夜明けの海
泣いたら泣いた分、体内に溜まっていたどろんどろんの思いが全部吐き出されていって、涙が途切れた時にはだるかった身体が少しだけ軽くなった気がした。
アーサーは俺が泣き止むまでずっと寄り添っていてくれたけど、涙が止まったらぱちん、と額を弾かれた。痛かった。
「それで、お前が言う指輪ってなんの事だ」
「…やっぱり言わないと駄目かい?」
「帰りたいと思っているのなら話せ」
くどい、と言わんばかりに睨みつけてくる彼に口をもごもごと言い淀ませて思いっきりしかめっ面をする。
もうここまで来たら後戻りは出来ないんだから、アーサーの言う通り白状するしかない。もし帰れなかったら言われた通りにこの人の記憶をぶっ飛ばせばいいんだから。
それでもやっぱりほんの数秒は考え込んでしまって、再び口を開けようとしたらもう一回デコピンされた。痛いよ!
「〜…っ、み、らいの、君は指輪をしてたんだよ!古い指輪、貰い物だって言ってた!」
「貰いもん?…確かに指輪は何度か受け取った事はあるが身に付けるほど気に入った物は無かったぞ」
「でも君はしてたんだよ、俺があげようとしてたのと同じ銀色の指輪をさ」
「…何?」
ぴりぴりと痛む額を押さえ、自棄になりながら叫ぶと、アーサーはぎゅうっとその特徴的な眉毛を顰めて考え始める。
時々小声で何かを呟いていたけれど、俺にはなんの事やらさっぱり分からなかった。でも考えるって事は心当たりがあるって事なのかな?
ならやっぱりアーサーの得意分野が原因?…そうだったら本当に勘弁してほしい。一般人(国だけど)をファンタジーの世界に巻き込まないでくれるかなあ、全く!
って言うか「受け取った事はある」ってなんだい!?指輪なんてそう簡単にプレゼントとして貰う事なんて無いのに、そっちの方が気になってくるじゃないか!流石に今は聞きたくないから詰め寄る事はしないけどさ。
頭から湯気を出してぽこぽこと怒る俺を、全く気にしていない様子でアーサーは口元に指を添えてまだ考えているみたいだった。
あーでもない、こうでもない、とぶつぶつ呟く姿は真剣そのもので、本当に俺の事について考えてくれているのかと疑いたくなってくる。だってあのアーサーが、俺の為に協力してくれてるんだぞ?明日は雪が降りそうな程異常な事じゃないか!
優しくしてくれるのは素直に嬉しいけどさ、デレの部分が多くてびっくりしちゃうよ。出会った時のあの冷やかな目は何処に行ったんだい?面影が全く無いんだぞ(まあその方が有難いんだけどさ)!
彼の中でどう言った心境の変化があったのかは分からない。けど嫌悪されなかったのは良かったと思う。嫌われちゃったらそれこそバッドエンドルートしか待ってないしね。
「…、…なあ、確認してもいいか」
「構わないよ。何だい?」
「お前は未来の俺に指輪を渡そうとしてた。けど未来の俺は、お前が渡そうとした奴と同じ指輪を既に付けていた。…そうだよな?」
「うん、それで合ってるよ。まあその後直ぐにここに来たから結局渡せず仕舞いだったけどね…、あの状況じゃ渡せなかったけどさ」
「…今その指輪は何処にあるんだ?」
「え?このジャケットの中に入ってるけ、ど…って、君、まさか」
首を傾げてアーサーの問い掛けに答えようとした俺ははた、と言葉の途中で彼が何を言いたいのか気付く。
まさか、この人は本当に…俺が過去に来た原因が指輪だと思っているのか?
