プラトニック・ラブ
「アーサーさんはアルフレッドさんの事好きですか?」
「…ぅん」
さっき言われた言葉を繰り返され、俺は戸惑いながらもこくり、と頷いた。
普段なら「んな訳ねえ!」と顔を真っ赤にして怒ると言うのに、やっぱり酔いが回ってきているのだろうか。まだ一杯すら飲み干していないのに。
けれどアルフレッドが好きな事に嘘はない。奴の事はもちろん好きだ。
初めて出会った時から大切に育てようと思っていたし、独立した時はどうして、と散々一人で泣いた。
彼を愛しく思うのならそれ位は当たり前だろう。今も奴の為になにか出来る事があればしてやりたいとは思う(無謀な事は省いて)。
「ならどうして?あんな事を言われれば私でも怒りますけど…何もあそこまで怒る事は無いのでは?」
「…。俺はその、…犯すとか、犯されるとか、そう言うのは一方的じゃ駄目だと思うんだ」
「まあそれはそうですね。でもそれなら…」
「…だから好きじゃない奴に身体を許すなんて俺にはできない」
いつもエロ大使とか言われてはいるけれど、それは俺の国の人達がそうであって俺自身がそうな訳じゃない…と思う。
まあ服を脱ぎ出すとかはあるが、それもそれだけ。それ以上の事は酔っぱらったとしてもしていない。
フランシスの野郎は俺の事を見境無しにヤってそうだよねーとか笑って言うが、実際に身体を交わらせた者は生まれてこの方一人も居ない。
純潔主義と言えばそうなのだろう。本当に愛した者だけと結ばれるその行為を、ただの性欲処理として扱いたくないのだ。
ぼそぼそと顔を伏せてそう言うと、本田はぱかりと口を開けて呆然としていた。そんな間の抜けた表情は初めて見たので俺も少しびっくりする。
「え?え、でもだって、今好きだって言いましたよね?」
「ぁあ。けどあいつが俺の事…好きじゃないから、だからいやなんだ」
「え、ええ?あれ?えー?」
「…?」
どうやら本田は混乱しているらしい。細くて黒い瞳を忙しなく動かして話を理解しようとしているみたいだが、上手くいかないようだ。
そんな彼にくすくす笑って残っていたウイスキーを半分煽る。火照る身体はふにゃふにゃしてて顔まで綻んでいるみたいだ。
普段ならそんな事では笑わないはずなのに頭がぼんやりして少しの変化でも面白く思えてしまう。
落ち着かない本田の額をぺしぺしと軽く叩くと、はっとして本田が我に返ったように咳払いをした。
大丈夫か?と首を傾げると口元を押さえて何かに耐えているようだった。大丈夫と返されたけど、その仕草からして大丈夫じゃないと思う。
いつも平気じゃないはずなのに平気です、と言う彼の遠慮はあまり好きじゃない。そりゃあ、アルフレッドみたいに一々助けてほしいと呼び出されるのも好きではないのだが。
何処か距離を置かれるその言葉は頼りにされていない気がして寂しい。もっと頼ってくれてもいいのに、そんなに頼りないか、俺(酔っぱらってる今は頼りないかもしれないけど)。
自分が考えた事にショックを受けてぐすり、と鼻を鳴らす。本田は相変わらず鼻を押さえて言葉にならない声を発していた。
「ぅー…本田、本当に大丈夫か…?」
「…もう悶える以外に他は…!はっ!だ、大丈夫です。いつもの事なのでお気になさらず」
「でも…大丈夫じゃなさそうだぞ?」
「いえ!平気ですから!…そんな事よりこんな可愛い…いえ、アーサーさんを泣かせるなんて…やっぱりハリセンだけじゃ足りないかもしれませんね…」
「…??なんの、話だ?」
きょとん、として追加のウイスキーを注いでいた手が止まる。
半分ほど注がれたライトブラウンの液体が波を打って氷と交わっていく。まだ生温いそれを一口だけ飲んで、ことりとテーブルにグラスを置いた。
開いていた瓶の蓋を閉めて本田に視線を向けるが、やっぱり返事は何でもない、と笑うだけだった。
その事にぷす、と頬を膨らませてグラスの口に指を走らせる。透明なグラスは氷の所為か少しだけ汗を掻いたように水が垂れていた。
