溶ける境界
しんしんと降り積もる雪はこの時期としては珍しく多くて、豪雪地帯でもない田舎町の広場には既に膝まで埋まりそうな程、積雪があった。
突起物の上に降った雪はもこっと緩やかな曲線を描いて真っ白な地に凹凸を作っている。
一見硬そうに見える雪の塊は、表面がさらさらしていてパウダースノーのようだ。手袋越しの感触は悪くなく、けれど少し冷たい。
砂みたいに少しずつ地面に落して行けば、細かな粒が光に反射してきらきらと宝石のように煌めいた。
本来ならば雪なんて左程珍しくもないものなんだけれど、やっぱりここまで積もると周りの景色も一変してしまうから、その分新鮮に思えてくる。
最近は積もっても十数センチ程度だから辺りもいつもの色がメインで白はちょっと被る程度に付け加えられるだけ。けれど今回はいつもの色合いとは真逆で、ほとんど視界は真っ白に染まっていた。
木々や葉っぱの色合いは白に塗り潰されて原型すら無くなりかけているし、一軒一軒異なる色だった筈の家も皆同じ白になってしまっている。一面白、白、白。見え隠れする空の色さえモノトーンで、世界から色彩が消えてしまったかのよう。
鮮やかなものなんて何処にもない、白の世界。手袋も黒、コートは白で、ブーツも黒。私さえも色が無いみたい。
唯一マフラーだけが薄い水色をしていて、そこだけがやけに目に付く。
落ちてくる雪と同化してしまいそうな白い息を吐き出して、薄暗い空を見上げる。すると後ろからぼすん、と何か重い物が落ちた音が聞こえて、私は反射的にびくりと肩を震わせた。
ちらりと横目で振り返るけれど、周りにはこれと言った変なものは見当たらない。少し前まではしゃいでいた者の姿すら、無い。
不審に思ってきょろきょろと辺りに視線を漂わせると、広場の真ん中あたりに大きな凹みが出来ていた。あんなもの、ここに来る前には無かったはず。
「…イヴァン、さん?」
意を決して凹みに一歩だけ近付き、問いかける。風に乗ってその声が届いたのだろうか、数秒後ににょきっと穴の中から腕が一本生えてきた。
中々のシュールな光景に思わず変な声が出掛けたけれど、咄嗟に両手で口を塞いだので声が漏れる事は無かった。その代わり、雪を払い忘れて別の意味で奇声を上げそうになったけど。
口の周りに付いてしまった雪をしかめっ面でぱらぱらと払い除け、未だに腕が生えている穴へと歩みを進める。近付けばどうやら手を振ってくれているらしく、ひらりと雪の中で腕が左右に揺れ動いていた。
なんとまあ、シュールだ。それしか言いようがない。せめて上半身だけでも起き上がれば何とも不思議には思わないのに、どうしてこの人はこう、理解しがたい反応をするんだろうか。
思わずツッコミを入れてしまいたくなる光景にぷすり、と少しだけ笑ってしまう。でも敢えてそれを口にしないのは自分も似たような類に属しているから、だ。
正直、自分では全くと言っていい程自覚症状は無いんだけど。天然ってそういうものなのかな?
「イヴァンさん、なに…してるんですか?」
「遊んでるんだよー。もしようよ、楽しいよ」
「えっ…で、でも冷たそうなんですけど…」
穴は私の手首よりも深い位置まで沈んでいて、その中にさっきまで楽しそうにはしゃいでいた大きな身体がすっぽりと埋まっていた。
にこりと笑う彼、イヴァンさんはまるでベッドに寝転んでいるようにリラックスしているけれど、常人にはとても真似できる芸当じゃない。手袋越しでも冷たい筈の雪に埋もれるなんて、凍死してきますと言っているものじゃないか。
それなのに目の前のこの人は全く冷たさを感じていない様子で降ってくる雪さえも物ともせず、遊んでいる。
根本的に人と違う存在だからと言っても、流石にこれにはびっくりした。寒さに強い人だとは思っていたけれど、こんなにもケロッとしてるなんて。
あ、でもイヴァンさん家の近所の国の人も確か、氷点下何十度の世界で平気な顔しているんだっけ。極寒の地でサウナに入っている話も聞いた気がする。そう思うと彼の反応は至って普通なのかな?
