ロザリオの花言葉

 自分はなんて意地悪な奴なんだ、と空を見上げながら思った。
 純粋に、少し照れくさそうに、笑う彼にあんな事を言ってしまった。
 彼は困っただろう。そしてきっと、怒るんだろう。「そんな事出来ない」と、声を上げるんだろう。
 それでもあの台詞を言ってしまったのは、私が好きだったからだ。
 …何を、だって?そりゃあ、もちろん。

「一万本」
「…は?」
「一万本の薔薇が見たい」

 問われた言葉にそう折り返すと、彼―アーサーは目をぱちくりさせて呆然と佇んだ。
 予想の範疇を超えた返答が来たからなのか、薄く開いた口は数秒経っても言葉が出る事は無かった。
 漸く声が発せられたのはたっぷり十数秒経った後の事で、それはまた、私に対しての問い掛けだった。

「一万、って」
「別に一万株じゃなくて良いよ。薔薇の花を一万個、見たい」
「…」
「駄目なら駄目で構わないからさ」

 言葉を無くす彼に薄く微笑んでくるりとその場で半回転する。石畳がかつん、と音を立てて心地が良い。
 駄目も何も、今私は彼に対して無理難題を頼んだのだ。一万の薔薇の花。しかも期限付きで、その締め切りはあと一カ月。
 一カ月じゃあ国中の薔薇を集めようとしても無理だろう。一人でなんて尚更。
 片っ端から集めようとも、今の時代の移動手段は馬車くらい。これじゃあとても一万なんて集められっこない。だから不可能。
 それなのに私は困り切った彼の顔を見ながらくすり、と笑う。なんて意地悪な、私。ほら、アーサーはなんて返事をしていいかとっても迷ってる。
 彼は紳士だから、レディに対して凄く親切にしてくれる。まあ、お酒が入ると見ていられない惨状になるんだけど、それは端の方にでも置いといて。
 頼まれた事はきちんとこなし、多少の無理でも彼にしか出来ない頼みなら聞いてくれる。自分で友達が居ないとずっと言ってるから、一度繋いだ縁を断ち切らないように。
 この人は優しい。そして強く、同時にきっと脆い存在だ。一度拒絶されたら塞ぎこんで、挙句自傷行為でも始めそうな感じだもの。
 それを目の当たりにした事は無いけれど、一人でよく泣きそうな顔をしているのは知ってるから。
 なのにどうして私は彼の優しさにこうやって漬けこんで、意地悪するのか。理由が無いと言えばもちろん嘘になる。でもまあ、その理由を言ってしまえば私の中で何かが変わってしまう気がするから、敢えて言わない。各自で考えればいい。
 答えは至極単純なものだから直ぐに答えは見つかるだろう。目の前の人は全くと言って良いほど気付いてないけどね。

「アーサー、そんなに悩む事無いよ。別に誕生日のプレゼントなんて無くて十分なんだから」
「でも」
「なら安っぽい物でも良いから、薔薇を頂戴?一本でも良いから、薔薇が見たいの」
「…好きなのか?」
「まあね」

 本心から言った台詞は吹いた風によってかき消えた。


 カリカリとペンを走らせて、インクが薄い色の付いた紙に滲んでいく。ぽたりと染みが出来る前に細いペン先を滑らせ、崩れた筆記体は紙いっぱいに綴られる。
 ずっと紙と睨めっこしてもうどれ位時間が経っただろう。いつの間にか日は暮れかけていて、辺りは薄雲に覆われていた。もう直ぐ辺り一面真っ暗になるだろうな。
 そろそろ明かりを点けないと、と備え付けの燭台へ火を灯す。じじ、と燃える音と共に蝋が溶けた匂いが鼻に通って部屋を照らしてくれた。
 壁に描かれた複雑な花模様がぼんやりと浮かび上がり、私の目の前に広がって行く。調度品のワンポイントにもなっているそれは、小さな頃から好きだった薔薇の花模様だった。
 幾重にも重なる花弁もあれば、小さな一重の可愛らしい種類もある薔薇の花。どちらかと言うと八重の薔薇の方が私は好きだったけれど、現物を見たのは数える位しかない。
 話によれば毎年綺麗に咲くらしいんだけど、生憎と私の住んでいる環境に合わないのか、この辺りで薔薇を見た事は一度も無い。精々、摘み取られた数本の散り掛けの花程度。
 もっと生き生きとして香りも強い薔薇の花が欲しくて、見たかった。じゃあ別の場所に引っ越しすれば良いじゃないかと言われるかもしれないけど、現実そう上手くはいかないもの。
 箱入り娘のように大切に厳重に育てられた身は簡単に一人立ちなんかさせてくれない。今までの全てを投げ出してしまえば何とかなるかもしれないけど、私にはそんな勇気、無かった。
 だから今もこの作り物の薔薇に囲まれた部屋で暮らしているのだ。カリカリ、誰に宛てたものでもない手紙を書きながら。

