festejos hilarantes

 自分の中でのお祭りと言うものは何処か神々しいとか、賑やかとか、とにかくプラスのイメージが多い。
 実際に煌びやかに着飾った人々とか、彩り豊かに掲げられた光は見ていて惚れ惚れする。
 皆が笑って楽しんで、ダンスをしたり色んな屋台をまわったり、とても楽しい一時を過ごす事が出来る。それが私の中のお祭りだった。
 けれどその固定概念と言うものはこの日、この時、ものの見事に砕け散って下さったのだ。
 この真夏の太陽が照りつける、情熱の国のお祭りによって。

 日本語に訳してみれば、そのお祭りは「トマト祭り」と呼ばれるのだろう。
 ラ・トマティーナ、訳す事をしなくてもトマトがメインのお祭りなんだなあ、と思うそれはスペインで行われるお祭りの一つだった。
 聞く所によると、どうやら収穫祭だと言う事なのだが、ぶっちゃけて言うと私はそんなお祭り、一度も耳にした事が無かった。ええ、だって私は生粋の日本人。英語すらまともに話せないと言うのに外国の文化なんか知ったこっちゃない。
 そんな事を言うと何処かのお偉いさんから金だらいとか飛んできそうな気がするけど、本音なんだから仕方ない。私は友人の様に海外に興味がある訳でも、行ってみたいとも思ってないのだから。
 それなのにどうしてスペインのお祭りの事を話題に出したのか、疑問に思う方も居るかもしれない。
 …答えは簡単で単純明快、今現在私が居る場所が日本では無くスペインだから、だ。

 有り得ない、一言そう呟いたとしても、今のこの状況が変わる訳が無い。それは重々承知している。
 けれど発したくなる言葉に頭ががんがんと痛くなった。どうして、何故こうなったんだ。理解したくない。
 思えば友人との些細な会話に首を突っ込んでしまったのがそもそもの原因だろう。ああ、どうして私はあの時ぼんやりと素数を数えていたのかしら。当時の自分を叱りたい。
 しかし今となってはもう時既に遅し、時計の針を戻す事が出来ても時間は戻せない。後悔しか残っていないのが現状だった。
 どうして私は今、日本を飛び出して頭を抱えたい状況になっているのかと言うと、簡潔に説明すればそう、旅行に来たのだ。しかも一人。何これ拷問ですか。
 本来ならば私を巻き込んだ張本人である友人が私の隣で目を輝かせている筈なのだが、生憎とその姿は遠い海の彼方、日本にあった。友人談によると、数日前から風邪を引いたらしく、旅行に行けないとの事。
 旅行自体をキャンセルするのは勿体無い、と病に伏せる友人が物凄い形相で言うもんだから、言われるがままに私は飛行機に乗ってしまったのだ。今思えば友人の付き添いで来た筈なのに、これでは本末転倒にも程がある。
 しかもツアーじゃないとか、私はどうすれば良いんですか。フリープランとか止めて、ちょうやめて。日本語が通じない国に放り出さないで。あいあむじゃぱにーず!
 いっそホテルに閉じこもっておこうかと思ったのだが、高いお金を出して態々ここまで来たのに流石にそれは無いだろ、と早々にその考えは捨て去った(と言っても一日二日は悩んだのだが)。
 それにご飯の時は嫌でも日本語以外の言語を喋らないといけないのだから、早い内に諦めて置かなければこの先帰国するまでが地獄の様に思えてくる。実際そうだと思う。
 だから身振り手振りで何となくここまでやってこれたのだ。ピンチになった時って意外とどうにかなるものなんだなあ。誰か褒めてくれ。