ちらりと横目で彼を窺ってみると俺の考えを読んだのか、アーサーはこくり、と小さく頷いた。
そして急かすように掌が差し出される。…早く出せ、ってかい。
俺は仕方無しにジャケットに手を突っ込んで、ポケットの中に入っているであろう小箱を探る。そんなにポケットも大きくないから、直ぐにかつん、とお目当ての物が指先に当たった。
俺の手の中にすっぽりと収まったそれを取り出して、アーサーの掌の上にちょこん、と乗せる。
黒塗りの箱は最後に見た時と何ら変わり映えはしていない。真新しくて汚れの無い黒くて小さな箱。
アーサーはその箱を目を細めてじっと見つめ、半分に割れた箇所を押さえて箱を開く。本当は未来の彼に開けて貰おうと思ってたんだけど、こんなシチュエーションもたまには悪くないな。
かぱり、と音を立てて開いた箱の中身を、俺も覗き込んで確かめる。うん、買った時と変わらない、新品の指輪だ。
まじまじと見つめても特に変わった点は見つからないし、俺が見た限りでは何の変哲もない普通の指輪だと思うんだけど…これが本当に過去に来た原因なんだろうか?
口を尖らせてお隣の彼に問い質そうと顔を上げたら、何故かアーサーは目をぱちぱちと瞬かせてびっくりしてるみたいだった。
「アーサー?」
「…なんでこいつが居るんだ?」
「え、何の事だい?ちょっと」
「まさかお前の仕業だったのか?…なあ、ピクシー」
…。…oh、きっと今のは何かの聞き間違いなんだよね、そうなんだよね、だからお願い、そんな何もない所に話しかけないでくれよアーサー!
この時代の君も幻覚を見ているのかい!もう本当にいい加減にしてくれよ!今度良い病院に連れて行くからさあ!
俺が頭を抱えてジーザアアアス、と叫んでいる間にも、アーサーは手に何かを乗せた仕草で頻りに頷いたり、喋っているようだった。でも、俺の視界ではアーサーの手の上には何も居ない。あるのは指輪の入った箱だけだ。
彼の目に映っているであろう幻覚は所謂、妖精さんと言うものだ。アーサーは不思議万歳なファンタジー大国だから、俺が見えないものも平気で見えてしまう。
でも俺はその妖精さんとやらを全くと言って良いほど信じちゃいない。だって、見えないんだから居ないって事じゃないか!
アーサーは俺がそうやって妖精さんの存在を否定すると酷く落ち込んだり凄く怒ったりするけど、やっぱり見えないんだから俺には理解しがたいんだ。
それに、俺から目を離されるのは嫌だし。…見えないものに嫉妬するなんてしたくないのにさ。今だってそう、俺が知らない所で何を吹きこまれているのかと考えると胸の奥がもやもやしてくる。
それが未来に帰る為に必要な事だとしても、だ。
「ねえ、そこに君の知り合いが居るのかい?原因はやっぱりそれ?」
「…お前には見えないのか。話を聞く限り、どうやらそうみたいだ。…お前、未来でこいつ等に何したんだよ、すげえ怒ってんぞ」
「知らないよ!もう原因が分かったんだったら早く会話を終わらせて貰えるかな!」
そうじゃないとまた余計な事を口走っちゃいそうだよ、それこそ君の言う「彼等」が怒りそうな幻覚を否定する言葉とかをさ!
