アーサー氏と、追加オーダー
休日だったはずの楽しいハロウィンは何処へやら。休日返上ついでに飛行機の中でパンプキンケーキを食べつつ、私は一人泣きたくなった。
ああもうあの上司、今度会ったらちょっとだけ頭のカツラずらしてやろう。そして陰で笑ってやる…!
急ぎの用事が出来たから、と昼前に呼び出しを喰らって身嗜みを最低限整えただけで職場に向かったのに、押し付けられたのは資料と飛行機のチケット。
一体何処まで行かせる気なんだと行先の文字を辿ったら、そこにはヒースロー空港、ロンドン行きの文字。ロンドン、…イギリス。
…菊さんの口癖のように善処しますと叫んで全速力で逃げようとしたら、職場の仲間に取り押さえられた。南無、私。
「…うう…菊さんとパンプキンパイ作ろうと思ってたのに…」
何十時間のフライトに耐えるのはいつもの事だから良いのだけれど、折角の休日を台無しにされるのは頂けない。
しかも相手はあの眉毛。ああ、カミソリは持ってきている筈だから今度こそあの眉毛を剃り落とさなければ、腹の虫が治まらない。
更にこの飛行機が飛び立ったのはつい数時間前。職場に着いた時は丁度お昼頃だったのに、そこからデスクワークを頼まれて色んな部署に資料を届けて移動していたら、いつの間にか夕方を通り越している時間だった。
空港に着く時間を見図られていたかのように、搭乗時刻は到着の十分前。明らかにデスクワークなどの雑用は計算されて押し付けられたに違いない。
はあ、と大きな溜め息を吐いて窓の外を見やると、暗い空に無数の光が上にも下にも広がっていた。
何だかんだ言って愚痴は零すけれど、こんな綺麗な夜景を何度も見る事が出来るのはこの仕事をしているからなんだよなあ。頻繁に海外にも行く事が出来るし。
観光目当てで行く訳じゃないから旅行とはいかないものの、日本ではあまり見る事の出来ない西洋の雰囲気とかカントリーな風景は仕事の合間にちらちら見る事が出来て、それだけでも目が幸せになる。
だから休日返上して呼び出しを喰らっても、中々辞められないのだ(でも本当は辞表押し付けてやろうかと思った事が何度かあるけどそこは敢えて無視しておく)。
「…あー、早く帰れますように」
そう呟いて目の前の大きなディスプレイに映る英国産の映画をぼんやりと見ながら、私は残りのパンプキンケーキを頬張った。
いつものアーサー氏が居る職場へと向かって、受付を通り越す。
本場と言っても過言ではないイギリスのハロウィンは既に終わってしまっていて、十一月のロンドンの街には名残がほとんど残っていなかった。次はクリスマスの飾り付けになるんだろうな、きっと。
楽しみだったハロウィンを飛行機の中で過ごしてしまった事に軽い絶望を覚えつつ、私は誰も居ない廊下で頭を抱えた。今から日本に帰っても手遅れなんだろう。ああ、ハロウィンだったのに仕事で予定が台無しだ。
せめて次の日にとかにずらしてくれれば良かったのにと頭に浮かぶ上司の顔へぽこぽこと怒りつつ目的地のドアをノックした。
「アーサー氏、ですけど」
ドアの前で声を掛けて三秒。返事は…無い。
おかしいな、ともう一度コンコン、と数回ノック。そしてまた数秒待つけれど、返答が返ってくる事は無かった。
普段なら直ぐに返事が返ってくると言うのに、今日は何秒待っても返事が来ない。
受付の人に聞いた時はちゃんと部屋に居るって言っていたのに…不在なのだろうか?
