プラトニック・ラブ
「うわあもう最悪だよよりにもよってフランシスの髭野郎にみっともない所を見せたかと思うと…うわああああ」
「あー、現実に戻ってきてくれたのは嬉しいけどそんな言い方されるとお兄さん悲しいんだけど」
「髭なんて無くなればいいんだ!と言う訳でフランシス、口封じさせてくれないかい」
「キスなら歓迎だけど流石に直球で死ねと言われるとお兄さん困るわ」
「なんでだい!軽くサクっと殺っちゃうだけだからいいだろう!」
よくないよ!と全力で首を振るフランシスにぶー、と頬を膨らませる。
その間にフランシスが右手にこびり付いた血を拭き取り、コットンに消毒液を染み込ませて傷口に当てる。
血は大分固まっていて痛みは全然感じなかったけれど、フランシスに手当てされる事に屈辱を感じてベッドの上で足を曲げて縮こまる。
白くて清潔なシーツは皺を寄せて影を作り、しっとりとした感触が俺を包み込んでくれた。
空はもう夕焼けを通り越して夜の兆しが出始めている。部屋の電気が明るく感じるのはその所為か。
まだ一番星は見えない色褪せた空を一度だけ横目で見て、フランシスの手当てをぼうっと見る。
あの西洋の大陸を生き抜いてきたからか、手付きは随分と手慣れている。
テキパキとガーゼを当てて包帯をくるくると巻く仕草は医者と同じ位に上手だった。
数秒後には完璧とも言えるほど、綺麗に巻かれた包帯が俺の右手にあった。
「はい、終わり」
「うわぁ…フランシスに手当てされちゃったよ」
「なにその「うわぁ」って…本当に兄弟揃って可愛くねえなぁ」
救急箱を戸棚に仕舞い、眉尻を下げて如何にも悲しそうに涙を浮かべるフランシスを軽く無視して(だってどう見ても演技じゃないか!)皺が寄ったシーツを手繰り寄せた。
ぐしゃぐしゃになったそれは医務室に備え付けてあったもので、部屋に置いてある数台のベッド全てに綺麗に皺無く敷かれているものだ。
シーツを顔に寄せると独特の消毒液の香りに混じって太陽の香りが鼻を擽る。
この太陽の香りがふわふわとした気持ちになるから子供の頃からずっと好きだった。
俺の大陸は晴れの日が多かったし、草原で日向ぼっこをして遊んでいた所為もあるんだろうな、きっと。
それに比べてあの変な形の島国は雨が多いしジメジメしてるし飯がまずいし…あそこに行けば行くほど気分が沈んでしまいそうだよ!
あの国が陰鬱な空気をしているのはきっと彼の所為なんだろうなあ、その所為でずっと雨なんだ。あーあ、本当に君って奴はネガティブだよねぇ。
って今の俺が言っても効果は無いんだろうなぁ。俺も今現在はネガティブ一直線だし。きっと本国もどんよりとした雨模様かもしれない。
「うぁー、うあうあうー」
「そこでウダウダ言ってもどうしようも無いだろうに」
「うるさいぞー、鬱なんだから仕方ないじゃないかー」
「そうは見えないけど…ね」
シーツに丸まってごろごろとベッドに寝転んでいると、フランシスが直ぐ近くにあった椅子に腰かけた。
なんだ、帰らないのか、と嫌そうに口を尖らせると、呆れた顔で「放っておけないって言ったでしょ」と俺の額にこつり、と軽く拳を当てた。
そんな事を言っても、俺はフランシスと喋る事なんて一切したくない。しかもアーサーの話題だとすれば尚更だ。
絶対に何か言われるに違いない。と言うか、アーサーがあれだけ怒ったシーンを間近で見たんだから、お叱りを受けるのはほぼ確定だ。
菊みたいにハリセンをぶち噛ます奴ではないけれど、原因が恋愛事情なんだし、もしかしたらハリセン以上に痛いものが飛んでくる可能性がある。仮にも愛の国と呼ばれるだけあって、そう言う話には敏感なんだ、奴は。
ついでにここは医務室だけあって鋭利な刃物がわんさかある場所なのだ。…うわぁ、メスとか飛んできたらどうしよう。
手当てしたばっかりなのに怪我なんかしたくないので、わざとシーツを深く被ってフランシスから視線を逸らす。
その俺の仕草に反応して、彼はシーツを引っ張って俺をみの虫状態から引きずり出そうとする。
けれどそう上手くはいかない。なんたって俺は国々の中でも力が強い。腹に溜まっている肉の所為でメタボ呼ばわりされる事が多くなってきたけれど、断じてメタボなんかじゃないんだぞ!