がりがり頭を掻き毟って口をへの字に曲がらせ、あからさまに不機嫌な感情を彼に叩きつける。
アーサーはよく分からないと言った表情で首を傾げ、また妖精さんと一言、二言と喋り始めた。けれど今度は俺が怒ったからか、直ぐに会話はストップして綺麗な緑色の瞳がこちらを向く。
ぱちりと目が合うと、瞳の中には俺の顔が映り込んでいて目尻が腫れているのが見えた。あーあ、俺ってば酷い顔してるんだぞ…。
「ん…まあこいつが言うには俺とお前の為にした事らしい、だからそんな怒るなよ。事が済んだら元の時代に帰すって言ってるし」
「怒ってなんか無いんだぞ!それより、事ってなんだい?」
「ああ、俺にこれを渡したかったらしい」
「渡したかったって…指輪を?」
とんとん、と人差し指で箱を叩いたアーサーは俺の問い掛けに頷いて、また誰も居ない所に一言だけ話しかける。
確認するようにそうだよな、と呟いた彼に、俺は幾度目かの溜め息を吐きそうになって危うく寸での所で息を飲み込んだ。危ない、未来で毎回のように呆れてしまっているから同じ事をしようとしてた。
こんな所でアーサーを怒らせてしまったら未来に帰っても後味が悪過ぎるんだぞ…。
でも、彼の言う話はこれで大分飲み込めた。不本意だけど、俺が未来に帰るには妖精さんに頼るしかない事も分かったし(彼等が原因なら俺が頑張ってもどうしようも無いじゃないか!)。
そして何となく、俺がこの時代にタイムスリップしちゃった理由も今分かった気がする。
推測が正しければの話だけど、話を纏めると行き着く答えがそれしかないんだから、きっとこの推測は間違ってないと思う。
始まりは俺がショーケースの中の指輪を見た時からだ。あの時から俺は過去に行くと言うフラグが立っていたんだろう。
未来のアーサーが指輪をしていたのは俺があの時指輪を買ったから。
そして彼の身に着けていた指輪は今現在ここにある、あの時の指輪。この時代にこの指輪があるからこそ、彼は未来で俺が買った指輪と同じ物を身に着ける事が出来たんだ。
全ては俺の勝手な推測でしか無いけれど、辻褄が合う答えはこれ以外に見つからない。
まあ、この場合矛盾点も幾つか現れてくるんだけどね。その代表を一つ挙げるとしたらこの推測の場合、一時的に未来では二つの指輪が同時期に存在している、という事だ。
唯一の物である筈の指輪が同じ時間に二つも存在する事は有り得ない。けれどあの時、確かに俺のポケットの中にも、アーサーの手の中にも、指輪はあったんだ。
…あった、んだけど、本当の所はぶっちゃけ分からないんだよね。だってそれを目の当たりにした訳では無いから。
確信を得る為には二つ存在していたであろう指輪の両方を同時に見なければならないんだから。えっと、こう言うの何て言ったっけ…。あ、そうそう、シュレーディンガーの猫って奴だ。
箱の中身を見るまでは猫が生きているのか、死んでいるのか分からない。その状態を目視する事は不可能である。何故なら、箱を開けてしまえばどちらか一方の答えしか出てこないから、って話だったかな。
俺が考えるに、そんな感じの曖昧で不確定な要素が二つの指輪の中でも発生してたんじゃないかなあ。猫を指輪に置き換えると、箱はきっと俺のポケットの中の方かな。
あの時、俺は箱の中身を直ぐに確認した訳じゃあ無いから、その存在は不明確だった。開けていないんだから入ってないかもしれないしね。
入っていなかった場合、未来に存在している指輪は一つだから、先程のおかしな点は解消される事になる。けれどもし入っていたら、矛盾点はそのままって事。
どうせ見てないんだから、その真相は闇の中なんだけどね!とどのつまり、それは誰にも分からないって事!
「それに、過去にタイムスリップしてる時点で根本的におかしいんだから、現実的に考えようとしても無駄だしね…」
「あ?なんか言ったか?」
「いやー、妖精さんと戯れる君もかわいいなーって言っただけだよ」
「棒読みだぞ、ってか可愛くねえよ!」
べしり、とツッコミを入れてくるアーサーにDDDDと笑って彼のぎゅうっと身体を抱き寄せる。
彼にとってはそれも負担になってるかもしれないけど、つい腕が伸びちゃうんだよね。だってあとちょっとしか海の香りがする君に触れられないんだし。
だから怒られたとしても謝らないんだぞ!…って痛っ、痛いってば!ナンツケッツ引っ張らないでくれよ!
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[2010.07.11]