でも今から引き返すにしても、上司には本人に資料を渡してこいと言われているので帰る事も出来ない。
もう勝手に部屋に入って資料置いて帰ろうかな、とドアノブに手を掛けた所で、僅かだが部屋の中から声が聞こえた。
(…やっぱり居るんじゃないですか…)
私を無視したのは嫌がらせですか、全く、と顔を引き攣らせて部屋の中に居るであろう眉毛に悪態をつく。
きっと部屋の主は優雅に紅茶でも飲みながら仕事をしているんだろうな。ああ、思い出しただけで太い眉毛を剃りたくなる。
懐に隠してあるカミソリの位置を確認して、なんて言って苛めてやろうかと考えながらドアノブを回した。
「アーサー氏、入りますよ、このまゆ…、え?」
『ふあっ!見つかっちゃうよ!隠れて!』
「…え、え?…えええ」
既に見つかっているから「見つかっちゃう」と言うのはおかしいとか、天井に頭がぶつかっている人?が居て痛くないのだろうか、とか、言いたい事は色々あったけど、口から出たのは言葉にならない間抜けな声だった。
いや、だって、羽が生えた小人とか角の生えた白馬とか得体の知れないよく分からない物だとか、とにかく不思議な物体が部屋の色んな所に鎮座していて、それが一瞬にして消え去ってしまったのだ。
え、なにあれ。なんですかあれ。私霊感とか全くと言っていいほど持ち合わせていない筈なんですけど、あれは、どう見ても…その、この世のものじゃない類の…。
「…ん、なんだよ、お前等うっせえぞ…」
「…あ、う、…あ」
「うん?なんだ、お前かよ」
「あ…え、ええ、まあ」
呆けている私に対して欠伸をしながら目を擦ったアーサー氏はきょとり、と首を傾げる。
どうかしたのか、と聞かれ、私は何て答えれば良いのか分からず口の中でもごもごと言葉を転がした。だって、あれは、どう説明すればいいのか分からない。
アルさんやフランシス氏から、アーサー氏の国はファンタジーでオカルトな国だと聞かされていたけれど、まさか自分がそれに遭遇するなんて、思ってもみなかった。
時折何処かに向かって嬉しそうに独り言を話しているアーサー氏を見かけた事はあるけど、その傍らに居るであろう妖精さん?は全く見る事が無かったし。
なのに何故、今日は見る事が出来たんだろう。長いフライトで疲れたのかしら。あー、そうでありますように。じゃないと私まで変人扱いされてしまうじゃないか。
「行き成り部屋に入ってきて何だよ、変な奴だな」
「…貴方に言われるとは屈辱です」
「な、悪かったな馬鹿ぁ!」
言った傍から変人扱いとは、今日は厄日なんじゃないだろうか?上司の呼び出しから一つも良い事が無い。
これも眉毛の呪いか、と目元を抑えてぐすりと鼻を鳴らしたら、やっぱり馬鹿あ、と叫ばれた。
「はあ…、とりあえず疲れたんで資料だけ渡しときます…。あと何処かに泊めてください」
「お前溜め息吐きながら言う台詞かよ…しかも強請るな」
「普通のやっすいホテルで構いませんので。頼みました」
「ちょ、おい!話聞けよ!」
持ってきた分厚い会議の資料を封筒ごと彼のデスクにどさりと乗せて、踵を返す。
後ろからはまだぐちぐちと何か叫んでいるみたいだったが、右から左へと軽く受け流して手を振るった。
じゃあ受付で待ってますので、とにこりと微笑みながら捨て台詞を吐いて、物言いたげな英国紳士に一礼し、ぱたん、と音を立ててドアを閉めた。
あ、眉毛剃るの忘れてた。まあ、また今度で良いか。
行くぞ、と声を掛けられて、そこがまだホテルじゃない事に気がついた。
ぼんやりと夢見心地気分になっていたのがぱっと覚醒して、目の前にある緑の瞳にびっくりする。
ああいけない。飛行機の中でまどろんだ筈なのに、疲れていた所為かこんな場所で寝てしまうとは…恥ずかしい。
ぼやける視界をごしごしと手の甲で拭い、声を掛けたアーサー氏をもう一度見る。
最後に会った時とは少しだけ服装が違っていて、普段来ている軍服の上に暖かそうなコートを羽織っているようだった。
何処かに行くのだろうか、と首を傾げて、起こされた台詞を思い出す。けれど彼と一緒に行く宛など思い浮かばなかった。
「…何処か行くんですか?」
「ホテルだろ、お前が言ったからわざわざ…」
「……」
「…変な事考えるなよ。普通のホテルだからな」
おや、私は普通のホテルの方を想像しましたよふふふ。いやあ、アーサー氏ってば何言ってるんでしょうか、流石フランシスさんにお色気担当譲られただけありますね、ははは。
だからそんな怖い顔で見つめないでくださいよ、ゲジ眉が寄りに寄って繋がりそうになってますよ。
思わず噴き出しそうになるのを必死に堪えて、先に外へ出て行ってしまうアーサー氏を追う。
外に出ると、来た時よりも風が冷たくて、そろそろ冬の季節なんだなあと思った。あ、寒い。
「お前上着を持ってくるとかしなかったのかよ」
「急な呼び出しでしたから…うっかり用意しませんでした。コート貸してくれます?」
「却下」
「ケチですね」
「なんでだよ!用意してないお前が悪いんだろ」
まあそうですけどね、とぽつりと呟いて、枯葉が落ちる道をかつかつと音を鳴らしながら歩いた。
ホテルはわざわざ近場を取ってくれたらしく、歩いて直ぐの距離だった。だから一緒に来てくれたのか、納得。
しかも普通の安っぽい所で良いと言ったのに、まあまあ値段がしそうな所を案内された時は、やっぱり英国紳士なんだなあ、とちょっと感心した(あ、本人が聞いたら馬鹿って言われそう)。
ああもうあの上司、今度会ったらちょっとだけ頭のカツラずらしてやろう。そして陰で笑ってやる…!
