プラトニック・ラブ
一瞬、何が起こったのか分からなかった。
ただアルの顔が目の前にあって、俺は目を見開いていて、何も言葉を出せない事だけは理解出来た。
その口が同じものによって塞がれているという事も、一秒後で理解した。
「―…っ!ん、んん」
やっと出せた声もくぐもった声で、アルにはきっと理解出来なかっただろう。
俺が聞いてもさっぱり分からないそれを完全に無視して目の前の奴はぐっと俺の身体を自らの方へ引き寄せた。
そうする事で更に深く唇が重なり合って少しだけ上唇を甘噛みされる。
うわ、なんだ、これ。頭がぼーっとする…。
「ん、ぅ…っ」
角度を何回も変えて啄ばむように唇を重ねると、ちゅ、と湿った音が小さく鳴った。
続いて下唇、顎、下顎から首まで軽く音を立てて吸われる。なにこれ、なんだ、これ。
最後にもう一回唇を重ねると、おまけにぺろりと舌で舐められた。
時間的に一分も経ってないかくらいだったのに、それだけで俺の顔は沸騰寸前のお湯みたいにしゅんしゅん湯気を出して真っ赤に染まっていた。
き、す、された。まうすとぅーまうすで。キス、され…た。
「…ふあ?」
「…なんか…ごめん」
ぼんやりとした視界の中でアルが俺から視線を逸らして呟いた。
俺はまだキスされた事に対して頭の処理が追い付いていなかったのでその言葉に何も返さなかった。
初めて、口にキスされた。しかも子供の頃に額や頬にしてやったきりのアルフレッドに、キスされた。
いつもする方だったのにされる側になるとは思わなかった。と言うかキス自体も俺は正直あんまり慣れていない。
外交面とか仕事上するのは仕方ないと割り切ってしまっているのだが、こう言ったプライベートで、しかも口にされるなんて生まれて初めての経験だった。
けど、あれだけ純潔を望んでいたはずなのに、拒絶したのに、アルとのキスは…その、嫌じゃなかった、気がする。
身を任せていた所為もあるかもしれないけれど、なんだか心がぽかぽかしてあったかい気分になったし、息が出来なかったのは苦しかったけれど、手付きは優しかった。
そしてなにより―…。
そこまで考えてまたぼん、と顔が赤くなる。俺の顔はまるで熟れた林檎のように真っ赤になっている事だろう。外の風が心地良く感じられるのはその所為だ。
さっきはあれだけ寒かったと言うのに、今は下手したら汗を掻いてしまう位に身体が熱い。
中に溜まった熱を吐き出すようにふ、と深呼吸すると、湯気のように白い息が風に乗って消えていった。
「…」
「…」
お互い無言になって会話が途切れる。俺もアルも沈黙は嫌いだと言うのに、今は何を喋る事なくただ黙っていた。
何回か深呼吸を繰り返して息を整えて気持ちを落ち着かせる。数分ほどそうしていると、段々落ち着いてきて平常心を取り戻す事が出来た。
顔の熱も少しずつだが引いてきて、呼吸をする度に風が冷たく感じられた。
熱が引けば先程のように着こんでいないと寒くなる。ふるり、と小さく肩を震わせて手を擦ると、まだ少し温かかったけど徐々に冷たくなってきているようだった。
「…帰ろうか」
「…そうだな」
俺が肩を震わせた事に気が付いたのか、アルは自分が羽織っていたジャケットを俺に掛ける。
その際に互いの手が触れ合ってちょっとどきりとしたけれど、アルはそれほど気に留めていないようだった。
肩に掛けられたジャケットは外気を完全に遮断して俺の熱を保温してくれる。アルが着ていた事もあって、羽織って直ぐに熱が伝わって暖かかった。
普通にジャケットを受け取ってしまったけれど、これだとアルが寒くなるんじゃないだろうか?
