首を振って冗談なんだぞ、とアーサーを落ち着かせる。じっと睨み付けられたけど俺も負けじと睨み返したら目線を逸らされた。
それから十数分質問攻めにされて、演説の時位に口を動かした俺はへとへとになっていた。
二杯目のコーヒーは話している最中に淹れた所為で少し濃過ぎて、一杯目よりかは苦かった。アーサーも顔を歪めて飲んでいたけれど、そんな表情をするなら捨てればいいのにと言ったら勿体無いと怒られた。
俺は再び高価そうなソファに凭れかかって、アーサーは自分のデスクの椅子へと腰掛ける。ふかふかで座り心地が良さそうな椅子はこれまた高価なものらしく、細かい刺繍が施されていた。
質問は大体予想していたものと同じような内容で、俺の事と未来でのアーサーとの関係、何処までアーサーの事を知っているのかを聞かれた。
素直に関係をばらして良いのか悩んだんだけど、流石にインパクトが強過ぎて彼にはトラウマになってしまいそうな予感がしたので敢えて友人止まりにしておいた。だって、男同士で恋人って、普通ドン引きする程の話じゃないかい?
俺だって最初はびっくりしたんだから。異性との関係が無い訳では無かったし、自分は同性に異性と同じ恋情を抱くなんて有り得ないと思ってたし。
なのになんでこうなったんだろうなあ。気付いたら彼が好きだったし、そうだとして他の同性といちょいちょしたいとは全くと言っていい程思わなかったし。
多分彼と言う存在が好きになった訳で、それがたまたま同性だったと言う事なのかもしれない。ぶっちゃけアーサーが女性だったとしても俺は好きになってたと思う。
性別云々じゃなくて中身に惚れたんだろうな。あーもう、本当に大好きなんだぞ、アーサー!今は堂々と言えないけどさ!
あと話の中で俺が国か、とも聞かれたけれど、答えは曖昧にしておいた。この時代の俺はまだ見つけられてない筈だし、見つけられていた場合に備えて安易にアメリカと名乗る訳にもいかない。
だから質問にはイエスと返答したけれど、何処の国なのかは言わなかった。
アーサーも未来の事については深く追求せず、俺と自分の事を中心に表面的な事だけを質問してくれたので、ちょっとほっとした。
だって未来の話を過去の人にしてしまえば、その人の都合の良いように未来が改変されてしまうからだ。セオリーではその場合、死ぬはずの人が死ななかったりして、死なない筈の人が死んでしまったりするんだ。そして未来からきた人物が帰る場所が無くなってしまう。未来に居る筈の人が居ないから、そこは帰る場所じゃない。だから帰れないって事になる。
そして行き着く先は大体バッドエンドになる。これじゃあフィクションだとしても後味が悪過ぎるにも程があるじゃないか。
俺はそんなバッドエンドに辿り着きたくはないので、危なそうな情報は極力伏せて最低限、彼が俺の事を信じてくれる情報を与えた。本当はこの情報も過去のアーサーにとって、あってはならない筈の情報なんだけど…どうなんだろう、大丈夫なのかな?
まあもう話しちゃったんだから後戻りは出来ないし、もし不都合があれば気絶させて記憶を曖昧にしちゃえばなんとかなるよね、きっと!お酒とか飲ませたら簡単に記憶吹っ飛びそうな気がするし!
うんうん、と頷いて後でお酒の場所を聞かなきゃいけないなあと心の中で思った俺は、ちびちびとコーヒーを飲んでいたアーサーに振り返った。
「それじゃあもう質問は良いかい?俺、船の中を探検してみたいんだぞ!」
「は?まだお前を客人と認めた訳じゃ、」
「ああ、気を使わなくても大丈夫なんだぞ!なんたって俺はヒーローだからね!」
「気なんか使ってねえよ!話聞けよ!」
やなこった!どうせ海に放り出すしか行く宛が無い俺を、君が追い出す訳無いだろう!万一牢屋に入れられても脱出しちゃうしね!
