夜明けの海


 目の前が薄暗くて何が起こっているのかよく見えない。
 まるで自分が自分じゃないみたいに、俺の意思はぽかりと宙に浮いている気分だ。他人の目を通して見ているように、世界がぐらぐら揺れている。
 時々横切る金色の糸はゆらゆら、海の中を漂う如く自由に動き回っていた。
 あちこちに視線が泳いで自分も海に潜っている気さえしてくる。ゆらり、ゆらり、身体が大きく揺れる。
 一際大きい揺れを感じれば、ぼかしが掛かったように目の前がじんわりと滲んだ。鼻がつんとして涙が出たのだと遅れて気付く。
 流れに身を任せて漂う事は忙しい自分にとって、とても新鮮で心地が良く思える。溜まっていた疲れが吐き出される感覚は悪くない。
 深い水底に沈んでいっているんだろうか、目の前は幾秒前より闇が広がっていた。

「…アーサー、平気かい?」

 もう目を閉じた時と同じほど何も見えない世界に、ぽつりと声が木霊する。
 薄く開いた瞳からぽろりと流れて行くのはさっき流した涙だった。そのあと直ぐに誰かの息が詰まる音が近くで聞こえる。
 名前を呼ばれた気がして重い頭をかくん、と傾けると、またさっきと同じテノールの優しい声が耳に入ってきた。
 沈んでいく心地良さの中に浸りながら、その声に一つ一つ呼応していく。いつもは雑音に聞こえる音が今はとても気持ちが良い。
 身体全体がしっとりと得も言われぬ心地に包まれる。気を抜いたら意識が簡単に飛んでしまいそうだ。
 ふわふわ、くらくら、深い海に溺れていく。母なる海に還って行く、意識が、消えてなくなる、青い青い海の色に溶け込んでいく。
 ちらりと視界に過ぎる青に酔いしれる。そう、こんな青い色に全てがどろどろに溶けて…、―どろどろに?

「あ、?」

 おかしい、どろどろになるのは俺じゃあ、なかった筈だ。なのにどうして、俺は今溶けようとしているんだ?
 焦点が合っていない目が左右に揺れ動いてピントを合わせる為に一点に集中する。見つめたのは先程の煌めく青色だった。
 …あ、るふれ、っど?
 自分の意思で舌を動かして記憶の中の顔を思い出す。ぼんやりと浮かんだ瞳の色が目の前の色と重なって、急に現実に引き戻された気が、した。
 あ、れ。俺、なにしてるんだ。否、なにされてるんだ。時間がおかしい、確か一番新しい記憶の中じゃあ、まだこんなに辺りは薄暗く無かった筈だ。
 いつの間に日が暮れたんだ?そもそも俺はどうしてこんな状態になっているんだ。変に、下腹部が、きもちい、い?
 …ちょっと待て、理解したくないワードが出てきた。なんだ、どうしたんだ俺。なんで、何で俺が…突っ込まれてんだ?
 しかもこの体勢はもしかしなくとも騎乗位じゃねえのか。暗い所為で詳細は分からないけれど、俺が座っていて下から熱を感じるのだからそうなんだろう。
 いや、いやいやいや。問題はそこじゃない、気にすべきはどうして俺が突っ込まれてるか、だよ。確か記憶があやふやになる前は俺がリードしてなかったっけ?そして俺も思っていた筈だ、「こいつでも良いから突っ込みたい」と。
 なのに気付いたら俺が突っ込まれてた。しかも初めての癖に既に後ろはぐっちゃぐちゃになってるし。奴の精液が大半だろうけどもしかして自分のも含まれてるんじゃないだろうか。うわあ、これじゃあ本当に女みてえじゃねえか。
 分からない事だらけ、理解不能な現在の状況に頭がパンクしそうだ。さっきの心地良いまどろみは何処に行ってしまったんだ。ふ、と我に返った自分を呪いたくなったぞ(…でも我に返らなければ今の状況はずっと続いてたんだろうか)。
 そう思うと無性に頭を掻き毟りたくなって、シーツを掴んでいた手を髪へと移動させる。ぱさりと音が鳴った事に気付いたのか、下から微かに振動が寄越された。

「っあ、ぅ」
「アーサー、ほんとに平気?さっきから声、でてないよ」
「…いや、だ。出したくな、い」
「どうして?いままで散々あんあん言ってたのに」

 うわああ、何だそれ無自覚で喘いでたのかよ俺、馬鹿、死にたい!嘘だと言ってくれ!
 ぐらりと揺れる身体は下からの動きと同調して突き上げられる度に肩が跳ねる。びりびりと脳天まで感じた事の無い痺れが伝わって裏声が出そうになった。
 なん、だよ、これ。女とセックスしてる時とは全然違う。身体全体が快楽に蝕まれていきそう、何も考えられない。
 絶えず繰り返される水音にも脳が刺激されて熱の中心が反応してる。とろりと流れた液体は以前に流れた形跡を伝って下へと落ちて行って、自分も記憶がぶっ飛んでいる最中に何度か達していたのだと分かった。
 こいつが俺の部屋に飛び込んできてから、どれくらいの時間が経ったんだろう。最後に見た太陽の位置からして数時間は優に超えている筈だが、夜になったのは最近だろう。
 真夜中になって無い事にほっとして(いや夜になっているのだからまだ気は抜けないか)、ぶっ飛んだのが行為に及んでから直ぐだと気付く。理性が吹っ飛ぶのは今までにもあったけど、ここまで早いのは初めてだ。そして行為中に戻るのも今回が初。
 いつもなら全部が終わった後に眠りこけて目覚めるのに、どうして今回に限って突っ込まれてる最中に正気になるんだよ、馬鹿。
 くそ、俺が突っ込んでやろうと思ったのに、なんで突っ込まれてんだよ。俺はこの船の船長で、大英帝国なのに。こんな未来からきたちっぽけな奴に身体を開く事を許すなんて。
 そりゃあ、最悪の場合最後まで致してしまうんだろうなあとは予想してたけどさ、まさか俺が女役だとは…予想の範疇を軽く超えているにも程があるぞ。
 こんな事になるならやっぱり助けなきゃ良かったかもしれな、あ、馬鹿、そんなに大きく揺らすな、声がで、る。

