プラトニック・ラブ


 その日は口々言い合いながらも二人一緒に会議中泊っているホテルに戻って、何事もなく夜が明けた。
 本当はアーサーの部屋に行ったりしてみたかったけれど、それはまだ時期が早いと思うし、きっとアーサーも心の整理って奴が必要な気がしたから止めておいた。
 いつまで待てばいいのかは分からないけれど、アーサーのお許しが出るまでは我慢するつもりだ。俺の理性がもったらの話なんだけどね!
 キスはしてくれたんだし、案外直ぐにOKが貰えるかもしれないけど、それはあんまり期待しないでおくとしよう。
 それにしても冗談だったのにまさかアーサーからキスをしてくれるとは思わなかったよ!俺もびっくりしてドキドキしちゃったし!
 追加でいつもの「ばか」が来たときは危うくその場で襲っちゃう所だったんだぞ!俺の理性が頑張ってくれたから手は出さなかったけど!
 その後でアーサー自身も顔を真っ赤にしちゃうんだから、これを可愛いと言わなければなんと言えばいいんだい?
 まあ、言ったとしても彼はやっぱり「可愛くねえ」って叫ぶんだろうな。
 その怒った声も、表情すらも大好きでたまらない。ジーザス!アーサーの事がずっと頭から離れないんだけどどうしよう!
 これから会議なのにこんな思考じゃマトモな案が出せそうにないんだぞ!俺は別にいいんだけどね!
 きっと案を出したとしても俺の意見は突拍子の無い発言だ、と言われて却下されるはずだ。
 それはもういつもの事だからこの際放って置くけれど、考える事が全部アーサーに繋がっちゃう所はちょっとやばいかもしれない。
 端から見ると依存の度を超えていそうだし、中毒と言えば中毒なのかもしれない。きっと、アーサーが居ないと俺は生きていけないかも…。
 あああ、なにその縋り付いている感じ!もうアーサーからは独立したんだし、一人でも生きていけるようになったと思ったのに!
 本当は縋り付くんじゃなくて寄り添うとか、支え合うとか、むしろ引っ張っていきたいと思っていたのに、これじゃあ全然駄目駄目じゃないか!
 ここまで彼に依存しているとは思わなかったんだぞ!ああもう、この思いをどうしてくれよう!今日の会議大丈夫かなぁ!

「おーいアル、そろそろ行くぞ…ってお前なにしてんだ」
「ジーザアアァス!なんてグッドでナイスでバッドなタイミングなんだいアーサー!」
「は?…お前、なんか変なもんでも食ったのか?」
「変な物は君のスコーンくらいで十分だよ!ってか食べてないよ!」
「変な物言うなばかぁ!」

 部屋のドアを叩いて現れたアーサーはぐっちゃぐちゃに髪を掻きまわしていた俺を見つめてぎゅっと特徴的な六弦眉を歪ませた。
 鍵はオートロックだったけれど、昨日の内にカードキーを渡していたのでそれで開けたんだろう(鍵は渡したけどやましい意味は断じて無いんだぞ!)。
 真剣に悩むアーサーにぽこぽこと湯気を出しながら反論してハンガーに掛けておいたネクタイをしゅるり、と引き抜いた。
 髪はぐしゃぐしゃだったけれど、これ位なら手櫛でなんとかなるだろう。
 昨日と同じスーツを少しばかり肌蹴させながら部屋の出入り口に近付くと、自分のスコーンに対する酷評に落ち込んでいたアーサーが顔を上げた。

「身嗜みはちゃんとしろ」
「ホテルの中位いいじゃないか!議事堂に着いたらちゃんと」
「駄ー目ーだー!」
「うー」

 そう言ってアーサーは手に持っていたネクタイを取り上げて俺の首に掛ける。
 慣れた手付きでタイを締めてスーツの裾をぴん、と伸ばす仕草はまるでマミーのようだ。小さい頃から育てて貰ったんだからあながち間違ってはいないけど、きっと言ったら怒るんだろうなあ。
 最近は着付けなんて全くと言っていいほどしてもらってなかったから(子供じゃあるまいしね!)、今この状況がひどく懐かしく思える。
 小さい頃はボタンとか引っ掛けるの面倒臭くてよくアーサーに留めて貰ってたなあ、懐かしい。
 過去の事を思い出して笑っていると不審に思ったアーサーがこちらを見上げてくる。子供の頃は俺が見上げていたのに、今はもう、彼が見上げる番だ。
 自分では整えているつもりらしい跳ねた髪の毛と一緒に、彼の頬を両手で包み込む。
 なんだ、と小さく呟かれた声は重なり合うだけのキスで何処かへ消えてしまった。
 いきなりの事でびっくりしたのか、アーサーは目を瞬かせて薄く口を開いたまま固まっていた。

「…、っ」

 数秒経ってから何をされたか漸く理解して、アーサーはこくり、と喉を鳴らした。
 見る間に頬から赤くなってくる彼の顔をがっちりと固定して、俺はもう一度アーサーにキスをする。流石にまた口同士だと怒りそうだから、今度は額に。
 ちゅ、と乾いた音を立てて彼の硬いブロンドに口を寄せると、ごん、と鈍い音と共に頭突きを噛まされた。

