嘘吐きは泥棒の始まり?

 カチカチカチ、掌の中で小さく時を刻むそれから目を離して、私は向かいに座っている奴を窺った。
 まだ春先だと言うのにアイスを頬張っているそいつは私が視線を寄越している事に全く気付いていない様子で、黙々とスプーンを動かしている。
 机の上には既に空になってしまっているアイスのカップ、足元には保冷剤入りの袋。その中にはまだいくつかアイスが残っていた。
 夏でも一日でそれほど大量のアイスを食べればお腹を壊しかねないのに、こいつはそれをぺろりと平らげてしまう。まだ暑いとは言えない時期なのに、だ。
 一体夏になればどれほどの量を消費するんだろう、と奴の豪快な食べっぷりを見て、眉間に皺を寄せた。

「ねえ」
「んー?」
「私の話聞いてる?」
「んー」

 私の問い掛けに生返事で答えてまた新しいアイスを取り出す。がさがさと鳴る袋の音が私の気分を更に不機嫌にさせる。
 アイスを食べるのはまだ百歩譲って良いとして、私の話を聞かないのは全くもって頂けない。そりゃあ、押し掛けたのは私だけど、客人に対してその返事はあまりにも失礼だ。
 親の顔が見てみたいわ、とぽつりと呟きかけた所で頭に浮かんだふっとい眉毛に溜め息を吐く。ああ、あいつなら仕方ない。
 でもだからと言って「はいそうですか」と納得できる程、私は寛容な人じゃあなかった。

「アルフレッド、こっち向いて」
「んんー」
「話聞けこのメタボ」
「んー?」

 奴がちらりとこちらを向いた気がしたけど、また視線はアイスの方へ。今度はほんのりピンク色のストロベリーを食べているようだった。
 ぼそりと私が呟いた言葉に反応したのかと思ったけどそうじゃなかったらしい。いつも言うと怒る単語を口にしても、生返事に変わりはなかった。
 このメタボ、本当に私の話を聞いちゃいない。ああもう、その頬張っているスプーンをへし折りたい。むしろ顔面にアイスぶつけたくなってきた。
 胸のもやもやが徐々に膨らんできて、指をトントンする感覚が短くなっていく。
 しゃくしゃく、さりさり、幸せそうにしている奴の表情が気に食わない。ねえ、こっち向いてよ。構えー、構いなさいこのめたぼー。
 念じるように電波を送ってもアイスの壁に防がれてしまう。むしろ弾かれてる。ああ馬鹿、無駄にこっちの精神力が削られていくじゃないか。
 その間にも手の中の時計はカチカチと確実に針が進んでいて、私が訪れた時から大分時間が経っているみたいだった。

「ねえアルフレッドー」
「んー」
「10+1はー?」
「んー」
「昨日の晩御飯は何だったー?」
「んんー」

 何を聞いても答えは全部くぐもった声。音程が一定だから何を喋っている訳でもない。
 その反応に何だか楽しくなってきて、私は色々な質問を奴にぶつけてみた。明日の天気は何?面白かった漫画はどれ?今日机の角に小指ぶつけた?
 答えは全部同じだったけど、おかしな問いをしても返事が返ってくるので思わず吹き出してしまう。そんな私の表情も、こいつは全然見てない。
 あ、また新しいカップが出てきた。今度は普通のバニラかな、もうこれで何個目なんだろう。空のカップに付いてた氷が溶けて小さな水溜りが出来てるじゃないか。
 無造作に置かれているカップを纏めて重ね、私はまた質問する為に口を開いた。

「井の中のー?」
「んんー」
「猿も木からー」
「んー」

 東洋の方に教えて貰った文章を思い出して呟いても、結果は同じ。合っているとは思うけど、これって結局どういう意味なんだろう?
 日本語と言うのは英語と違って難しいし、意味を聞いてもよく理解出来ない事がある。どうやって説明していいのか、教えてくれた人も悩んでいていつもあー、とか、うー、とか言ってる。
 それでも丁寧に教えてくれて、有難うとお礼にハグでもしたら驚かれた。東洋の人達って不思議だ。
 アルフレッドは東洋の方にもお友達が多いし、私が言った難しい文章の意味も知っている事だろう。間違っているかどうか教えてくれたっていいのに、まだ視線はアイスの方。
 私も流石に我慢の限界で、奴が持っていたアイスのカップを奪うと、漸く目の前の奴はアイスから私の方へ視線を移動させた。