にこりと満面の笑みを浮かべて拒否の言葉を述べると、アーサーは口をもごもごと動かして何か言いたそうにしていた。でも結局出たのは口癖のばかあ、だけだった。
さっきみたいに斬りかかってくれば良いのに(俺的には良くないけど)、今回はそれをしなかったアーサーにちょっと疑問を抱きながらも俺はひょいっとソファから立ち上がった。
アーサーはまだ怒っているみたいだったけどそれは軽く無視をして、踵を返して出入り口のドアを目指す。
うーん、最初は何処に向かおうかな?船底から甲板?それとも逆方向で行ってみようか…いやでも最後の目的地が船底なんて陰湿臭くてやだなあ。じゃあやっぱり船底から向かう事にしようか。
「おい!お前なあ、未来の俺を知ってるからって図々しいにも程があるぞ!って言うかなんでこんな奴と知り合いなんだよ…未来の俺…」
「そんな如何にもがっかりって言う顔しないで欲しいんだぞ、傷付くじゃないか」
「傷付いてしまえ。そしてくたばりやがれ」
「HAHAHA、断るんだぞ!」
それにこんな風に育てたのは誰だと思ってるんだい?今は言わないけど、未来に帰ったら耳が痛くなる程言ってやるんだぞ!
ぽこぽこと頭から湯気を出すアーサーにぷすりと笑い、俺は船長室から飛び出した。後ろからはまだ叫ぶ声が聞こえていたけど、ドアを閉めてしまえば何を言っているのか全く聞き取れなかったので放置する事にしよう。
とんとんと軽快な音を立てて俺は足を船底へと続いていそうな階段へと向ける。でも数歩進んだ所でぴたり、と歩いていた足を止めた。
ああ、そうだ。大事な事を聞くのを忘れていた。彼はまだ俺を客人としてこの船に留めるつもりはないみたいだけど、俺は既に居座る気満々だ。
だったら最初に言うべき台詞があった筈だろうに、滅多に乗らない船に対する好奇心の所為で頭からその事がすっぽりと抜け落ちてしまっていた。
駄目だなあ、と頭にこつりと拳を当てて、俺はくるりと方向転換して元来た道を戻る。
まだ直ぐ近くにあった船長室のドアをノック無しでばたんと開けると、音にびっくりしたアーサーが目を瞬かせて呆けていた。なんだい君、今日は百面相し放題だね!俺は色んな表情が見れて良いんだけど船長さんがそんな顔してて良いのかい!
「な、なんだよお前…戻ってくるの早過ぎだろ」
「びっくりしたかい?いやあ、一つ質問し忘れちゃってた事があってさ」
「…まだ何かあんのか」
「名前!君の名前さ!俺は名乗ったけど君は名乗ってないだろう?」
「ああ?お前は俺の事を知ってんだから名乗る必要なんてねえだろ」
だから聞きに来たのさ、とぱちりとウィンクをすると、アーサーはぎゅっと眉毛を八の字にして不機嫌そうに呟いた。
そして椅子から立ち上がって俺に背を向け、海上が見渡せる窓の方へ視線を揺らす。翻された深紅の外套がばさりと重い音を立てて羽織っている彼の後に続いた。
アーサーの言い分はもちろん分かってる。彼の名前は散々口に出しているし、今更名乗っても意味は無いと思っているんだろう。
けれど、俺は聞いてないんだ。まだ彼の口から、彼の名前を。だから聞きたい。聞く事でここが過去の世界なのだと改めて自覚したい。
「だから…駄目かい?」
「…はあ、嫌だと言ったらどうする」
「反対意見は認めないんだぞ☆って言うね!」
「…。アーサーだ。アーサー=カークランド。…イングランドが、俺だ」
「うん、アーサー!じゃあこれからよろしくなんだぞ!」
なは☆と擬音が付く位ににこりと笑うと、照れ隠しなのか近くにあった本を投げられた。
俺はそれを素早くキャッチしてぽすりとソファに投げ落とし、今度こそ探検に向かう為にドアの奥へと足を進めた。
■back ■home ■next
[2010.02.22]