プラトニック・ラブ


 やっと笑ってくれた、と痛む眉間を押さえながらもほにゃりと顔を崩してみせると、彼はきょとんと首を傾げた。
 けれどその後にはっと思い出したように目を丸くして、直ぐに太い眉毛を顔の中心に寄らせる。
 変なんだぞ、とぷすりと笑ってみたら、お決まりのばかぁ、と一緒にビンタが飛んできた。Why!?なんでさ!

 じんじんと腫れ上がる左頬に更なる追い打ちが飛んできて理不尽な!と叫びたくなったけれど、そもそもビンタ自体それほど痛くなかったので寸での所で叫ぶのを止める。
 きっとアーサーは本気で殴ったんじゃない。だって事の始まりのビンタの時はもっと強烈な痛みだったんだから。
 軽くぺしり、と叩いた後で腫れた左頬を叩いてしまった事に気付いたのか、慌てたようにアーサーが短い声を上げる。

「あ、…う、」
「アーサー?」

 けれど何か言葉を発しようとしたアーサーの口は声を出しても言葉にならなくて、ぱくぱくと開閉して結局閉じてしまった。
 もしかして申し訳無い程度にすまないとか、思ってるのかな?ならそんなに肩を落とさなくてもいいのに。
 笑ったのは俺の方なんだし、右手でビンタすれば裏拳でも無い限り当たるのは左頬。咄嗟にやったんだからこれは仕方ないだろう。
 平気だよ、とひらひらと手を振ったら、アーサーは複雑そうな視線をちらちらと向けてこくり、と頭を下に向けた。

「……ごめん」
「なんで謝るのさ!別にこれ位痛くもかゆくも無いんだぞ!」
「…でも腫れてるだろ」
「これは菊の所為だから君の所為なんかじゃないよ!」

 明らかに落ち込んだ様子で呟くアーサーに俺は精一杯明るい声で弁解する。謝るなんて思ってもみなかった。珍しい。
 菊の名前に疑問符を浮かべたアーサーに左頬を腫れさせた原因を話すと、俺が想像していた驚きとは違う、ぎょっとした顔でびっくりしていた。
 その顔に俺もびっくりして、そんなに驚く事かい?と尋ねる。けれど返答は返ってこなかった。
 あの時の事か、と独り言を呟いているのは聞き取れたけれど、そもそも「あの時」がどの時なのか、俺にはさっぱり分からなかった。
 聞いてもきっと答えは返ってこないんだろうし、もやもやする気持ちはあるけれど、仕方なくその疑問は宇宙の彼方に葬り去る事にしよう。

「…とにかく、その、叩いたのは悪かった」
「だから謝らないでほしいんだぞ!さっきみたいに笑ってくれたらいいのに」
「それは無理だ!」
「けち」

 ぶー、と頬を膨らませて口を尖らせてみる。アーサーは無理だ、出来ない、と首を振って全力で拒絶していた。でも「嫌」じゃないんだ。なんでだろ?
 さっきみたいに嫌って言えばいいのに、だったら俺も少しは遠慮…は、うん、きっとしないな。
 でも笑ったら可愛いと思うんだけどなあ。俺も人の事は言えないけれど、この人は童顔なんだから、笑うと案外子供っぽくて可愛いと思う。
 こんな事言ったらまた君は目潰しとかしてくるだろうから決して口にはしないけどさ、それでも可愛いんだよなあ。男なのに。

「って、話が脱線しちゃったんだぞ」
「なんのだ?」
「君が俺の事好きかってこと!どうなんだい?」
「はっ?さっきも言っただろ!…い、やだって」

 再度質問しても返答は同じ。また「反対意見は聞かないんだぞ」と言いたくなったけれど、それ以上に言いたい事があった。
 初めに聞いた時も、今も、彼は顔を歪めて目を逸らした。それって嘘を付いている仕草じゃないのかな?
 本音なら俺の目を睨みつけてまで否定する筈なのに、君の仕草はおかしいよ。
 そんな事されたら、歯切れの悪い言葉を述べられたら、期待しない訳ないじゃないか。
 あんまり乱暴に扱いたくないからそっと、でも強引にアーサーの頬を両手で包み込む。
 少しだけ目線の低い彼の頭を上に傾かせて俺の顔を見せるようにさせると、やっぱり彼は眉を歪めて複雑そうな顔をしていた。

「…はな、せ」
「もうツンはいらないからデレてよアーサー」
「やだ、無理、お前の前じゃ…いやだ」
「じゃあ俺じゃなければいいの?それって俺が特別ってこと?」
「…ちが、…。…」