そりゃあ、氷点下何十度に比べたらこんな田舎の気温なんてむしろ温かいと思えるほどなんだろう。想像もつかないからどこまで寒いのか分からないけれど。
私は今の状態でも十分寒いのになあ、と困った顔をして中腰になってイヴァンさんの顔を覗き込んだ。
「…一緒に遊んでくれないの?」
「あ、ぅ…。その台詞は卑怯です…」
「ふふ、断れないが悪いんだよ」
だってイヴァンさん達に比べたら、私の立場なんて下の下の下、月とすっぽんでも足りたい位なんだもの。そんな奴が折角のお誘いを断るなんてとんでもない。断ったら最後、上司から首切り命令が出てもおかしくない。
今の仕事には十分満足しているんだから(欲言えばもう少し給料を上げて欲しい所だけど)、たった一回の失態で人生を棒に振りたくなんかないんですよ。
だからこそ仕方なく、とは言わないんだけどね。こんな風に無茶振りをする時もあるけど、楽しい事だってあるのだから。
それに、雪で遊ぶイヴァンさんを見ていると私も童心に帰ってはしゃぎたくなってきたから、そっと彼に手を差し伸べて少しだけ、とこくりと頷いた。
私が了承した事にぱあっとお花の様な可愛らしい笑顔を咲かせたイヴァンさんはコートやマフラーに付いた雪を払い除けて素早い動作で立ち上がる。
さっきまでは私が見下ろしていたのに、今は逆に私が見下ろされる方で、首が痛いくらいにまで頭を上げないとイヴァンさんの顔を見る事が出来なくなってしまった。
こんなに大きな身体をしているけれど笑えば可愛いし、怒ればそれはもう、言葉で表現しきれない程恐ろしい。喜怒のギャップ差が天と地くらいありそうで、周りの人達からはほんの少し距離を置かれたりしているんだけど、私は何故か距離を置く事無くごく普通に彼と接している。
ほんの少しだけ似ている部分があるからなのかは知らないけれど、その為かよくイヴァンさんとはお話したりさせてもらっているのだ。周りからは心配されるけど、イヴァンさんってお話してるとそんなに危ない人じゃあ無いと思うんだけどな。怒ったらそりゃあ、怖いけど。
今だってこんな風に、子供みたいにはしゃいで雪に埋もれているし。見ていて微笑ましいと言うか、母性本能を擽られると言うか、男性に言うと怒りそうだけどやっぱりかわいい。
「、ほら一緒に、ウォーッカー!って」
「あはは、イヴァンさんって本当にお酒好きなんですね」
「好きだよー。ね、せーの」
うぉーっかー、と不思議な掛け声と共に二人の身体が雪の中に沈む。ぼふ、と音を立てて倒れた地面は、やっぱりちょっと冷たかった。
仰向けに沈めば落ちてくる雪が頬に触れてひやりとする。ぽつぽつ雨みたいに降り注ぐそれは外に出た時よりも多くなっている気がして、本降りになってきたのかな、と呑気に思う。
雪に埋もれた感触は思ったより普通で、冷たさを除けば安宿の固いベッドより随分マシだった。でも、比べればそれくらい。正直寝心地はあんまり良くない。
冷たさが真っ先に伝わってくるから冷え性な人にとっては拷問以外の何物でもないんじゃないだろうか。好きで寝転ぶならとやかくは言わないけど。
けれど大地に寝転がるなんてあんまりしないから、そこは評価してもいいと思う。新鮮味があって、なんか不思議だ。
地面が真横にあって、周りは空しか見えなくて、手を伸ばせば届いてしまいそうな錯覚に陥りそうな気分。
変な感じ、と自然に出た言葉にお隣に埋もれているイヴァンさんが小さく笑う。雪の壁でその顔は見えないけれど、安易に笑顔が想像出来て私も釣られて笑った。
「ねえ」
「はい、なんですか?」
「このまま雪に埋もれたらどうなるかな」
「…そりゃあ、凍死するんじゃないですか?」
