プラトニック・ラブ


 舌を噛まずに済んだから良かったとか、こいつわざとダメージがアップする角で殴ったとか、そんな事はどうでもよかった。
 真っ先に訪れたのは呆然とした感情。その後に殴られた事を理解して直後に訪れたのは、表現しがたい程の痛みだった。
 口からは痛みに負けて変な声しか出てこない。言葉を紡ぐことなんて出来なかった。
 おおう、とか、くああ、とか、頭を押さえて口を尖らせて小声で叫ぶ。
 どうやら血は出ていないらしかったが、あまりも大きかった衝撃は一向に治まりそうになかった。
 木箱とは言え角の破壊力は異常だ。これが鉄だったりしたら…想像もしたくない。
 幸い少し大きなたんこぶが出来ただけで傷が増える事はなかったが、それでもフランシスが噛ました鉄拳が一番痛かった。
 なんだか制裁が与えられる毎にグレードアップしているような気がするよ。アーサーのビンタから始まり、菊のハリセン、フランシスの救急箱(角)。
 どうして俺はこんなに怒られているんだろう。全ての元凶なのはもう承知の上なんだけど、事あるごとにこんな仕打ちを受けるなんてあまりにも酷すぎやしないかい?
 膨らんだたんこぶを優しく撫でつつぽろりと流した涙は頬を伝う事なくシーツの上に落ちていった。

「ぅうう…」
「大方予想はしてたんだけどなぁ…ぶっちゃけ過ぎだぞお前」
「だから、って、角で殴ること、ないじゃないか…」
「愛の重さってやつに比べると大した事ないだろー」

 大した事あるよ!十分すぎるほどにね!
 俺だから大丈夫だったのかもしれないけど、一般人にそんな攻撃したら絶対気絶して病院送りになると思うよ!
 最悪記憶ぶっ飛んでるかもしれないし…そう思うと本当に国と言う存在でよかったよ!ちょっとやそっとの事じゃ死にはしないし…でも痛みはあるから良いとは言い切れないか…。
 はぁ、本当に今日の運勢は最悪だなぁ…今日は13日でも金曜日でもないのにさ…。
 シーツに大きな涙の染みを作り、きっとフランシスを睨みつける。でも、あまり効果は無いようで、フランシスはそっぽを向いて口笛を鳴らしていた。
 仕方なく溜め息を吐いて痛む頭を冷やすものがないか辺りを見回す。
 医務室に居た事もあってか、冷たいジェルが入ったパックを見つけるのに然程時間は掛からなかった。

「それで…さっきの話の続きだけど」
「え、なんだっけ?」
「…俺が殴られた衝撃で忘れると思ったのかい?」
「あー、悪い悪い。うん、悪かったから、お願いだからハサミ向けないで!こわいよ!」

 さっきのお返しとばかりにじろりと振り返り様にハサミを光らせると、冷や汗を垂らしたフランシスが音が鳴る程首を振った。
 どうやら続きを話す事はしてくれそうなので、咄嗟に掴んだハサミをペン立てに戻す。カシャン、と金属音が辺りに響いて少し五月蠅かった。
 もっと丁寧に扱えよ、と再び椅子に腰を下ろしたフランシスが肩を竦めて言うけれど、軽く無視をする。
 ちょっとの衝撃で壊れるほどの代物でもないし、壊れたら作りが甘かったのだと言えばいいだけの事。別に少しくらい乱暴に扱っても大丈夫だろう。人に向けるのは危ないけど。
 それよりも、さっきのフランシスの言葉が気になって仕方ない。制裁は受けたし、些細な話の脱線で肝心の話を有耶無耶にしたくないのだ。
 ぽこぽこと頭から湯気を出しながらむくれてベッドの上に乗る。ひんやりとしたパックは頭の上に固定して、俺はまたシーツに包まって胡坐を掻いた。