自分でも力が強いのは自覚しているし、フランシスごときに負けるとは全くと言っていいほど思ってない。
と言う訳で、フランシスは包まったシーツを剥がそうと必死になっていたけれど、俺の腕はピクリとも動きはしなかった。これ以上力を入れると、逆にシーツの方が破れてしまいそうだよ。
「あーもう、世話掛けさせるなよ坊ちゃん」
「掛けなくていいから帰っていいよ」
「だからそれだと…。…はぁ、平行線だな…」
俺からシーツを取り上げる事を止めたフランシスはがしがしと頭を掻いてどうしたものか、と項垂れた。
だからそのまま何も語らずUターンしてくれれば良いんだけど、と小声で言ったら軽くスルーされた。
どうしてもフランシスは俺から話を聞き出したいらしい。他人事だと言うのに、お節介ったらありゃしない。
愛の国とは言え、流石に他人の恋愛事情に首突っ込んでほしくないんだけど、と横目で睨むと、阿呆かと叩かれた。痛い。
「そりゃお兄さんだって他人の領地踏み荒らすような事はしないよ」
「今物凄くしてると思うんだけど」
「それはお前等だから。お前等の組み合わせは見てて危なっかしい、と言うか危ない」
「なにそれ…意味分かんないよ」
「…」
どう言う意味だ、と怪訝な顔で問い掛けてみるが、フランシスは無言のまま答えようとはしなかった。
俺とアーサーの組み合わせがどう危ないって言うんだい?まあ、今の状況が安心とは全くと言っていいほど言えないけどさ。
他人に自分の事を分かったように言われると苛々してくる。自覚が無いと尚更、嫌いな奴に言われると更に、だ。
悶々とフランシスの言葉の意味を理解しようとごろごろ転がる。でも、俺の頭じゃ答えは出なかった。
気になる、凄く気になるんだぞ!なんだか胸の中がもやもやしてきたし…フランシスは何処まで俺をイラつかせれば気が済むんだよ、全く。
ぐしゃぐしゃと頭を掻きむしってジーザス!と叫ぶと、俺は包まっていたシーツを投げ出して起き上がった。
「俺とアーサーがどうして危ないって言うんだい!?そりゃ今の状況も危ないけどさ…そう言う事を言ってるのかい!」
「…。まあそれも一理ある、が…。その前にどうしてあいつがあんなに怒ったのか、お兄さんは知りたい訳よ」
「…話したくない」
「じゃあお兄さんも話さなーい」
「…」
によによと効果音が付くほどむかつく顔をするフランシスに一瞬殴りかかろうかと思ってしまったけれど、寸での所で踏み止まる。
ここで殴ってしまえば俺が知りたい情報が得られなくなる。それは駄目だ。
むぐぐぅ、と心の中で悶々として気を落ち着かせ、震える拳を握りしめた。その間にもフランシスはによによと笑っていた。…OK、後日君の事を思いっきり殴る事にするよ。
それまで覚えておきなよ、と彼を睨み付けながら呟いて、吐息を吐いた。
「言っちゃったんだよ、アーサーに」
「何を?」
「…君をぐっちゃぐちゃに犯して抱きしめてキスして俺無しじゃ生きられない身体にしてあげるって」
「…あー」
菊に問われた時と同じように、一文字一句違わぬ言葉を呟いた。
その言葉を聞いたフランシスはぽかん、と口を開けて一瞬間抜けな顔をして、気の抜けた声を発した。
そして「本当にそう言ったのか?」と真偽を問い掛けてくる。俺はこんな所で嘘を付いて何になるんだよ、とそっぽを向いて吐き捨てた。
フランシスはそれを聞いて口に手を添えて数秒ほど何かを考え、思い立ったように椅子から立ち上がった。
出ていくのかと思ったらそうじゃないらしく、聞き逃げされるのかと思った俺はちょっとだけほっとした。
けれど彼が歩いていった先に疑問を覚える。カタリ、と音を立てて開けたのは、さっき救急箱を仕舞った戸棚だった。
何をするのかと首を傾げて見ていると、ゆっくりとした動作で仕舞った救急箱を手に取って戻ってくる。
「フランシス?」
「…そりゃお前、自業自得だわ」
「え?…―いッ!?」
怪我の手当てをしたばかりの筈なのにどうして救急箱?と問おうと開けた口は衝撃でがちり、と音を立てて閉まった。
ガン、と脳天に響く程の轟音が耳元で鳴って、一瞬目の前が真っ白になる。
何をされたのか分からない、ただ、見上げたフランシスの手には救急箱があって、振り上げていたそれはいつの間にか振り下ろされていて…。
…ああ、なんだ。殴られたんだ、救急箱で。
そう思った途端に、ズキズキと頭上が痛み始めて、俺はベッドの上で悶絶した。
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[2009.09.26]