失恋ロジック

 好きな人が居ました。

 太陽の様に明るく笑うその人は、いつも私を眩しいくらいに照らしてくれて、私は思わず目を細めてしまう。
 きらきら煌めく空色の瞳は、中に星が入っているんじゃないかって位に綺麗。
 光の具合で色が濃くなったり薄くなったりする金髪は、どちらかと言うと柔らかい山吹色だ。
 軽やかに、でもしっかりと重みを持った掌は、まるで全てを掴んでしまう位大きい。
 あの手の中に入るものが私だけだったら良いのになあ、なんて思うのは、叶わない願い故のささやかな嫉妬心。
 我ながら子供っぽい、といつも彼に言っている言葉を自分の中で呟いて、私は視線を読んでいた本に戻した。

「1776年かあ…教科書の中の出来事すぎて想像もつかないや」

 ぺらりと捲ったページには、我が国の歴史がずらりと並んでいた。その中でも大きく細かに書かれている年号を口に出す。1776年、植民地であったアメリカが、宗主国イギリスから独立宣言をした年。
 ここから今の超大国が始まったと言っても過言じゃない一行を指でつう、となぞっていく。歴史の中の出来事として記された文字の羅列。
 七月四日の日付でなぞる指がぴたりと止まって、私はふ、と吐息を吐く。やっぱり二百年以上前の出来事なんて頭に浮かべようとしてもちっとも浮かんでこない。
 絵や文字で描写されたものを想像するのは簡単だ。けれど、結局の所それはただの個人の想像で、実際に見た情景が浮かぶ訳じゃあない。
 二百年も前の出来事なら尚の事、伝え続ける人が居るとしても、その人達が実際にその日の情景を見たのではないから、曖昧な描写も多いだろう。
 そう思うと人の生涯とはなんと短い事か。そして国の歴史はなんと長い事か。
 このアメリカでさえ、今の面影が出始めたのは十七世紀くらいからで、国としての歴史はヨーロッパやアジアの国達と比べて随分浅い。
 千年以上の歴史を持つ国が沢山あるのだから、その中で生きてきた人達の人生は彼等にとって、正に一瞬の出来事なんだろう。今の私だってそう。
 彼等にとって、人の一生は瞬きをするくらいに短く呆気ない。けれど、彼等と言う存在は私達人間の上に成り立つもので、案外人と同じ位脆い存在だ。
 私達が居るからこそ、彼等は存在している。そして彼等が居るからこそ、私達は存在している。どちらかが欠けてしまえばあっと言う間に崩れ去ってしまうバランス。まるで天秤に吊るされているみたいだ。一つの国に対して、吊るされるのは多くの国民。頭に浮かべると凄く不安定に思えてくるけど、それがベストバランスってやつなんだ。
 まあ、実際の天秤とは違ってそのバランスが簡単に崩れる事はまず無いので不安がる事は無いんだけれどね。

「って言うか、アルなら国民全員が吊るされても余裕で釣り合っちゃいそうだけど。むしろアルの方が重そうな気がする」

 によによとここに居ない彼の顔を思い浮かべて(この話をしたら絶対怒るんだろうな)、私は一人で笑った。

 何故今になって歴史の本に手を出したのか。その理由は極めて単純で、他人が聞いたらそんな理由で?と鼻で笑われてしまう程のくだらない理由だった。
 ただ単に気になったから。彼がどんな歴史を歩んできたのか、どんな生き方をしてきたのか、気になった。
 前者は本を読んでいれば大体分かる事だけれど、後者は本を読んだだけでは分かり様がないだろう。彼本人に聞かなければ、それは分からない。
 でも少しでも彼の事が知りたくて、普段は行かない図書館に足を踏み入れた。授業で学んだとは言え半分寝ていたから知識はほとんど無い状態で、手当たり次第に本を借りて、読んで、返して、また借りての繰り返し。
 数回それを繰り返している内に段々と母国の事が分かるようになって、益々知りたくなった。この国の事を。
 それはもう、将来歴史関係の職に就いちゃうんじゃない?って思う位に本を読み漁って、気が付いたら図書館にあったアメリカ関連の歴史の本は全部読んでしまっていた。
 何十冊もあった筈なのになあ。普段なら一冊で飽きちゃう所が、数か月でこのペース。以前の私なら信じられない早さだ。
 今では古本屋で図書館になかった本を探す毎日で、今日読んでいる本も古本屋で安く買ってきた歴史の本だった。