「痛いよアーサー…」
「おま、えが…っ!こんなとこで変な事する、から、だ!」
「誰も居ないからいいじゃないか」
「良くねえよばかあ!」

 ぽこぽこと湯気を出してアーサーは俺の胸を叩き出す。でも力が入っていないのか全然痛くない。
 DDDDと笑ってみたら、今度は涙目になりながら唸り出した。これにはちょっとどきりとした。
 盛大に泣きだす事は無いだろうけれど、これ以上怒らせるとまた昨日の二の舞になりそうな予感がしたので素直に謝っておいた。
 ごめん、今度はちゃんと誰も来ない所でするからさ、泣き止んでよアーサー。
 眉尻を下げて首を傾けつつそう謝り、アーサーと同じ目線になるように背中を曲げる。
 アーサーはまだ顔を歪めて瞳には涙を溜めていたけれど、ぷす、と頬に溜まった空気を吐き出して口を尖らせた。

「…結局やる事はやるんだな」
「…う。…駄目?」
「…」

 謝ったのは謝ったけど、キスしないとは言っていない。むしろするって言ってしまった。
 そこを見事に指摘されて言葉が喉に引っかかって上手く声が出なかった。
 なんとか出せた声は思った以上に高い声で、子供の時に強請るように出した声に似ていた。
 我ながら卑怯な作戦だなあ、と思いつつも上目遣いをプラスしている事についてはなにも言わないでほしい。自分でも卑怯だと思ってるよ!
 そんな俺の泣き落とし作戦にアーサーは無言で見つめ返し、口をもにゅもにゅと動かして眉間に皺を寄せた。
 やっぱり怒ったかな?と叱られるのを覚悟して俺はぎゅっと目を瞑ったけれど、いつまで経ってもあのよく通る怒鳴り声は聞こえてこなかった。
 ちらり、と片目だけ開けてアーサーの顔を窺う。怒っている、と思っていたアーサーは俺が目を瞑る前と同じように口をもにゅもにゅさせているだけで、怒鳴る様子は全然なかった。
 俺が視線を向けていると、彼も視線に気が付いたのかこちらを向く。そしてまたぷす、と口を尖らせて顔を伏せた。

「…人前では、やるなよ」
「え、じゃあしていいの?」
「人前じゃ、なかったら…、良い」
「……うわあ、嬉し過ぎて顔がにやけるんだぞ」

 お互いの視線は合わなかったけど、視線を合わせなくてもアーサーの顔が赤くなっているのは簡単に想像出来た。…そして俺も顔が熱い。
 無意識に釣り上がる口元に手を当てて嬉しさを噛みしめていると、場違いな明るい女の子の声が響いて心臓が止まりそうになった。
 俺もアーサーも驚いて肩を飛び上がらせたけど、周りに人が居る気配はない。それもその筈、この声は昨日も聞いた俺の携帯の着信音だからだ。
 慌ててベッドの横に置いてあった携帯を手に取ると、やっぱりディスプレイには昨日と同じ「本田 菊」の文字。
 …って、あ。

「あああ!時間!」
「あっ…やべ、遅れる!」

 そうだ、こんな所でイチャイチャしている場合じゃなかった!もうすぐ会議の時間だったんだ!
 アーサーも俺が遅れないように態々呼びに来てくれたと言うのに、これじゃあ意味無いじゃないか!
 ああ、本当はもっと二人っきりで居たかったのに!ジーザス、ちょっと位時間を止めてくれたっていいじゃないかあ!
 菊には二言返事で電話を切って、テーブルに置いてあったテキサスを拾う。それを手早く掛けると、数時間ぶりに慣れ親しんだ感覚が広がっていった。

「それ、壊れたんじゃなかったのか?」
「ん、スペアなんだぞ。朝一で本国から送ってもらったのさ!」
「そうか、やっぱりそっちの方がお前らしいな」
「…。…今すっごい嬉しい言葉を聞いた気がする…」

 辺りに人が居ないのを良い事にばたばたと音を立てて敷き詰められた絨毯の上を走る。
 アーサーも普段こう言う所じゃ走らない筈なのに、今は時間の方が気になるのか俺の後を走って付いてきていた。
 エレベーターの所まで辿りついて息を整えていると、俺が呟いた言葉が聞こえていなかったのか、アーサーはきょとりと首を傾げて「何を言ったんだ」と聞き返してくる。
 その問いに「秘密なんだぞ」と笑って返事をして、ナイスタイミングで到着したエレベーターに乗り込んだ。

「秘密だって言われたら気になるだろ!」
「むー、アーサーが素直に俺を褒めてくれて嬉しかったって事さ!」
「…ふあ?」

 そこで漸く自分が何を言ったのか思い出したアーサーはぼっと顔を林檎みたいに真っ赤に染めた。
 ああもう、なんでこんなに可愛いんだこの人は!


 

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駆け足気味ですがこれで終わりです。ここまでお付き合い頂き有難う御座いました!

[2009.11.02]