急ぎの用事が出来たから、と昼前に呼び出しを喰らって身嗜みを最低限整えただけで職場に向かったのに、押し付けられたのは資料と飛行機のチケット。
一体何処まで行かせる気なんだと行先の文字を辿ったら、そこにはヒースロー空港、ロンドン行きの文字。ロンドン、…イギリス。
…菊さんの口癖のように善処しますと叫んで全速力で逃げようとしたら、職場の仲間に取り押さえられた。南無、私。
「…うう…菊さんとパンプキンパイ作ろうと思ってたのに…」
何十時間のフライトに耐えるのはいつもの事だから良いのだけれど、折角の休日を台無しにされるのは頂けない。
しかも相手はあの眉毛。ああ、カミソリは持ってきている筈だから今度こそあの眉毛を剃り落とさなければ、腹の虫が治まらない。
更にこの飛行機が飛び立ったのはつい数時間前。職場に着いた時は丁度お昼頃だったのに、そこからデスクワークを頼まれて色んな部署に資料を届けて移動していたら、いつの間にか夕方を通り越している時間だった。
空港に着く時間を見図られていたかのように、搭乗時刻は到着の十分前。明らかにデスクワークなどの雑用は計算されて押し付けられたに違いない。
はあ、と大きな溜め息を吐いて窓の外を見やると、暗い空に無数の光が上にも下にも広がっていた。
何だかんだ言って愚痴は零すけれど、こんな綺麗な夜景を何度も見る事が出来るのはこの仕事をしているからなんだよなあ。頻繁に海外にも行く事が出来るし。
観光目当てで行く訳じゃないから旅行とはいかないものの、日本ではあまり見る事の出来ない西洋の雰囲気とかカントリーな風景は仕事の合間にちらちら見る事が出来て、それだけでも目が幸せになる。
だから休日返上して呼び出しを喰らっても、中々辞められないのだ(でも本当は辞表押し付けてやろうかと思った事が何度かあるけどそこは敢えて無視しておく)。
「…あー、早く帰れますように」
そう呟いて目の前の大きなディスプレイに映る英国産の映画をぼんやりと見ながら、私は残りのパンプキンケーキを頬張った。
いつものアーサー氏が居る職場へと向かって、受付を通り越す。
本場と言っても過言ではないイギリスのハロウィンは既に終わってしまっていて、十一月のロンドンの街には名残がほとんど残っていなかった。次はクリスマスの飾り付けになるんだろうな、きっと。
楽しみだったハロウィンを飛行機の中で過ごしてしまった事に軽い絶望を覚えつつ、私は誰も居ない廊下で頭を抱えた。今から日本に帰っても手遅れなんだろう。ああ、ハロウィンだったのに仕事で予定が台無しだ。
せめて次の日にとかにずらしてくれれば良かったのにと頭に浮かぶ上司の顔へぽこぽこと怒りつつ目的地のドアをノックした。
「アーサー氏、ですけど」
ドアの前で声を掛けて三秒。返事は…無い。
おかしいな、ともう一度コンコン、と数回ノック。そしてまた数秒待つけれど、返答が返ってくる事は無かった。
普段なら直ぐに返事が返ってくると言うのに、今日は何秒待っても返事が来ない。
受付の人に聞いた時はちゃんと部屋に居るって言っていたのに…不在なのだろうか?
