プラトニック・ラブ
終始にこやかに事が進んでくれるだけで、この会議は成功と呼べるものになるのだろう。
それだけ、この会議をクリアするハードルが低くなってきている。
原因は言わずもかな…アーサー(を怒らせた俺)だ。
議長国が自分では無いにしろ、大国である俺は発言する機会が自然に多くなってくる。
いつもは無理難題を押し付けて会議の場を乱していると自覚はしているが、今回そんな事をすればこの場がもれなく極寒の地になるだろう。イヴァンの国とどっちが寒いか気になるね。
慎重に言葉を選びつつ俺にしては空気を読んだと言える程のレポートをし終わり、席に戻って再び身体を机に預けて突っ伏せる。
他者の意見を真面目に聞かなければならないと言う事は分かってはいるのだが、普段やっていない事をやろうとしても中々出来るものではない。
黙ってじっと座っていればそれだけで良いらしいけれど、それすらも俺には難しく思えた。だってじっとしているなんて性に合っていないじゃないか!俺は動く方が好きなんだぞ!
それに黙っているなんてまるで他者の言葉を言い聞かされているみたいであまり好きじゃない。きっとそれは俺が自由の国の所為だ。…強制的な意思は嫌いなんだ(自分がそうなのは許せるけど他人がそうだと嫌なんだぞ!)。
横から菊が人差し指でちょんちょん、と腕を突いてくるが、それも軽く無視する。きっとちゃんと聞いていなさいと声を出さずに怒っているのだろう。
菊はそう言う他人に対しての気遣いが出来るので気付かない所で世話になっている事が多い。我ながら良い友人を持ったと思うよ。
でも今はそっとして置いて欲しいのが本音だったりする。仕事だから聞けと言うのは分かるけれど、出来れば今は視界に何も入れさせたくなかった。
周りは金髪が多めな配色なので後ろ姿だけでもアーサーを思い出してしまう。彼の席は俺の席より後ろだと言うのに。
思い出せば思い出すほど拒絶された時のあの表情を思い出して、泣きたくなった。
「…アルフレッドさん、アルフレッドさんっ」
菊が傍で焦った声で俺の名前を呼んでいた。…君はそんなに俺に会議の話を聞けって言うのかい?
こんな精神状態でマトモな話を聞ける訳が無いと言うのに、自分の世界に入り込んでいる俺を現実に引き戻さないでくれよ。
俺の声より大分トーンの低い菊の声をそれ以上聞かない為に、ゆっくりと首を振って耳を腕の中へと隠した。
「アルフレッドさん、起きてください…!」
それでも菊の声はくぐもった音で俺の耳を通っていく。
指一本で気付かせようとしていたのに、いつの間にか掌全体で俺の腕が揺すられていた。
焦っている声は変わりないが、そう大きく揺すられては起きる以外に選択肢はない。
渋々動きにくい腕を緩めて顔を菊の方へと動かした。
じろりと睨みつけて顔を上げるが、当の本人は怯えているでもなく、焦った顔しかしていなかった。
「…なんだい菊。今は話なんか聞きたくないんだぞ」
「そうじゃないんです、その…」
「『アメリカ』」
「…っ?」
びくり、と聞き覚えがあり過ぎる声に肩が震える。
その声に違和感を持ったのはそれから一拍置いた後だった。
くるりと声がした方に振りかえると、席に座ったまま、無表情で俺を見下す「彼」が居た。
いつもなら呆れた表情で怒る彼の顔が、まるで別人のように見える。
あんな冷たい表情をされたのはいつ以来だろうか。下手したら初めて見るかもしれない、彼の表情。
ぞっと背筋が凍ったように冷たくなる。純粋に彼が怖かった。
…恐怖を感じたのも、とても久しぶりだった。
「あ、…アーサー…」
「アメリカ、仕事をする気が無いなら帰れ。会議の邪魔だ」
「…っ」
明らかに怒りを含んだその声が俺の心にぐさりと突き刺さる。
普段は名前で呼んでくれるのに、わざわざ『アメリカ』呼ばわりするのは、それだけ彼が俺の事を拒絶していると言うしるしだった。