「やぁ、ん、ああ」
「えっろ、い」
「っく、ふ…!ん、ぁあ」

 びりびりと来るリズムに合わせて身体が跳ねて声が出る。女と同じ位甲高い嬌声が自分から発せられているなんて思いたくなかった。ああ、死にたい。
 普段ならこんな変な声なんて出る筈が無いのに、同性とのセックスってこう言うもんなのか?いや、でも初めてなのにこの何とも言えない感覚は、一体何なんだ。
 実はそっち系の資質があったとか?流石にそれはねえよ、つか思いたくねえ、…有り得ない。…でも拒絶はしなかったから根本からの否定は出来ない訳で…、くそ、今までその気なんて全く無かったのに。
 それなのに突っ込まれて善がって、意識さえぶっ飛ばされて。これじゃあ、否定したくても出来ないだろ、ばか。
 頭が仰け反って意識が無くなる前のアルフレッドと同じ姿になる。けどもう部屋の中は真っ暗だから気付かれる事は無いはずだ。
 荒い呼吸と共にかちかちと歯が鳴って口元に手をやると、また下からずくり、と大きな振動がやってくる。口を塞ぐのが遅かったのか、反った喉からひゅっと息が詰まる音がして危うく咳込み掛けた。
 ずるりと俺から出ていったかと思えばまた直ぐ同じ場所を貫いてくる。何回もアルフレッドのペースで動かしてくるからまともに呼吸なんか出来なかった。

「な、あ、お前、ちょっとは加減、しろ、よ」
「いやなんだぞ、ヒーローはいつも、全力をださないと」
「こんな所で、出すなばか、っ!」

 ぶー、と見えない視界でもブーイングをされた事が分かってちょっとだけ斬りかかりたくなったのは秘密だ。
 アルフレッドはどうやら俺がそろそろ止めて欲しいからそんな台詞を吐いたのだと思ったのか、ぽつりと「まだ止めないんだぞ」と呟いて俺の身体をぎゅう、と両手で抱きしめた。
 ぴたりと密着した肌は双方とも汗ばんでいてぽかぽかに火照っていた。その中でもふわりと鼻に付く石鹸の香りはアルフレッドの髪の匂いだ。動きに合わせてさらさらと頬を撫でるそれはとてもくすぐったい。
 思わず目を細めて顔を奴の肩に押し付けると、アルフレッドも俺の肩口に頭を寄せてくる。ぴりっとした痛みがあったけど、それが何なのか確認する事は出来なかった。

「あーさー、好きだよ」
「…それは未来の、俺だろ」
「でも君もすきだよ」
「…そーかよ」

 ああ、また目尻が痛くなってきた。なあ、今度はどれに対しての涙なんだ?気持ちがいいこと、嬉しいこと、愛してくれたこと?
 どれも今までの俺には与えられなかったものばかりで現実じゃあ無いみたいだ。でも夢心地な気分だとしても、今のこの状況は何物でもない、真実であり、現実。
 理解しているからこそ溢れ出てくる涙を止まらせる事が出来ない。くそ、こんな姿、こいつになんか見せたくないのに。
 例え真っ暗だとしても、こればっかりは気付かれるだろう。ぽたりと落ちる涙の先には奴の背中があるのだから。
 回された腕に力が込められて息が詰まる。口を開こうとしたら、まるで言葉を遮るようにごぷり、と音を立てて貫かれた。
 ちかちかと目の前で星が飛んでまた意識がぶっ飛んでしまいそうだ。あ、やばい、くる、かも。

「っ、ん…、あ、あ」
「出る?」
「ああ、いきそ、っ…」

 触った自らの性器はとくん、と液体を流していて、限界が近いみたいだった。それを両手で扱ってじりじりと理性を追い詰めて行く。
 アルフレッドもまた達しそうなのか、俺の中に入っている性器が大きくなった気がした。お前、もう何度目なんだよ。そろそろ出しきってもいい頃じゃないのか?
 それだけ薬の効果が強いって事なのか、はたまたこいつが元気なだけなのか、俺には知る由も無い。でもさっきから声が妙に甘ったるいから、きっとこいつも理性がぶっ飛んでるんだろう。
 次に起きた時にどう言う反応をするのか楽しみだ。第一声は何だろう?また謝罪の言葉か、それとも良かったよ、とか?…それは無いか。
 まあとにかく、俺もまた思考がぼんやりとして来たから大人しくこの与えられる快楽に酔いしれる事にするとしよう。
 …次に起きた時に周りが明るくなっていない事を祈って。

「あ、ああ、ぁ…っ」
「っん…!」

 そうして俺は再び底が見えない海の中へと沈んでいく。
 ゆらゆら、揺れ動く世界の中で青い色はもう、見る事は出来ない。それでも俺の脳裏にはしっかりと、奴の瞳の清々しい程の青色が焼き付いていた。

 ああ、どうやら俺もこいつに引けを取らない程の変態になってしまったらしい。(こんなに奴の色を思い浮かべただけで心地が良いとか、何だよこれ!)


 

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書いてる人の頭の中が何だよこれ!なんだか気持ちが行ったり来たり。

[2010.05.09]