でも今から引き返すにしても、上司には本人に資料を渡してこいと言われているので帰る事も出来ない。
もう勝手に部屋に入って資料置いて帰ろうかな、とドアノブに手を掛けた所で、僅かだが部屋の中から声が聞こえた。
(…やっぱり居るんじゃないですか…)
私を無視したのは嫌がらせですか、全く、と顔を引き攣らせて部屋の中に居るであろう眉毛に悪態をつく。
きっと部屋の主は優雅に紅茶でも飲みながら仕事をしているんだろうな。ああ、思い出しただけで太い眉毛を剃りたくなる。
懐に隠してあるカミソリの位置を確認して、なんて言って苛めてやろうかと考えながらドアノブを回した。
「アーサー氏、入りますよ、このまゆ…、え?」
『ふあっ!見つかっちゃうよ!隠れて!』
「…え、え?…えええ」
既に見つかっているから「見つかっちゃう」と言うのはおかしいとか、天井に頭がぶつかっている人?が居て痛くないのだろうか、とか、言いたい事は色々あったけど、口から出たのは言葉にならない間抜けな声だった。
いや、だって、羽が生えた小人とか角の生えた白馬とか得体の知れないよく分からない物だとか、とにかく不思議な物体が部屋の色んな所に鎮座していて、それが一瞬にして消え去ってしまったのだ。
え、なにあれ。なんですかあれ。私霊感とか全くと言っていいほど持ち合わせていない筈なんですけど、あれは、どう見ても…その、この世のものじゃない類の…。
「…ん、なんだよ、お前等うっせえぞ…」
「…あ、う、…あ」
「うん?なんだ、お前かよ」
「あ…え、ええ、まあ」
呆けている私に対して欠伸をしながら目を擦ったアーサー氏はきょとり、と首を傾げる。
どうかしたのか、と聞かれ、私は何て答えれば良いのか分からず口の中でもごもごと言葉を転がした。だって、あれは、どう説明すればいいのか分からない。
アルさんやフランシス氏から、アーサー氏の国はファンタジーでオカルトな国だと聞かされていたけれど、まさか自分がそれに遭遇するなんて、思ってもみなかった。
時折何処かに向かって嬉しそうに独り言を話しているアーサー氏を見かけた事はあるけど、その傍らに居るであろう妖精さん?は全く見る事が無かったし。
なのに何故、今日は見る事が出来たんだろう。長いフライトで疲れたのかしら。あー、そうでありますように。じゃないと私まで変人扱いされてしまうじゃないか。
「行き成り部屋に入ってきて何だよ、変な奴だな」
「…貴方に言われるとは屈辱です」
「な、悪かったな馬鹿ぁ!」
言った傍から変人扱いとは、今日は厄日なんじゃないだろうか?上司の呼び出しから一つも良い事が無い。
これも眉毛の呪いか、と目元を抑えてぐすりと鼻を鳴らしたら、やっぱり馬鹿あ、と叫ばれた。
「はあ…、とりあえず疲れたんで資料だけ渡しときます…。あと何処かに泊めてください」
「お前溜め息吐きながら言う台詞かよ…しかも強請るな」
「普通のやっすいホテルで構いませんので。頼みました」
「ちょ、おい!話聞けよ!」
持ってきた分厚い会議の資料を封筒ごと彼のデスクにどさりと乗せて、踵を返す。
後ろからはまだぐちぐちと何か叫んでいるみたいだったが、右から左へと軽く受け流して手を振るった。
じゃあ受付で待ってますので、とにこりと微笑みながら捨て台詞を吐いて、物言いたげな英国紳士に一礼し、ぱたん、と音を立ててドアを閉めた。
あ、眉毛剃るの忘れてた。まあ、また今度で良いか。
行くぞ、と声を掛けられて、そこがまだホテルじゃない事に気がついた。
ぼんやりと夢見心地気分になっていたのがぱっと覚醒して、目の前にある緑の瞳にびっくりする。
ああいけない。飛行機の中でまどろんだ筈なのに、疲れていた所為かこんな場所で寝てしまうとは…恥ずかしい。
ぼやける視界をごしごしと手の甲で拭い、声を掛けたアーサー氏をもう一度見る。
最後に会った時とは少しだけ服装が違っていて、普段来ている軍服の上に暖かそうなコートを羽織っているようだった。
何処かに行くのだろうか、と首を傾げて、起こされた台詞を思い出す。けれど彼と一緒に行く宛など思い浮かばなかった。
「…何処か行くんですか?」
「ホテルだろ、お前が言ったからわざわざ…」
「……」
「…変な事考えるなよ。普通のホテルだからな」
おや、私は普通のホテルの方を想像しましたよふふふ。いやあ、アーサー氏ってば何言ってるんでしょうか、流石フランシスさんにお色気担当譲られただけありますね、ははは。
だからそんな怖い顔で見つめないでくださいよ、ゲジ眉が寄りに寄って繋がりそうになってますよ。
思わず噴き出しそうになるのを必死に堪えて、先に外へ出て行ってしまうアーサー氏を追う。
外に出ると、来た時よりも風が冷たくて、そろそろ冬の季節なんだなあと思った。あ、寒い。
「お前上着を持ってくるとかしなかったのかよ」
「急な呼び出しでしたから…うっかり用意しませんでした。コート貸してくれます?」
「却下」
「ケチですね」
「なんでだよ!用意してないお前が悪いんだろ」
まあそうですけどね、とぽつりと呟いて、枯葉が落ちる道をかつかつと音を鳴らしながら歩いた。
ホテルはわざわざ近場を取ってくれたらしく、歩いて直ぐの距離だった。だから一緒に来てくれたのか、納得。
しかも普通の安っぽい所で良いと言ったのに、まあまあ値段がしそうな所を案内された時は、やっぱり英国紳士なんだなあ、とちょっと感心した(あ、本人が聞いたら馬鹿って言われそう)。
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妖精さんが見れたのはハロウィン後だったから。これ以降はきっと見れない。
[2010.01.07]
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