「で、どうして俺とアーサーの組み合わせが危ないんだい?」
「あー…、俺が言っちゃって良いのかねぇ。こう言うのはあいつが自分で言うべきなんだろうけど…」
「俺が許す」
「いやお前が許しても…。はぁ、…まあ言ったからには仕方ないか」

 ふわふわしたウェーブの髪をぐしゃぐしゃと掻いたフランシスは眉間に皺を寄せて呟く。
 そんなに悩む事をアーサーは俺に隠していたんだろうか?しかもフランシスが知っていて、俺が知らないような事を。
 そりゃ、人には一つや二つ、三つや四つ位隠し事があるのかもしれないけれど、あんな嘘が下手そうな彼に隠し事があるとは思えなかった(と言うと酷いか)。
 あ、アーサーが自覚していなくてフランシスがそれに気付いているって言う事も…いや、今のフランシスの言動だとアーサーは自覚してるのか。
 …って言うかフランシスがそんな所まで知ってるなんて思うと嫉妬以上に殺意を覚えてしまうよ。ああもう、アーサーが自覚してない事をフランシスが気付いてるなんて考えるんじゃなかった!なんだよそれ!まるで二人の仲が良いように見えるじゃないか!
 …。……うん、今自分で思った言葉で傷付いた。…二人が仲良く話してるシーンが浮かんで余計に傷付いた。
 フランシスには後でとびっきりのレインボーケーキを食べさせてあげよう。俺にとってはご褒美なんだけど、奴にとっては逃げ出したい程の拷問に違いない(あんなに美味しいのにさ!)。

「お前、あいつが誰かとセックスしたって話、今まで聞いた事あるか?」
「(こうして見ると八つ当たりしてるなぁ、俺)…いや、無いけど」
「まあ俺も聞いた事無いから当たり前か。…しかし、となるとあいつまだ純潔とか言ってるんだなぁ」
「…なにそれ?」

 眉をひそめてフランシスに話の続きを催促する。
 確かに生まれてこの方、アーサーが誰かと寝たなんて話は一切聞かない。それは彼が俺の耳に入らせないようにしたのかも知れない、と思っていたけれど、そうでも無かったようだ。
 為りが子供から大人になって、初めてアーサーがエロいと言う話を耳にした時はびっくりしたなぁ。どんな風にエロいのか、あの時は恥ずかしくて聞かなかったんだっけ。
 時が経つにつれて酒が弱いだの、酔ったら脱ぎ出すだの聞いて正直ドン引きしたのはいい思い出だ。だって独立するまで料理がまずい事しか彼の欠点を見つける事が出来なかったんだから。
 いつも優しく笑ってくれて、俺が寝付くまで話してくれて、頭撫でてくれたり抱っこしてくれたりして、親のように慈しんでくれた。
 そんな彼のイメージがガラリと変わったのは新鮮だったなぁ。今となっては呆れると共に可愛いな、と思っちゃうんだけどさ。

「あいつ、前に元ヤンとか言われてたの知ってるだろ?大分タチの悪い性格してたんだけどさ」
「ああ、そう言えばそんな話も聞いたね。今じゃ面影無いんでしょ?」
「綺麗さっぱりって言う程な。でも今日のあの冷やかな目は昔に戻った感じだったぞー」
「…へえ。で、それが何か関係あるの?」

 顎に手を添えながらフランシスは目を細め、昔を思い出しているようだった。
 俺がアーサーに会う前、彼は海賊なんかもやっていたらしい。アントーニョの所の無敵艦隊を倒したりしてたみたいだし、世界に名を馳せていたようだ。
 アントーニョから太陽の沈まない国の名を奪っちゃったりするんだから、当時の実力は凄かったんだろうなぁ。
 あの頃は今のひょろりとした細い身体じゃなくて、もっとがっしりとしていたらしい。多分沢山着こんでいた所為もあるといっていたけれど、今のアーサーと比べるとまるで別人のようだとフランシスは言う。
 正直その頃の話をされても、俺は生まれてから今のアーサーしか見た事無いので、元ヤンと呼ばれる海賊時代があったのだと言われてもいまいちピンと来ないのが本音だったりする。
 想像しても今のアーサーが頭に浮かんで全然強そうに見えないし。
 一体大英帝国様をそこまで衰退させたのは何だったんだろう。…あれ、もしかして俺?まっさかー。