そう思ってちらりと横目で奴の方を窺うと、にこりと笑って「俺は平気なんだぞ」と呟いた。
「俺は体温高い方だしそれが無くてもこれ位の寒さならノープロブレムさ!」
「あー…そう言えば子供の頃からあったかかったもんな、お前」
「そう言うことー。だからほら」
いきなりぎゅっと手を握られてびっくりしたけれど、その手の温かさに俺はもっとびっくりした。
平温が低い俺にとっては熱があるんじゃないのか、と思う位にアルの手は温かくて、寒い日に猫をぎゅっと抱きしめたくなる、あの猫の体温に似ていた。
ね?と首を傾げるアルにこくりと頷いて手を放そうとしたけれど、ぎゅっと握られて放そうにも放せなかった。
「放さないのか?」
「このままの方がいいだろー。君もあったかいし」
「それはそうだけど…まあ、どうせ放せって言っても放さないんだろ」
「もちろん!」
ぎゅー、と音が鳴る位に握られてちょっと痛かったけれど、アルが嬉しそうに笑っていたので怒るのは止めておく。
こんなに嬉しそうなアルの顔を間近で見るのは久しぶりだ。いつもはハンバーガーとか本田のゲームとかで目を輝かせていると言うのに、手を握るだけでこんなに笑うなんて珍しい。
釣られて小さく口元を緩ませると、それを見ていたアルはびっくりして目を丸くして直ぐに視線を逸らす。
その事に疑問符を浮かべながら首を傾げると、ほんの少しだけ頬を染めたアルの横顔がちらりと見えた。
「なんだよその反応」
「…なんでも無いんだぞ…。ただ笑った顔が可愛かったなあと思っただけで」
「何でも無くないじゃねえか。つか可愛くねえ」
「そんな事無い、君は可愛いんだぞ!」
「男に可愛いはないだろー!」
ぷす、と頬を膨らませて眉間に皺を寄せるアルに、俺は同じように眉間に皺を寄せてぽこぽこと頭から湯気を出す。
さっきも似たような言い合いをしていた気がするけれど、それは気にしないようにしておく。
何故なら俺達の喧嘩はいつも似たような話題だからだ。些細な事で言い合いをして、結局結論が出ないまま話は流れてしまう。
そこまで重要な事を言い争っている訳では無いのだから話が有耶無耶になっても構わないのだが、時々自分でもくだらない事をしているなあ、と思ってしまう事がある。
まあアルと満面の笑みで戯れるなんて想像すら出来ないし、俺達にはこんなくだらない喧嘩で言い合っていた方が性に合っているんだろうな、きっと。
頬を突いてくる彼の頬を抓ってうぜえ、と一言呟いて、今回の言い合いは終わりを告げた。
「それよりも、だな。お前テキサスどうしたんだ?あれ掛けてないなんて珍しいじゃないか」
「あー、うん。壊したからね」
「は?なんで」
「鬱になってバキッとやっちゃってさー」
「…お前、怪我しなかったのか?」
「したけどこれ位どうってこと無いんだぞ!」
そう言ってアルはひらひらと手を振った。そこには丁寧に巻かれた白い包帯があって、いつもは怪我なんてしないからかその包帯に俺は違和感を持った。
鬱になったと言う事はきっと俺の事で悩んだのだろう。その所為で怪我をさせてしまったなんて、謝っても謝りきれない。
俺の所為だ、と呟いて頭を下げてアルに謝ると、またアルはぷす、と頬を膨らませて首を振った。
「君の所為じゃないんだぞ、これは俺が自分でやった事なんだし、君が謝る事なんてしなくていいんだぞ!」
「でも」
「でもじゃないんだぞ!…あ、じゃあ謝る代わりにキスしてよ」
「は?」
によによと効果音が付くほどに笑うアルに目を丸くして呆けた声を出すと、ぐっと身体を引き寄せられて催促される。
早く、と呟くその顔はどう見てもからかっている表情だ。ナメられてる。
……。そこまで挑発されたらやる以外ねえじゃねえか。大英帝国様なめんな!
「まあ冗談だけど―…」
「…間抜け顔だな、ばぁか」
そうやってけらけらと笑う若造の台詞を無理矢理塞いでやって、俺はにやりと口元を釣り上げた。
あ、顔赤くなってら。ざまーみろ、大英帝国様の力を思い知ったか!
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[2009.10.29]