 まあ、そんな事があって、私がスペインに来た理由は察して頂けただろうと思うのだが、冒頭の説明においては私も正直上手く説明出来ません。誰か解説か翻訳、又は辞書を下さい。
 ホテルの人に聞いた限りでは、屋台とかイルミネーションとか、私が思っていた筈のお祭りがある筈だったんですけど。
 どう見ても今のこの状況は、目の前に繰り広げられているこの情景は…一言で表すとそう、戦場が正しいと、思う。
 辺りは一面真っ赤な色。けれど決してそれは人から流れる血液では無くて、鼻につん、とくる酸っぱい香り。そう、お祭りの名前でもあるトマトだった。
 盛大にぶちまけられた赤色は人に、建物に、色んな場所に飛び散っていて、そのほとんどがトマトの原型を無くして地面に赤い水溜りを作っていた。
 果汁は下に、そして果肉は障害物に当てられ、人々は叫び合っていた。もちろんスペイン語だから何を叫んでいるのか私にはまるで分かりはしない。
 けれどこの惨状と言うか、何とも言えない状況に私は頭を抱える事すら出来ずに言葉を無くした。だって、果肉がやけにリアルで怖いんですけど。そりゃあトマトだと思えば良いんだけど、それでも何か、胃からせり上がってきそうな感覚が。
 まさかこれがトマティーナと言うお祭りだとでも言うんだろうか。否、そうなんだろうけど…、ここまで激しいものだったなんて、びっくりを通り越して放心してしまう。
 ぐしゃりと楕円形のトマトを軽く潰して相手の顔面に叩きつける所とか、とってもハードだと思うんだけど大丈夫なんだろうか?これじゃあ多少の怪我をしてもトマトの赤なのか血の赤なのか分からないじゃないか。
 海外のお祭りはこんなにも激しいものなんだなあ、とぼんやりと虚ろになっていく思考でそんな事を思う。あ、いけない。また素数を数え始めてしまいそうになった。

「…とりあえず…ここは危なそうだなあ」

 こんな所で棒立ちになっていれば、いずれトマトを持つ人達の餌食になる筈だ。それは何としても避けなければ、私の服がもれなくトマトまみれになってしまう。
 奇跡的に汚れていない私の服は色が移り易い白を基調にしたワンピースなので、万一トマトをぶつけられたらもう着れなくなってしまいそうだ。うう、想像しただけでも泣きたくなる。お気に入りの代物なのに、よりにもよって何故今日着てしまったんだろう。
 ぐすん、と鼻を鳴らしてホテルがある路地へと逆戻りしていく。途中トマトをぶつけられそうになったので間一髪の所で避けたら、べしゃりと靴がトマトの湖に沈みました。ああ、運動靴ご臨終。替えの靴が無いのが残念だけどここは我慢するしかない。
 大股で水溜りを踏まないように石畳を飛び越えて行き、徐々に祭りの会場から離れて行く。と言っても街全体が真っ赤になってしまっていると言っても過言では無いので、油断する事は出来なかった。
 ああ、勿体無い。そりゃあ、ストレス発散がてらに物をぶつけたりするのは楽しいかもしれないけどさ、流石にこの量は無いと思うんだ。食べ物を粗末にするなんてしちゃいけないんだよ!
 うんうん頷いて何処かの探偵のように掌を口元に寄せて考えるポーズをする。一人でこんな事をしてもワトソン君とかお隣に居る訳でもないけどさ、ついやりたくなるのだ。

「わあっ」
「おっと、と」

 まあその所為で誰かと接触したら元も子もないんだけど。何してるの私、これじゃあただの名探偵のフリしたドジじゃないか。ワトソン君にも笑われてしまうよ。
 思いっきりべしょりとぶつかった身体は地面が濡れている所為もあって簡単にバランスを崩してしまう。支えようと伸ばした手は一歩遅くて、ぐらりと傾いた身体はもれなく地面とご対面…の、筈だったのだが。
 おかしい、地面の冷たさを感じないし、トマトの海にダイブした不快な感触もない。あれ、と咄嗟に瞑ってしまった目を開けると、頬にぽたりと何かの雫が零れ落ちた。
 …ああ、逃げ出したくなるほどのトマト臭。それなのに目の前は真っ赤じゃなくて、新緑を感じさせる綺麗な緑が飛び込んできた。ガラスみたいな、綺麗な色。

「ごめんなあ、大丈夫?」
「え、あ、…こちらこそ、ごめんなさい」
「折角の可愛い服が台無しやなあ、今度祭りに来る時は汚れてもええ服着てくるんやでー」
「あ…あああ!」

 にこり、と眩しい位の笑顔を見せて助けてくれた青年は頭にトマトを乗せてそう言った。手にも潰れかけたトマトを持っていて、果肉が見え隠れしている状態で笑われるとちょっと不気味だ。
 いや、否否否、それよりも!問題なのはそっちじゃない、この人が言った服装についてだ。あれだけ細心の注意を払っていたと言うのに、まさかこんな所で嫌な予感が的中するとは思わなかった!
 お気に入りだった服はトマトまみれな彼によってじんわりと赤色が滲んでしまい、そこからは仄かにトマトの香りが漂ってきていた。
 あああ、折角汚さないようにしていたのに、私の馬鹿!なんで考え事なんかしてたんだろう!そりゃあ、トマトの海に突っ込むよりはマシだけどさ、汚れたら意味無いじゃない!
 しゅるしゅると気分が沈んでいって、私はかくんと項垂れる。ああもう、これじゃあぶつかった彼に対して失礼じゃないか。
 でもお気に入りの代物なんだからそれが台無しになってしまうと…、駄目だ、未練がましい自分が嫌になってきた。
 ただの言い訳にしかならない考えを頭を振って彼方へと葬り去り、もう一度ぶつかってしまった彼に頭を下げる。非があるのはこっちなんだから、ちゃんと謝らないと。