「あーあ、こんな事しても意味無いのになあ」

 すっかり冷めきってしまったコーヒーを飲み干して、新しいコーヒーを入れる為に立ち上がる。
 ぷはぁ、と息を吐いてマグカップを持ったまま背筋を伸ばす。同じ姿勢でいた所為か、その伸びをすると凄く気持ちが良い。
 最近猫背気味になってきているし、ストレッチとかしておいた方が良いよね。運動も疎かだとまたアルに太った、なんて言われそうだし。
 お湯が沸くまでキッチンで簡易の体操をして(誰も居ないから見られる心配はない)、お湯が沸いたらコーヒーを淹れて、また元の机に戻る。
 出来たてのコーヒーを啜りながら読みかけのページを開き、文字の羅列へと目を走らせて行く。
 もう習慣付いてしまった行動に心の中でちょっと笑って、ことり、とマグカップを机に置いた。

 私が密かに想いを寄せていた人は、もう誰か分かっただろう。初めて出会った時からその明るさに惹かれて、話す毎に想いがどんどん募っていった。
 それが恋をしていると言う感情なのだと気付いたのはもう少し後の事で、好きだと知ってしまった後、数週間は気持ちの整理で彼に会う事が出来なかった。
 最初から分かっていたんだ。私と彼が歩んでいる道のりが違う事を。進む速さも、行き着く場所も、まるで違うのだ。
 見た目が同じだとしても、私と彼は根本的に存在が違う。国と、その国の中で生きている人間、彼にとっては一瞬の出来事になってしまう、私の一生。
 そんな二人が結ばれるなんて不可能に近い。否、お互いがお互いの幸せを願うのなら不可能なんだろう。老いて朽ちるのは私が先、置いていかれるのは必ず彼の方なのだから。
 しかも時間の流れが早い私達と違って、彼等、国と言う存在の時間の流れは酷く曖昧だ。国としての発展があれば外見も成長し、発展がなければいつまでもその外見のまま。経済が安定している状態なら、その外見から成長する事はほぼ無いに等しい。
 私達にとって不老不死に近い存在の彼等と、ただの一般人が釣り合う筈無いのだ。幸せは束の間、置いていかれる方にとって、その思いはただの私の自己満足に過ぎない。
 だから、報われない。好きになったとしても、結ばれることはない。諦めるしかないのだ。彼の幸せを願うなら、尚更。

「今となっては大分落ち着いたけど…あの数週間はほんとに酷かったなあ」

 思い出すだけで頭を抱えたくなる程の荒んだ日々。元から頭に入って無かった授業の内容も、その時は更に頭に入らなくて欠席した位だったし。
 考えても浮かぶのはアルフレッドの事で、諦めようとしても奴の顔がぽこぽこ浮かんでくる。無邪気な顔で笑って、何してるんだいってハンバーガー片手に話しかけてきて、それで私の頭を撫でてくれるんだ。
 全てはただの想像に過ぎないと言うのに、思い浮かべるだけで嬉しかった。好きだって言いたかった。I love youなんて台詞を言ってみたかった。
 けどそれは叶わない。好きなのに想いを伝える事すら出来ない。この事実が胸に突き刺さって、数日は部屋に引き籠ってた。
 いっそ嫌いになれれば良かったのに、なんて呟いても、そう簡単に出来る筈がない。好きになってしまったんだもの。直ぐにそんな事が出来れば私だってあんなに悩まなかった。
 ぐるぐるぐるぐる、同じ言葉を繰り返して、同じ考えを繰り返して、同じ答えを繰り返して。それを何日も続けて、目元に隈が出来るくらい考えて、考えて。
 やっぱり出した結論は変わらなくて、最後の最後に、一日中泣いた。