 転機が訪れたのはいつの事だったか。多分、何十年と続いた戦いが終わりを迎えようとしていた時だったと思う。
 ふいに香った薔薇の匂いに誘われて手を伸ばした先に、彼が居た。アーサー=カークランド。我が祖国。
 向けられた鋭い視線に息を飲んだのは一瞬で、直ぐにまた薔薇の香りが私を支配していった。まるで侵食されていくような、ダマスクの甘い匂い。
 その頃から既に私は虜になっていたんだろう。懐かしくもあり優雅で、美しいあの香りに。そしてそれを身に纏う、彼に。
 彼は私の母国なのだから、惹かれるのは当たり前なんだろうと思った。現に国である彼にも私は惹かれているし。でも国である彼だけでなく、個人としての彼にも私はきっと虜になってる。
 母国愛を超えた感情の芽生えは思春期真っ只中な私にとって何よりの苦痛だった。馬鹿な感情、醜い、自覚したら死にたくなった。でもすきだった。
 気付いてくれたら良かったのに、そして想いに答えてくれたら幸せだったのに、生憎と彼はそう言う「愛される」と言う感情には極端に疎くて鈍い。逆の感情にはとても敏感な人なのに。
 だから余計に悩んで苦しんで、周りに変な心配ばかり掛けていた。いっそ本当に死のうかと思ったけど、やっぱり勇気が無かった私にはナイフすら握れなかったのだ。情けない。

 ぐるぐる回って巡り巡って寝込んで願って絶望して、久しぶりに日の光を浴びたのは彼と出会ってから二年ほどが経ってからだった気がする。
 確かあの時は私の家も戦に巻き込まれて悩んでいる暇は無いほどに大変だった時期だ。その後直ぐに事態は収束していったけど、同時に私の悩みもそこでぶつりと途切れてしまったんだよね。
 どうして突然区切りが着いたのかは今でも分からないけど、それ以降あんまり深く悩む事は無くなったんだ。
 それからと言うもの、肩の荷が下りたみたいに私は彼に対して他者と変わらない対応をする事が出来た。前はぎこちない感じがあちこちから溢れていたのに、自分でもびっくりする位変わったと思う。
 あんな風に意地悪したり、からかったりする事も出来るようになったし、色んな事を教えて貰ったりもした。
 気付けば私にとって彼は親しい友人と言う立ち位置になっていて、渦巻いていた感情は端っこの方にちょこん、と残っている程度だった。まあ、欠片位は残っているんだから、悩む事は途絶えてないんだけどね。
 それでも今は大切な友人として彼と笑い合ったりすることが出来ているんだから、日々幸せだ。

「…?」

 再び視線を下ろしてペンを取ろうと手を伸ばした矢先、かつり、と窓が音を立てる。
 風では無い硬い物が当たったであろうその音は一定間隔で窓を鳴らして、まるで合図をしているみたいだった。
 私は頭に疑問符を浮かべて音がした窓へと足を向ける。用心の為に懐に忍ばせた短刀にも手を添えて窓に近付くと、ぱさぱさと薄暗い中で何かが揺れ動いたのが見えた。
 あ、と見覚えがあるそれに思わず小さな声を上げ、短刀を握っていた手をぱっと離す。急いで窓の鍵を開けたら、いつもとは逆に私を見上げたアーサーがそこに立っていた。

「悪い、こんな時間に」
「…構わないけど…どうしたの、そんな薄着で」
「急いで来たから、これ、お前に見せたくて」
「え」

 そう言って差し出されたのは、紙に包まれた数本の薔薇の花、だった。
 柔らかい白とピンクの花弁が重なった小振りのそれは綺麗に咲き誇っていて、手に取ると仄かに甘い香りが鼻に付いた。ああ、ダマスクの良い香り。
 アーサーがいつも身に纏っている薔薇の香りとは少し違うけれど、この薔薇も良い匂いがする。花弁に鼻を近付けるとより一層その匂いに包まれてほぁ、と吐息が漏れた。

「気に入ったか?」
「うん…。けどこの薔薇どうやってここまで?この辺じゃ売ってないでしょ?」
「ああ、だから育てたんだよ。あんまり綺麗に咲いてくれなかったけど、数本だけ良いのが出来たからな」
「育てたって…なんで」

 きょとりと首を傾げて問いかけると、アーサーも同じように目を瞬かせて首を傾げる。見たいって言っただろ、と当たり前の様に呟かれたのは、その直ぐ後の事だった。
 確かに、薔薇を見たいとは言ったけどまさか育てる所から始めるとは思わなかったと言うか…。冗談で言ったのに、逆にこっちが申し訳無く思うじゃないか(まあ元凶は私だけど)。
 無理なら構わないって言ったのに、どうしてここまで優しくしてくれるのかなあ。やっぱり友人だから?でもだからって、流石に一から花を育てるだろうか。薔薇って病気に掛かったら大変だと言うし。
 色んな疑問を述べようともごもごと口を動かす。けれど上手く文章になってくれないみたいで、結局私は貰った薔薇に顔を埋める事しか出来なかった。
 …やばい、嬉しいかも。まさか本当に薔薇をくれるなんて。こんなに薔薇って良い匂いがするんだ…なんて名前の薔薇なんだろう。

「York and Lancaster」
「え?」
「その薔薇の名前だ。良い名前だろ?」
「…そう、だね。うん、この薔薇に相応しい名前だ」
「俺の国花を好きだって言ったから…って違うからな、勘違いすんなよ!…まあとにかく、Happy Birthday、
「はいはい。ありがと、アーサー」

 ぼっと頬を赤く染める照れ顔に可愛いな、と思いながら、私は小さく笑みを零した。ああ、鼻を掠めるのは薔薇の良い香り。
 直ぐに一万とは言わないけれど、来年はもっと沢山の薔薇が見れるといいな。だって皆でこの香りを楽しめるじゃない!

BACK HOME NEXT

きっと数年後には薔薇園が出来てそう。

[2010.06.01]