スプレー菊と菊の花言葉
ひらり、ひらり。幾重にも重なる花びらを一枚ずつ摘み取っていっては床に落としていく。
既に下には沢山の花びらが雪のように積もっていて、一部の箇所ではこんもりと山さえ出来ていた。
隣には裸になった茎が数本、綺麗に並べて置かれている。反対方向にはまだいっぱい花びらがついた、元の花。ふわりと美しい曲線を描いた花弁は瑞々しいくらいだ。
でもその美しさも数分後には見るも無残な姿に変わり果てている事だろう。
勿体無い、酷い事を、なんて端から言われるんだろうな。でも私は謝ったりしない。どれだけ口うるさくされたとしても、この行為を止めるつもりは全く無かった。
花占いとは相手が自分に好意を寄せているかを花びらを摘み取って占う少女達の遊びだが、同じことをしていると言っても私は毎回花びらに好きか嫌いかなんて聞いてはいなかった。
だってメルヘンチックで可愛らしい、と言っても所詮はただの遊びだもの。花に聞いても答えてくれる訳が無い。所謂、自己満足ってやつ。
ああ言うのは子供同士でやるのが楽しいのであって、私みたいな奴が一人で花を千切っていても何の楽しみさえ浮かんではこない。
なら何故、楽しくもないし面白くもないのに花を無残な姿にしていくのか。理由は至極簡単で無責任とも言えるものだった。
…つまり、暇だから。
他に理由が無い訳ではないのだが、第一の理由はそれだった。単なる暇つぶし、それだけ。
構ってくれる筈の人は相変わらず部屋に閉じこもりっきりで出てくる気配がまるで無いのだから、致し方なく私はこんな事をしているのだ。ずっと玄関で突っ立ってる訳にはいかないしね。
足をぶらぶらさせてすっかり裸になってしまった茎を横に置いて、また新しい犠牲者を掴み取る。今度は葉っぱもむしり取ってやろうか、なんて思ってたら、横からにゅっと出てきた腕によって私の行く手を阻まれてしまった。なんて良いタイミングなのかしら、私にとっては最悪だけど。
「貴方、一体なにをしているんですか。こんなに散らかして」
「こんにちは、菊。見て分からないかしら?」
「分かりたくもありません」
そう言ってさらさらな黒髪を揺らした青年は如何にも機嫌悪そうにぶつぶつと呟き始めた。原稿がどうのこうの、云々かんぬん。いつも通りの悪態に私は逆に笑みを深めた。
今は彼にとって一つの山場とも言える時期らしく、菊は国の仕事をする片手間、黙々と部屋に閉じこもって机と睨めっこしていた。休みの日が近ければ近いほど、その表情は険しく、そしてやつれていく。
徹夜はほぼ毎日、彼が言う「締め切り」までそんな不規則な生活をする事が少なくなかった。その時の菊ったらもう、普段の優しさなんてこれっぽっちも存在してないくらいにピリピリしているのだ。些細な音でさえ、運が悪ければ鬼の様な強面で睨みつけられるし。
今だってそう。薄いクマを目元に拵えて視線は温かみすら感じられない。あらやだ、私は客人なのにそんな顔するなんて。
失礼なんじゃない?と止められた腕を払って花を手に取る。可愛らしい小振りの菊の花、彼と同じ名前の花は真っ白な花びらをしていて、少しだけ根元が淡い色のグラデーションになっていた。
「失礼、ですか。修羅場の時は構えないといつも張り紙をしているのに破る方が悪いです。その所為でアルフレッドさんも家に来るんですから、止めて下さい」
「良いじゃない、少し位構ってくれたって。今回の新刊は一冊だけなんでしょう?」
「一冊だろうが二冊だろうが、修羅場には関係ありません。これで二徹目なんですから…」
明らかに帰って欲しいオーラを醸し出して、菊はよろりと細い身体を近くの柱に預けさせる。欠伸は既に徹夜に慣れている所為で一つも出さなかったけど、端から見ても分かるくらい眠たそうだった。