「あれからもう何か月経ったんだっけ…四か月?もっとかな」

 分厚い本から天井に視点を変えて空を仰ぐ。等間隔に並べられたモザイク模様があまり見慣れなくて、私は口をぱかりと開けた。
 こんな風にいつもアルフレッドの顔を見上げていた筈なのに、部屋の天井の模様は一つも覚えていない。それだけ私は彼に夢中になってたんだろうか。
 事細かに思いだせる彼の特徴。睫毛は綺麗な金色で、私よりも長くてびっくりしたなあ。あと手袋を嵌めた指はいつもより細く見えて、飛行機とか操縦する姿が格好良かった。
 会う度メタボって言い放題してるけど、実際には筋肉もついていて、力はとんでもなく強い。何事にも物怖じしないのは性格だけじゃあない。絵に書いたようなヒーローに憧れてそうなったのかは知らないけど、少なくとも私にとってはヒーローだったかもなあ。色んな意味で。
 まあ、アルフレッド自身は全くと言っていいほどそうは思ってないんだけどね。私がそうだと思っているだけだし、気付いて欲しいとも思わないし。
 むしろ気付いて欲しいのは自分の言動の方だ。もう、本当に空気を読まないんだから、いい加減にしてほしい。じゃないとまたストリートのど真ん中で太った?とか言われると泣いちゃうんだから。
 忘れはしないワンシーンをぽこぽこと頭に浮かべて(顔が赤くなったり青くなったりした。恥ずかしい)、今は居ないアルフレッドにぶつぶつと悪態を吐く。
 あーもう、好きだったんだなあ、本当に。恋焦がれてたからこんな本とか読むようになっちゃったんだ。染まりきっちゃってるなあ、彼の色に。

(でも同時に割り切ってもいて、だからこんなに気持ちが軽いんだろうな)

 四か月前に割り切れていなかったら、今でも悶々と考え込んで部屋に閉じこもっているんだろうな、きっと。
 どうしてあの時すっぱりと割り切れてしまったのか分からないけど(一日中泣いたからかな?)、その日からは普通にアルと喋る事が出来て、冗談も言ったり一緒にはしゃぎ合ったりする事が簡単に出来るようになった。
 恋をしていた時は触れる事さえ臆病になっていたのに、気持ちの持ちようによってはこんなにがらりと変わってしまう。心って不思議だなあ。
 けど、好き『だった』と過去形になってしまった今でも、アルが好きな事には変わりない。根に持ってるからこそ、彼の歩んできた歴史を学んでいるのだから。
 恋人になる事は出来ないけれど、少しでもいいから彼の事を知っておきたい。一方的な片想いだけど、好きなんだからしょうがない。
 振り向いて貰えなくても、今はそれで構わない。彼が楽しく毎日を過ごせていれば、私はそれで満足なんだ。うん、だから、やっぱりアルの事は好きだけど、同時に好きだったんだなって言った方がしっくりするなあ。

 ぽかぽかあったかい日差しが風と共に開けっぱなしの窓から入り込んできて、カーテンを揺らしていく。
 その心地良さにうつらうつらと思考がまどろんでくる。そう、今アルを想っている気持ちはきっとこんな、あったかい日差しの様な感じなんだろうな。
 恋してた時はもっと燦々と照り付ける真夏の太陽みたいな、焼けてしまう感じだったけど、今はぽかぽか陽気、春の日差しみたいだ。
 暖かくて気持ちが良い。眠たくなってくるやわらかい風に、持っていた本がとさりと手から離れる。あ、いけない、栞挟んでないのに。
 ゆるりと首を擡げようと重い頭を上げようとするけど、上手くいかず、逆にぽすん、とクッションの上に沈んでしまう。

(あー、やっばい。寝そう)

 細くなっていく視界の中でぼうっと呟いて、まあそれも良いか、と足をソファの上に上げる。
 ころりと寝返りを打って完全に昼寝の体勢になった私は、本を机の上に戻す事無く夢の世界へ旅立っていく。
 窓から入ってくる風でぱらぱらと捲れるページの音を聞きながら、私の意識はぷつりと途切れた。

 好きな人が居ました。
 太陽の様に明るく笑うその人は、いつも私を眩しいくらいに照らしてくれて、私は思わず目を細めてしまう。
 でもいつか、私も彼のように誰かを眩しいくらいに照らせる人に、なりたいです。
 その照らせる人が誰かはまだ分からないけれど、いつか、彼みたいに明るく笑えるようになったら。
 …彼も、一緒に笑ってくれるかな。おめでとうって。

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アル出したかった。でもこんな終わり方も良いやって思った。

[2010.02.12]