「ぼうっとしてたのは私の方ですから、ごめんなさい」
「そんなに畏まらんてええで〜、前見てなかったのは俺も一緒やし…。お互い様って事で、な?」
「ううう…」
「ほら、今日はトマティーナなんやし、君もトマトぶつけに行こ!」

 ぐいっと右手を引っ張られて、彼は頭上にあったトマトを私の掌に乗せた。え、と思う間もなくその手はずるずると引き摺られていく。
 向かうのは通りのど真ん中、トマトまみれの真っ赤な戦場。いや、いやいやいや。ちょっと待って下さい、ほんと待って。この人私に何させようとしているの。
 服が汚れたからもう端の方を通る事はしなくてもいいんだけどさ、ど真ん中に向かうってどう言う事?これじゃあ自ら汚れに行ってるようなものじゃないか。
 犠牲は最小限にしたいのに、と思って口をぱくぱくさせても、手を引く彼の笑みは止まらない。まあまあ、ええやん、楽しいで、なんて他人事のように投げられるトマトを避けていく。
 そのお気楽な言葉にほんのちょっとだけかちん、と来たけど、拍子にぐしゃりと思いっきりトマトを踏んでどうでもよくなった。ああ、跳ねた汁がまたワンピースに。
 いつの間にか手渡されたトマトをぐにぐにと柔らかくするように揉んでいて、吐息を吐く。もう諦めるしかないだろう。どうせ、細心の注意を払っていてもホテルに帰る頃にはワンピースは汚れてる筈だ。ホテルに帰って項垂れるより、今ここでストレス発散と称してトマトをぶつけるのも、きっと悪くない。
 滴り落ちる透明な液体が地面を濡らして、溝を伝って流れていく。それを目で追い、私は決心した。

「あの」
「ん?どうした、…っぶふ!」
「こうやってぶつければ良いんですか?」
「…っぷははは!そうやで!ほなお返しに」

 べちゃ、と頭の上で何かが潰れた音がして私はぎゃっと大袈裟に肩を震わせた。そして直ぐに額を伝って冷たい何かが滴り落ちて行く。ああ、すっぱい。けど微かに甘みを感じたそれは、もう見慣れた赤色だった。
 恩を仇で返すように彼の顔面にトマトをぶつけた筈なのに、彼は怒る事無く笑って私にもトマトをぶつける。普通の人なら怒ると思うのに、この人は余程お気楽で沸点が高い人らしい。
 謝った方が良いかなって開けた口は彼の笑顔に釣られてぷすりと弧を描いた。深くなっていく笑みに思わず声が出る。

「な、楽しいやろ?もっといっぱいぶつけようや!」
「っあはは…、そうですね、この際とことん楽しむ事にします」
「そうそう、それがええよ!ほらトマト貰ってこよ!」

 再び握り返された手はトマトでべとべとだったけれど、不快感はしなかった。だって私ももうトマトまみれだし。
 けらけらと二人で笑い合って、トマトが山積みされた場所へ掛けて行く。もちろんその間にも赤い球体はこちらに向かってきて、ひょいっと避けたり、当たった物を投げ返したりしてまた笑った。
 鬱々とした気分は一転、祭りの輪に入ってしまえばもうやけくそだ。服の事なんて知ったこっちゃない。欲しかったらまた新しい物を買えば良いんだから。
 今はこの酸っぱい匂いに囲まれて、スペインを楽しもう。ホテルに戻ってからの事は後回しだ!

「あ、そう言えば名前、聞いてない」
「んー?俺はアントーニョ言うねん、君は?」
、です」
「そっか!よろしゅーな!」

 そうやってアントーニョさんは頬に付いたトマトを拭ってニッと太陽みたいに笑った。
 …あれ?そう言えば何で日本語通じてるんだろう。…まあいいか。

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親分の気さくお気楽な感じが好き。

[2010.05.27]