本来ならここで心配すべきなんだろうな。大丈夫?眠いのならゆっくり休んでよ、とかね。
けどそんな事言っても(そもそも言うつもりは無いけど)彼は休もうともしないし、布団に入ったとしても原稿が気になりすぎて寝れないだろう。今までの話を聞いていれば簡単に予測出来ることだ。
それなのに私は例え彼が部屋から出て来なかろうとも関係無くこの家に訪れる。まるで嫌がらせのように、修羅場の時期が来れば必ずと言って良い程。
チャイムを鳴らしても返事は来ない。でも居留守なのはいつもの事だから、慣れた足並みで家の裏手に回り、縁側に座る。後はその時の気分で過ごし方は多種多様だ。本を読んだり、寂しそうにしているぽち君とお話したり、ぼうっと数時間位空を眺めていた時だってあった。
けど高確率でその暇つぶし達は家の主によって中断されてしまう。呆れ顔で言葉が刺々しいけど、ちゃんと私が来た事に気付いてくれるんだ。
きっと菊は分かっているんだろう、私がここに足を運ぶ理由が。何故ピンポイントで忙しい時期を狙っているのか、何故部屋に入らず縁側に居座るのか。分かってて彼は私の茶番に付き合ってくれているんだろう。
人の気持ちをくみ取るのが上手い彼なら私の気持ちを理解する事なんて容易い筈だもの。それなのに嫌々言いながらも無視する事無く私に合わせてくれている。彼は、菊と言う人は、それ程までに優しいのだ。
「それで今日はどう言う風の吹き回しですか?貴方が花占いをしているなんて」
「おかしいかしら?」
「ええ、もちろん。ですが、どうせ占ってなどいないのでしょう」
疑問符すら付けてこないなんて、私ってばそんなにメルヘンチックじゃないのかしら。まあ、否定は出来ないのだけれど。
問い掛けにすらなっていない台詞に答えずにいると、確信した菊はやっぱり、と僅かな音量で呟いた。こら、そう言うのは本人に聞きとれない位の小声で言うものなんだから。
ぶちぶちと無造作にむしり取っていく花びらを菊は嫌そうな表情で見つめて吐息を一つ落とす。散っていく花びらの感触は本当に生きているみたいだ。否、生花なのは間違いない。ただ、私にとっては違うのだけれど。
この馬鹿げた暇つぶしの最大の理由はそこにあった。単に目が付いて千切ってる訳じゃない。ちゃんとした、それでいて他人には理解されないような理由。
「ねえ、菊。プリザーブドフラワーって知ってる?」
「ええ、確か…生花を特殊な液体に漬けて長持ちさせた物、でしたっけ」
「そう。造花じゃない本物の花を使うから造花とは比べものにならない位、綺麗でクオリティが高いの」
「…まさか、その花がそう…なんですか?」
ぷちり、と一枚の花びらを千切り捨てて私は目を細めた。それが肯定を意味している事を彼は直ぐに理解するだろう。
けれど言葉を理解しても、どのような気持ちで事に及ぶのかはまだ分からない筈だ。事実、彼はまだすっきりしない表情で何かを言いたそうにしていた。その前に、私は言葉を続けさせる。
私にとってプリザーブドフラワーは生花であってそうでない存在だ。言うなれば異端、人が作り出した禁忌の存在だろう。
摘まれた花は水をやったとしてもいずれ枯れ落ち、死んでしまう。それは摘み取った花に限った事では無く、自然の摂理と言うものだ。種を撒かれ、花が咲き、そしていつしか土に還る。なんてことない、当たり前の話。
けれどプリザーブドフラワーは違う。人工的に作られた造花ではなく生きた花を使って枯れない花を作り出す。妙な液体に漬け込んで、時には自然の色合いさえも塗り替えられてしまうのだ。
更に言えば、プリザーブドフラワーになった花に水をやる事は出来ない。逆に花を駄目にしてしまうからと言う理由で、花達は生きる為に必須だった筈の水すら与えられないのだ。