 否定の言葉の最中で急に黙り込んだと思えば、数秒後に少しずつ顔が赤くなっていく。
 俺の言った事に頭の処理が追いついていなかったのか、たっぷり一分経った後には耳まで真っ赤になる程アーサーの頬は赤く染まっていた。
 そしてまた何か言いたそうに口を開閉。oh、例えが瀕死の魚みたい!しか浮かばない自分が何とも言えない。真っ赤な頬は林檎みたいなんだけどね!
 きょろきょろと忙しなく動く視線はきっと俺と目を合わせない為なんだろうな。でもそうはさせないんだぞ!君は俺だけを見ていればいいんだから!
 顔を近付けてこつり、と額同士を合わせてみる。こうすれば俺とアーサーの距離はゼロだから視線を動かしてもアーサーは俺しか見えなくなる。
 これでどうだ、とばかりにによによと口元を釣り上げると、アーサーは視界いっぱいの俺を綺麗な翡翠の目を真ん丸くして見つめると、直ぐにぎゅっと目を瞑る。あ、かわいい。
 こんな状態で目を瞑られると咄嗟にキスしたくなっちゃうんだけど、まだ返事を聞いていない状態でするのは流石に出来ない。過ちは犯したくないし、順序はきっちり正しく踏まなければ。
 胸の内で悶々と理性を戦いつつ(負けるな俺の理性!)、彼の乾いた涙の跡を指の腹でなぞると、アーサーはぶるぶると肩を震わせて耐えているようだった。
 けれど頭の中で何かがぷっつりと切れてしまったのか、うっすらと目を開けると俺に向かってにこりと―。

「だぁああああー!もう知るか!どうにでもなれ!このばか!」
「いだっ!」

 微笑んだ、はずだった。
 ごん、と固定されていた筈の俺の両手からすり抜けたアーサーの頭は数十センチ後ろに引いたかと思うと、思いっきりその額を俺にぶつけてきた。
 鈍い音が頭の中を駆け回って再び悶絶する。でも今回は加害者のアーサーも一緒に悶絶していた。…君が痛がってどうするんだい…。
 耳元で叫ばれて頭突きされて…あうう、目潰しで今日の制裁はラストだと思ったのにまだ追加オーダーされるなんて聞いてないよ!
 髪に隠れた部分が少しだけ盛り上がっている事に涙目になって、せめて痛みが和らぐようにゆっくりと撫でてみるけれど、全然痛みが引く事はなかった。

「痛いんだぞ〜…」
「知らねえよ!俺も痛えんだよ!もう、お前なんか、お前なんかー!」
「な、にするんだい!いたっ!痛い!」

 ぽこぽこと頭から湯気を出して俺と同じように涙目になっているアーサーは追い打ちとばかりに俺の頭を無茶苦茶に叩く。
 自棄になっているアーサーの腕の力はそれほど強いものではなかったけれど、時々額に手が掠って本気で痛い。
 止めてくれよ!と小声で叫ぶけれど、アーサーの攻撃は全然止まる事は無かった。むしろ悪化して力が強くなってる気がする。

「ちょっとアーサー、!」
「っざけんなよ…おまえなんか、おまえ、なんか…!」
「アーサー?…いっ…て」
「っ…んか、…っう…。……ぃかよ、くそ、…きだよ、そうだよ!悪いか!?」

 叩いている間にぼろぼろとまた泣き始めたアーサーは俺の話なんか全く聞かないで喋り出す。
 嗚咽で聞き取りにくいそれは怒っているけれど何処か痛々しく俺の耳に入ってきた。
 きっと今の彼は眉を歪めて涙でぐちゃぐちゃの顔をしているに違いない。
 片目だけ薄く開けてアーサーを見てみると、ぼやけた視界の中で案の定、涙をぼろぼろ流す彼が腕を振り上げていた。
 周りの事なんか気にしないで叫ぶなんて君らしくない。…ん?でも叫んでいる内容が、なんか、
 …え?

「ああそうだよ好きだよ!お前と出会ってからずっと好きだったよ!それがなんだよ、悪いか!」
「……ちょっと、アーサー、それほんと?」
「嘘なんかもう付いてやらねーよ!知るか!好きになったんだから仕方ないだろ!」
「…ほんとに?」
「何度も聞くんじゃね、―…っ?」

 やばい、順序間違えそう。


 

back ■home ■next

アルは反対意見は認めないのにいざ好きだと言われたら聞き返してしまう子だと思う。

[2009.10.25]