不意にそんな事を聞かれて、私は一テンポ遅れて答えた。当たり前の事じゃないか、と続けて漏らそうとしたけど、ふとイヴァンさんは私と同じじゃないんだと気付く。
人間ならば寒い所に長い事居れば凍死してしまうだろう。でもイヴァンさんは人間じゃなくて国だ。国の方達は私達人間よりも頑丈な存在だから、簡単には死なないと思う。確かめた訳じゃないからどうかは分からないけど、彼なら凍死じゃなくて凍傷で終わりそうな気がする。
でもどっちにしても怪我はしちゃうんだから、ずっとこのままぶっ倒れてる訳にはいかない。寒いし、冷たいし。
帰ったら温かいお風呂に入らないとなあ、と思いながら雪に埋もれた手を動かす。左手はイヴァンさんと手を繋いでいるから、右手だけ。
「じゃあ一緒に凍死しちゃおうか」
「えっ」
「嘘だよ」
…冗談きついですよイヴァンさん。私、びっくりして起き上がっちゃったじゃないですか。
目をぱちくりして上半身を起こせば、身体に薄く積もった雪がぱらぱらと飛ばされて大地の白と同化する。突然起き上がったからか、少し目の前がくらりと揺らいで、そろそろ本気で帰らないといけないと思った。これ以上雪に埋まってたらそれこそ凍死してしまうじゃないか。なんて笑えない。
イヴァンさんは気楽そうに笑っているけれど、私はいつまでもこうしている訳にはいかないのだ。鼻はつんとしてくるし、頬は冷え切ってぴくりとも動かない。
その内手足すら動かなくなってしまえば、行きつく先は先程の言葉通り、凍死しかないだろう。ああ、こうしちゃいられない。
倒れた状態から指一本動かそうとしない(それはもう、死体役の人もびっくりな位震えすら伝わってこない)イヴァンさんをゆるりと睨みつける。そしたら何故か笑みを深くされて、帰ろうと言い掛けた口はぽかりと開いたままになってしまった。
「なんで笑うんですかー…」
「んー、なんだかキスしたそうな顔してるなって思って」
「ふぇ?…っ…し、してます?」
「嘘だよー。でも聞くって事はしたかったんだ?」
「〜っ!…い、イヴァンさんの鬼…うそつきー」
両手を当てた頬が段々熱くなっていくのが分かる。なんて事、まさかフェイントを掛けられるなんて思わなかった!
顔には全く出ていないと断言出来る程寒さで誤魔化せていたと思ったのに、イヴァンさんにはそれすら無意味だったって事なんだろう。ちょっと悔しい。でもそれ以上に恥ずかしい。
普段は全然その気なんて見せる事が無いからいつも求められる側だったのに、どうして今回に限って微かに求めた事を全部綺麗にくみ取ってくるんだろう、この人は。ご丁寧に本人の口から本音を言わせたし。
ああもう、穴があったら入りたい。身体を倒せば丁度良い位置に穴はあるけど、正直これくらいの深さじゃ私の羞恥心は治まりそうにない。
じんわりと浮かんでくる涙も、冷たさでくっついてしまいそうな手と頬も、変な嗚咽しか出てこないこの口も、全部恥ずかしい。でもイヴァンさんはそれすら全部、根こそぎ奪っていく。
いつものように、やわらかくて、太陽みたいにふわふわした笑顔で、私の全てを持っていく。残るものなんて何も無い、私に出来る事はただ彼の手によって流されるだけだ。
「ほら、おいで」
「…ぅー」
ぽすり、とイヴァンさんに腕を引っ張られて身体を傾けさせる。触れた肌は冷たくて、でもしっとりしていた。
目を閉じれば重なった箇所があったかい事に気付く。ほんの些細な熱だったけれど、落ちてくる雪片を溶かしてしまいそうな、熱。
まどろんでくる意識の中でそれを感じながら、私は静かに寄越される熱に酔い痴れる。
(ああ、溶けそう)
突起物の上に降った雪はもこっと緩やかな曲線を描いて真っ白な地に凹凸を作っている。