「何するんだい」
「私の話聞いてなかったでしょ?」
「え、何か言ってたのかい?」

 きょとん、と初めて知ったようにアルフレッドは目をぱちぱちさせる。眼鏡越しのスカイブルーが澄み切った色をしていて目を奪われ掛けた。いけない、いけない。
 純粋すぎる瞳に惑わされてはいけない。中身は私よりも遥かに年上なんだから、流されてしまえば奴の思う壺だ。
 心の中でぶつぶつとそう念じてこくり、と頷く。アルフレッドはまだ目を瞬かせて首を傾げていたけれど、今まで散々スルーされた身にとってはそう簡単に教えてやる気にはなれなかった。
 意地悪と言われようが構わない。元はと言えば彼が悪いんだから、うん。私は悪くないぞ。

ってばー」
「アイスを優先した貴方には話す事などありませんー」
「それは謝るんだぞ!」
「じゃあ私とアイス、どっちが大切なの?」
「え」

 ほらそこで詰まるなんて、余程私よりアイスの方が大切なんじゃない。分かってたけどさ。
 でも嘘だとしても男として私と答えて欲しいんだけどなあ。端から期待はしていないけどね。空気読めないし。
 カチカチと掌の中で動く時計を一瞥して、奴ににこりと微笑み掛ける。戸惑いの表情を浮かべていた目の前の奴はスプーンを齧って視線を漂わせていた。
 アルフレッドのそう言う所、きらいよ。ええ、嫌い。
 ぽつりとそう呟いて、開いていた時計の蓋をぱたりと閉める。奴はワンテンポ遅れてもう一度聞き返す。そうなのかい?って。
 その問い掛けに肯定の言葉を述べて、微笑み返す。彼がどう言う風に言葉を理解したのかは分からないけど、呆けている所を見れば何となく想像はついた。

「本当に嫌いなのかい?」
「何度も言わないわ」
「だとしたら俺泣いちゃうんだぞ」
「ご自由にどうぞ」
「むぅ…俺ものそう言う所が嫌いなんだぞ」

 あらどうも、褒め言葉として受け取っておくわ。明日になったら忘れてるだろうけどね。
 アルフレッドはまたがさがさと袋の中からアイスを取り出そうとしていたけれど、掴んだのは保冷剤だった。もう甘いアイスは残っていないらしい。
 一体いくつ食べたんだろう。軽く二桁は行っているように見えるんだけど…駄目だ、空のカップを見ただけで頭が痛くなってきた。
 またお腹に脂肪が付いてきたんじゃないの?運動しているとは言え、一気にそれだけのアイスを頬張るなんて…そんなにメタボになりたいのかしら。
 頬をぷすりと膨らませて私は再び腕を組むと、アルフレッドは空になったカップを袋の中に詰め込んで立ち上がった。こら、スプーンを口に咥えたまま立ち上がるんじゃない。こけたらどうするの!



 がさがさ音を立てて袋の中が揺れ動く。近付いてくる奴を遠ざけるように身を引いたら、頭を掴まれた。
 そしてわしゃわしゃと髪を掻き混ぜられて、最後に軽くぽん、と撫でられる。ちょっと痛い。
 何がしたいのかさっぱり理解出来ない。こいつ何がしたいの。ついさっき私の事を嫌いと言ったのに(そして私も嫌いと言ったのに)。
 それなのにどうして行き成りこんな事をするのかしら。思い当たる節はまあ、そりゃああるけど、こいつに限ってそんなまさか。
 嫌な予感が当たらない事を祈ってちらりと奴を窺うと、それはもう眩しい程の素晴らしい笑顔で微笑んでいた。ああ、認めたくない、こいつに限ってそんな。

「ハッピーエイプリルフール、さっきのは嘘だったんだろう?」
「うぐ、…気付いてたの?」
「まあね!」

 なんたって俺はヒーローだからね!とアルフレッドはぱちりと星が飛ぶウィンクをして部屋を出て行った。きっと新しいアイスを買いに行くんだろうな。
 その間呆けてしまっていた私は、徐々に頬が熱くなっていく事を止める事が出来なかった。
 やばい恥ずかし過ぎて死にそう。そこは空気読んで引っ掛かろうよ、このメタボ!ばか!

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手の中の時計は四月一日を示していた。ハッピーエイプリルフール!

[2010.04.03]