「あの頃は何でもありだった時代でさ、敵を倒すためにはどんな事でも許されたのよ。で、あの時代のアーサーは元ヤンだから、結構酷い事やってたみたいなんだよな」
「例えばどんな?」
「軽いもので拷問とか言いつつ指一本ずつ銃でぶち抜いてたらしいよ」
「…うわあ」

 言葉に出されただけでも痛々しい行為を一瞬だけ頭に浮かばせてしまって後悔した。
 しかもそんな事をあのアーサーがやっていたと言うのがまた驚きだ。軽いものでそれなんだから、きっともっと凄い事をやっていたんだろう。想像付かないよ!何してたんだよ当時の君は!
 背筋がぴんとなる位に寒気が走って肩が震える。鳥肌が立つ腕を擦って、俺は眉間に皺を寄せた。

「ま、そう言う事がある時代で相手を屈服させる術って言ったらなんだと思う?」
「考えたくもないんだけど」
「ありゃ、お子様には刺激が強す…ごめん悪かったから睨まないで!…げほん。で、話を戻すけど…その方法ってのが簡単に言うと相手を犯す事なんだよ」
「…。それ、アーサーもやってたのかい?」

 確かに相手に対しては侮辱行為になりえるのだろう。戦う相手はもちろん男。やる方も男だとすれば、それはかなりプライドに傷が付くはずだ。
 見下し、蹂躙し、陵辱し…きっとプライドが高かった者達には死よりも酷い仕打ちだったのかもしれない。
 そんな行為を許された時代にアーサーが生きていたなんて、考えたくもない。…あ、いや、俺が言った犯すって言うのは愛あればこその話だからね!無理矢理とかしないよ!
 元ヤンとか言われていたんだから、もしかしたらアーサーも戦術としてその行為をしていたのかもと思ってしまったけれど、フランシスが言った答えはNon、つまりはいいえだった。
 否定の言葉にほっとして(戦術だとしてもしてほしくないよ!)胸を撫で下ろすけれど、フランシスの顔はそれほど晴れやかと言う訳じゃ無かった。どちらかと言うと曇り空だ。

「どうしたんだい?」
「普通なら正統派で良いんだろうな、とは思うんだが…あいつはそう簡単なものじゃないんだよ」
「言われてみればそうだね。…俺が言った事にもビンタしてきたし、その後の態度は…照れ隠しじゃないよなぁ」
「あれで照れ隠しだったらそれはそれで凄いけどな。…あいつな、誰かとセックスするの極端に嫌う潔癖症なんだよ。それも重度の」
「は?エロ大使なのに?」
「そ、エロいのにね。だから今まで身体を交わらせた人も居ないし、本人が言うには自分でした事も無いらしいよ」

 いやいや、流石にそれは無いだろ…と疑いの目でフランシスを睨むが、思いの他その表情が真剣でびっくりする。
 え、いや、だって、俺よりずっと長いながーい、果てしなく長い年月を重ねてる人がだよ?自分でした事無いって…欲求不満になったりしないのかい…?俺なんか君の事考えたら我慢してても一週間で爆発するのに!
 ぽかんと口を開けて呆然して、嘘だろ、と呟いても、フランシスの返答は相変わらずNonだった。


 

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アルのターン長いしエロいしアーサーの潔癖症のレベルが半端無いし純潔過ぎるし何これ。
流石に四桁生きてるんだから一人でする位は経験あるだろうに…本当にアーサーは魔法使いですn(

[2009.10.01]