一見硬そうに見える雪の塊は、表面がさらさらしていてパウダースノーのようだ。手袋越しの感触は悪くなく、けれど少し冷たい。
砂みたいに少しずつ地面に落して行けば、細かな粒が光に反射してきらきらと宝石のように煌めいた。
本来ならば雪なんて左程珍しくもないものなんだけれど、やっぱりここまで積もると周りの景色も一変してしまうから、その分新鮮に思えてくる。
最近は積もっても十数センチ程度だから辺りもいつもの色がメインで白はちょっと被る程度に付け加えられるだけ。けれど今回はいつもの色合いとは真逆で、ほとんど視界は真っ白に染まっていた。
木々や葉っぱの色合いは白に塗り潰されて原型すら無くなりかけているし、一軒一軒異なる色だった筈の家も皆同じ白になってしまっている。一面白、白、白。見え隠れする空の色さえモノトーンで、世界から色彩が消えてしまったかのよう。
鮮やかなものなんて何処にもない、白の世界。手袋も黒、コートは白で、ブーツも黒。私さえも色が無いみたい。
唯一マフラーだけが薄い水色をしていて、そこだけがやけに目に付く。
落ちてくる雪と同化してしまいそうな白い息を吐き出して、薄暗い空を見上げる。すると後ろからぼすん、と何か重い物が落ちた音が聞こえて、私は反射的にびくりと肩を震わせた。
ちらりと横目で振り返るけれど、周りにはこれと言った変なものは見当たらない。少し前まではしゃいでいた者の姿すら、無い。
不審に思ってきょろきょろと辺りに視線を漂わせると、広場の真ん中あたりに大きな凹みが出来ていた。あんなもの、ここに来る前には無かったはず。
「…イヴァン、さん?」
意を決して凹みに一歩だけ近付き、問いかける。風に乗ってその声が届いたのだろうか、数秒後ににょきっと穴の中から腕が一本生えてきた。
中々のシュールな光景に思わず変な声が出掛けたけれど、咄嗟に両手で口を塞いだので声が漏れる事は無かった。その代わり、雪を払い忘れて別の意味で奇声を上げそうになったけど。
口の周りに付いてしまった雪をしかめっ面でぱらぱらと払い除け、未だに腕が生えている穴へと歩みを進める。近付けばどうやら手を振ってくれているらしく、ひらりと雪の中で腕が左右に揺れ動いていた。
なんとまあ、シュールだ。それしか言いようがない。せめて上半身だけでも起き上がれば何とも不思議には思わないのに、どうしてこの人はこう、理解しがたい反応をするんだろうか。
思わずツッコミを入れてしまいたくなる光景にぷすり、と少しだけ笑ってしまう。でも敢えてそれを口にしないのは自分も似たような類に属しているから、だ。
正直、自分では全くと言っていい程自覚症状は無いんだけど。天然ってそういうものなのかな?
「イヴァンさん、なに…してるんですか?」
「遊んでるんだよー。もしようよ、楽しいよ」
「えっ…で、でも冷たそうなんですけど…」
穴は私の手首よりも深い位置まで沈んでいて、その中にさっきまで楽しそうにはしゃいでいた大きな身体がすっぽりと埋まっていた。
にこりと笑う彼、イヴァンさんはまるでベッドに寝転んでいるようにリラックスしているけれど、常人にはとても真似できる芸当じゃない。手袋越しでも冷たい筈の雪に埋もれるなんて、凍死してきますと言っているものじゃないか。
それなのに目の前のこの人は全く冷たさを感じていない様子で降ってくる雪さえも物ともせず、遊んでいる。
根本的に人と違う存在だからと言っても、流石にこれにはびっくりした。寒さに強い人だとは思っていたけれど、こんなにもケロッとしてるなんて。
あ、でもイヴァンさん家の近所の国の人も確か、氷点下何十度の世界で平気な顔しているんだっけ。極寒の地でサウナに入っている話も聞いた気がする。そう思うと彼の反応は至って普通なのかな?