彼との距離が段々と離れていくのが目に見えて分かって、俺は何も言葉を発することが出来なかった。
自分の所為だと分かっているのに、謝る事も出来ない。菊が言ったように土下座する事だって、彼の冷たい翡翠の瞳の前では身体が動かなくて出来そうになかった。
テキサス越しに見える冷やかな態度。子供の頃に優しくしてくれた彼とは似ても似つかないほどに、アーサーは怒っていた。
「聞こえなかったのか、アメリカ。仕事をする気が無いなら出ていけ」
「あ、アーサーさん、何もそこまで…」
「本田、これはお前に言ってるんじゃない。お前の横に居る奴に言ってるんだ。口を挟まないでくれ」
「ですが…」
「…もういいよ、菊」
おろおろと眉尻を下げる菊を片手で制して、首を横に振る。
菊は俺とアーサーを交互に見やり、やがて諦めたように行き場を無くした手を下ろした。
それを確認してから俺はアーサーの方へと視線を動かす。相変わらず寄越される視線は冷え切っている。
心が折れそうになる位に胸が痛くなるが、今は我慢するしかない。
喉が鳴るほどに唾を飲み込んで、これ以上彼の機嫌を悪化させなように慎重に言葉を紡ぐ。
「君の言う事は分かったよ、アーサー。…邪魔してごめん」
「…」
「仕事する気が無いのは確かだし、皆にも悪いと思うから、…俺は失礼させてもらうよ」
最後の部分は早口になりながらも何とか発音して、俺はばたばたと大きな音を立てて階段を駆け降りた。
途中他の国々の視線が痛いほどに送られてきたが、無理矢理眼中に入れないようにして出入り口を目指す。
重い会議室の扉を走る勢いでこじ開けて開いた隙間に入り込む。
扉を無理に閉める事はせずに、俺はそのまま道なりに廊下をがむしゃらに走った。
+++
こんな状態では会議なんて出来る訳がない、と盛大に溜め息を吐いたのは、アルフレッドからそう遠く離れていない席に座っていたフランシスだった。
菊の方へと歩みを進め、肩を竦ませる彼は手慣れたように場を支配する凍りついた空気へと割り込んだ。
じっとアーサーは無言のままフランシスを睨むが、何かを言う事はせずにそのまま席に着く。
その途端に気まずい空気は何処かへ消え去り、周りから安堵した吐息が微かに流れた。
「…菊、平気か?」
「私は大丈夫です。でもアルフレッドさんが」
「分かってる」
嫌でも注目を集めた先程の出来事の中心人物の一人は、もうこの部屋には居ない。
流石にまだそれ程時間が経っていない為、帰ると言う事はしていないとは思うが、一人にしておくには心配だ。
端からでも分かるほど、アーサーからアルフレッドへ対する態度は明らかに悪い。
普段の彼らのやり取りを知っている者はまたか、と思う反面、これ程までにアーサーが怒る事に驚いていた。
一体どんな事を言えばここまで本気で怒るのだろうと疑問視している者もいたが、本人に聞けるほど命知らずな者は居なかった。
完全にお開き状態となってしまった会議は数人が会議室を逃げるように退散し、自然解散と言う形になってしまった。
アーサー本人もこれ以上会議が出来ない状態だと分かったのか、自らの書類を束ねて帰る支度をしているようだった。
「菊、お前…あと頼めるか?」
「え?」
「あいつの説得。俺はお馬鹿なお子様の方に行ってくるから」
「…分かりました。アルフレッドさんを…お願いします」
「あいよ」
フランシスはそう言ってぱちり、とウィンクをして人が集まる出入り口へと向かった。
その姿を目で追って、菊は立ち上がったアーサーへと向き直る。
今回は一筋縄ではいかなさそうな予感がありありと伝わってくるアーサーの人を寄せ付けないオーラに頭を抱えたくなるが、今更時間を戻す事など出来はしない。
フランシスさんも、私もお節介ですね、と心の中で呟いて、菊は金髪の英国紳士へ近付くために足を踏み出した。
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[2009.09.06]