「こほん、話を戻しましょう。…アーサーさんは今日アルフレッドさんに言われた事、覚えてますよね?」
「…うん」
「すみませんがなんて言われたか言ってみてください。ああ、もちろん言葉を濁しても構いませんので」
びくり、と本田の言葉に肩が揺れ、彼は手を振ってそう言った。
あまり今日の事を思い出したくはないのだが、思い出さなければ胸の中のズキズキとした痛みは消えないのだろう。
アルフレッドに酷い言葉を言ってしまったことを今更ながら後悔しているんだな、と思って俺は目を細めた。
じんわりと視界がぼやけて本田の顔がよく見えないけれど、拭う事はせずにそのままにしておく。
「…その、俺の事滅茶苦茶に犯すって…」
「…で?」
「?…それだけ」
「それだけ…ですか。その後何か言われませんでしたか?」
不可解な本田の問いにふるふると目を瞑って首を振る。
その影響でぽろりと涙が零れ落ちる。情けない、他人の前でこんな涙を見せるなんて。
涙が流れた所為で涙腺が緩んだのか、一粒だった涙がぽろぽろと溢れるように零れていく。
止めようと手の腹で拭っても、目尻が痛くなるだけで涙が治まる事は無かった。
嗚咽が二人の空間を漂って賑わう酒場へ溶け込んでいく。皆酔っぱらっているのか、誰も彼らの事を見向きはしなかった。
「…あのメタボ…言う順番間違えているにも程があります…。と言うかアーサーさんも最後まで聞かないといけませんよ」
「だって…っ、そんな、あいつに、おか、犯されるって、いわれて、それで…頭ん中、ぐちゃぐちゃに、」
「ってなに泣いてるんですか!ぶっちゃけ泣きたいのはじじいの方ですよ!」
「ぅうう…ぅ…」
状況が把握しきれていないのか、はたまたやけくそになっているのか、本田は落ち着いていたはずの声を荒げて叫んだ。
びっくりして俺は何も言う事が出来ず、瞳を滲ませて鼻をずびずびと鳴らす。
まるで親が子供の悪戯を叱っている状況のようだ。しかも俺が子供の立場だ、情けない。
すっかり溶けきってしまった氷の水はウイスキーと混ざり合わずに層を作っていた。けれど飲む気はもう、しなかった。
「はぁ…まあ状況はよく分かりましたから。泣き止んで下さい、アーサーさん」
「うううぅ…」
「本当に世話が焼けますねぇ、貴方も、貴方の弟も…」
「…ぅう…」
涙でぐちゃぐちゃになった顔を覆い隠すように顔を伏せる。
まだぼろぼろと涙は流れ落ちていたが、服に染み渡って直ぐに消えていった。
もう何が何だかわからない。明日からアルフレッドとどう顔を合わせて良いのかも分からない。
会議の最後に言い放った自分の言葉にあからさまに傷付いた表情を見せた弟の姿がちらちらと頭を過ぎる。
彼の事は好きだった。けれど、彼が言った言葉は嫌いだった。それは俺が彼に抱いていたのは穢れの無い無垢な姿だったから?
彼も彼なりに考えていると言うのに、過去の幼い姿が頭から離れない。彼も成長しているのに、俺はそれを認めたくはなかった。
だからあの言葉を言った彼がとても穢れているのだと思ってしまった、拒絶をしてしまった。
アルフレッドはアルフレッドだと言うのに、今も昔も家族として愛していた彼だと言うのに。
好きだけど嫌い、そんな矛盾した思考に頭がおかしくなる。ぐちゃぐちゃ、ぐちゃぐちゃ、もう、訳が分からない。
…俺はアルフレッドをどうしたいんだろう?
「…ん、…サーさん、?」
「ぅ…」
本田の声が徐々に遠のいていく。
ぼろぼろと零れ落ちる涙の様に、意識が闇に落ちていく。
ぼんやりとした思考の中で考えたのは、やっぱりアルフレッドの事だった。
次に目が覚めた時はすっきりとした気持ちになれたら良いのに。
俺とアルの関係がいつも通りに戻っていたら良いのに。
他人任せの浅はかな願望を小さく呟きながら、俺の意識は途切れた。
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[2009.09.14]