そりゃあ、氷点下何十度に比べたらこんな田舎の気温なんてむしろ温かいと思えるほどなんだろう。想像もつかないからどこまで寒いのか分からないけれど。
私は今の状態でも十分寒いのになあ、と困った顔をして中腰になってイヴァンさんの顔を覗き込んだ。
「…一緒に遊んでくれないの?」
「あ、ぅ…。その台詞は卑怯です…」
「ふふ、断れないが悪いんだよ」
だってイヴァンさん達に比べたら、私の立場なんて下の下の下、月とすっぽんでも足りたい位なんだもの。そんな奴が折角のお誘いを断るなんてとんでもない。断ったら最後、上司から首切り命令が出てもおかしくない。
今の仕事には十分満足しているんだから(欲言えばもう少し給料を上げて欲しい所だけど)、たった一回の失態で人生を棒に振りたくなんかないんですよ。
だからこそ仕方なく、とは言わないんだけどね。こんな風に無茶振りをする時もあるけど、楽しい事だってあるのだから。
それに、雪で遊ぶイヴァンさんを見ていると私も童心に帰ってはしゃぎたくなってきたから、そっと彼に手を差し伸べて少しだけ、とこくりと頷いた。
私が了承した事にぱあっとお花の様な可愛らしい笑顔を咲かせたイヴァンさんはコートやマフラーに付いた雪を払い除けて素早い動作で立ち上がる。
さっきまでは私が見下ろしていたのに、今は逆に私が見下ろされる方で、首が痛いくらいにまで頭を上げないとイヴァンさんの顔を見る事が出来なくなってしまった。
こんなに大きな身体をしているけれど笑えば可愛いし、怒ればそれはもう、言葉で表現しきれない程恐ろしい。喜怒のギャップ差が天と地くらいありそうで、周りの人達からはほんの少し距離を置かれたりしているんだけど、私は何故か距離を置く事無くごく普通に彼と接している。
ほんの少しだけ似ている部分があるからなのかは知らないけれど、その為かよくイヴァンさんとはお話したりさせてもらっているのだ。周りからは心配されるけど、イヴァンさんってお話してるとそんなに危ない人じゃあ無いと思うんだけどな。怒ったらそりゃあ、怖いけど。
今だってこんな風に、子供みたいにはしゃいで雪に埋もれているし。見ていて微笑ましいと言うか、母性本能を擽られると言うか、男性に言うと怒りそうだけどやっぱりかわいい。
「、ほら一緒に、ウォーッカー!って」
「あはは、イヴァンさんって本当にお酒好きなんですね」
「好きだよー。ね、せーの」
うぉーっかー、と不思議な掛け声と共に二人の身体が雪の中に沈む。ぼふ、と音を立てて倒れた地面は、やっぱりちょっと冷たかった。
仰向けに沈めば落ちてくる雪が頬に触れてひやりとする。ぽつぽつ雨みたいに降り注ぐそれは外に出た時よりも多くなっている気がして、本降りになってきたのかな、と呑気に思う。
雪に埋もれた感触は思ったより普通で、冷たさを除けば安宿の固いベッドより随分マシだった。でも、比べればそれくらい。正直寝心地はあんまり良くない。
冷たさが真っ先に伝わってくるから冷え性な人にとっては拷問以外の何物でもないんじゃないだろうか。好きで寝転ぶならとやかくは言わないけど。
けれど大地に寝転がるなんてあんまりしないから、そこは評価してもいいと思う。新鮮味があって、なんか不思議だ。
地面が真横にあって、周りは空しか見えなくて、手を伸ばせば届いてしまいそうな錯覚に陥りそうな気分。
変な感じ、と自然に出た言葉にお隣に埋もれているイヴァンさんが小さく笑う。雪の壁でその顔は見えないけれど、安易に笑顔が想像出来て私も釣られて笑った。
「ねえ」
「はい、なんですか?」
「このまま雪に埋もれたらどうなるかな」
「…そりゃあ、凍死するんじゃないですか?」
不意にそんな事を聞かれて、私は一テンポ遅れて答えた。当たり前の事じゃないか、と続けて漏らそうとしたけど、ふとイヴァンさんは私と同じじゃないんだと気付く。
人間ならば寒い所に長い事居れば凍死してしまうだろう。でもイヴァンさんは人間じゃなくて国だ。国の方達は私達人間よりも頑丈な存在だから、簡単には死なないと思う。確かめた訳じゃないからどうかは分からないけど、彼なら凍死じゃなくて凍傷で終わりそうな気がする。
でもどっちにしても怪我はしちゃうんだから、ずっとこのままぶっ倒れてる訳にはいかない。寒いし、冷たいし。
帰ったら温かいお風呂に入らないとなあ、と思いながら雪に埋もれた手を動かす。左手はイヴァンさんと手を繋いでいるから、右手だけ。
「じゃあ一緒に凍死しちゃおうか」
「えっ」
「嘘だよ」
…冗談きついですよイヴァンさん。私、びっくりして起き上がっちゃったじゃないですか。
目をぱちくりして上半身を起こせば、身体に薄く積もった雪がぱらぱらと飛ばされて大地の白と同化する。突然起き上がったからか、少し目の前がくらりと揺らいで、そろそろ本気で帰らないといけないと思った。これ以上雪に埋まってたらそれこそ凍死してしまうじゃないか。なんて笑えない。
イヴァンさんは気楽そうに笑っているけれど、私はいつまでもこうしている訳にはいかないのだ。鼻はつんとしてくるし、頬は冷え切ってぴくりとも動かない。
その内手足すら動かなくなってしまえば、行きつく先は先程の言葉通り、凍死しかないだろう。ああ、こうしちゃいられない。
倒れた状態から指一本動かそうとしない(それはもう、死体役の人もびっくりな位震えすら伝わってこない)イヴァンさんをゆるりと睨みつける。そしたら何故か笑みを深くされて、帰ろうと言い掛けた口はぽかりと開いたままになってしまった。
「なんで笑うんですかー…」
「んー、なんだかキスしたそうな顔してるなって思って」
「ふぇ?…っ…し、してます?」
「嘘だよー。でも聞くって事はしたかったんだ?」
「〜っ!…い、イヴァンさんの鬼…うそつきー」
両手を当てた頬が段々熱くなっていくのが分かる。なんて事、まさかフェイントを掛けられるなんて思わなかった!
顔には全く出ていないと断言出来る程寒さで誤魔化せていたと思ったのに、イヴァンさんにはそれすら無意味だったって事なんだろう。ちょっと悔しい。でもそれ以上に恥ずかしい。
普段は全然その気なんて見せる事が無いからいつも求められる側だったのに、どうして今回に限って微かに求めた事を全部綺麗にくみ取ってくるんだろう、この人は。ご丁寧に本人の口から本音を言わせたし。
ああもう、穴があったら入りたい。身体を倒せば丁度良い位置に穴はあるけど、正直これくらいの深さじゃ私の羞恥心は治まりそうにない。
じんわりと浮かんでくる涙も、冷たさでくっついてしまいそうな手と頬も、変な嗚咽しか出てこないこの口も、全部恥ずかしい。でもイヴァンさんはそれすら全部、根こそぎ奪っていく。
いつものように、やわらかくて、太陽みたいにふわふわした笑顔で、私の全てを持っていく。残るものなんて何も無い、私に出来る事はただ彼の手によって流されるだけだ。
「ほら、おいで」
「…ぅー」
ぽすり、とイヴァンさんに腕を引っ張られて身体を傾けさせる。触れた肌は冷たくて、でもしっとりしていた。
目を閉じれば重なった箇所があったかい事に気付く。ほんの些細な熱だったけれど、落ちてくる雪片を溶かしてしまいそうな、熱。
まどろんでくる意識の中でそれを感じながら、私は静かに寄越される熱に酔い痴れる。
(ああ、溶けそう)
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企画に提出させて頂いた物です。きっと最初から夢主さんは物欲しそうにしてたと思う。それがかわいい。
[2010.08.08]
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