全ては摘み取ったままの美しい姿を保つ為、ただそれだけの為に花達は枯れる事も、水さえも奪われた。…私はそれが、許せない。
「だから散らせているの。それをこの子達も望んでいるから」
これが人の欲望で散る運命を狂わされた子達に私が出来る、最初で最後の弔い。
大分少なくなった花びらに口を寄せて菊に振り返る。彼は難しい表情で黙ったままだ。別に理解してもらいたくて話したんじゃないから、そんなに悩まなくても良いのになあ。
むすっと眉間に皺を寄せる姿に段々悪戯心が膨らんできて、思わずその額に手を伸ばす。
つん、と山が出来た所を突っついてみると、菊ははっと我に返ったようにあんまり開かない瞳を真ん丸にして驚いていた。
「…」
「あ、そんなに睨まないでよ。ちょっとした出来心なのに」
「…貴方って人は」
びっくりした顔も束の間、直ぐに元の表情に戻ってしまった菊ははぁ、と大きい溜め息を吐いて崩していた足をゆるりと動かす。あ、怒ったかも。
ぎしり、と床板を鳴らして立ち上がった彼は私を一瞥してから踵を返して部屋の方へと歩いていく。引き止めようか一瞬悩んだけど、私もそんなに仕事の邪魔をしたい訳じゃあないから、声を掛けるのは止めておいた。本音を言うともうちょっと構って欲しいんだけど、締め切り近いからね。
私ってば優しいなあ、と自画自賛しつつ何度も頷き、また花びらを摘んでいく。
一枚二枚、リズムを取るように足をぶらぶらさせて五枚目の花びらを千切った瞬間、ひょっこりと部屋に戻った筈の菊が障子の横から現れて、私は言葉にならない悲鳴を上げてしまった。
「な、なに、原稿するんじゃなかったの?」
「ええ、まあ。でも後は修正だけですから、もう少しここでのんびりしても良い事に気付きました」
「何それ…驚かさないでよ、もう」
「おや、驚かしたつもりはありませんが」
「…うー」
ふふふ、と菊は笑ってさっきと同じ場所に膝をつく。そしていつの間にか淹れていたお茶をどうぞ、と差し出した。盆は純和風の木造りなのに、乗せられているカップが西洋風でなんだかおかしく思える。
でも私達にとってはこれが当たり前。いつもみたいに花を置いて差し出されたカップを受け取り、その香りにほっと息を吐く。
「今日はダージリンなのね」
「ええ、セカンドフラッシュを頂きましたから」
「ああ、そう言えばもうそんな季節なのね」
私は空を見上げ、一年が過ぎるのは早いわね、と呟く。
菊はその言葉に一言、そうですね、と答えた。
既に下には沢山の花びらが雪のように積もっていて、一部の箇所ではこんもりと山さえ出来ていた。
隣には裸になった茎が数本、綺麗に並べて置かれている。反対方向にはまだいっぱい花びらがついた、元の花。ふわりと美しい曲線を描いた花弁は瑞々しいくらいだ。
でもその美しさも数分後には見るも無残な姿に変わり果てている事だろう。
勿体無い、酷い事を、なんて端から言われるんだろうな。でも私は謝ったりしない。どれだけ口うるさくされたとしても、この行為を止めるつもりは全く無かった。
花占いとは相手が自分に好意を寄せているかを花びらを摘み取って占う少女達の遊びだが、同じことをしていると言っても私は毎回花びらに好きか嫌いかなんて聞いてはいなかった。
だってメルヘンチックで可愛らしい、と言っても所詮はただの遊びだもの。花に聞いても答えてくれる訳が無い。所謂、自己満足ってやつ。
ああ言うのは子供同士でやるのが楽しいのであって、私みたいな奴が一人で花を千切っていても何の楽しみさえ浮かんではこない。
なら何故、楽しくもないし面白くもないのに花を無残な姿にしていくのか。理由は至極簡単で無責任とも言えるものだった。
…つまり、暇だから。
他に理由が無い訳ではないのだが、第一の理由はそれだった。単なる暇つぶし、それだけ。
構ってくれる筈の人は相変わらず部屋に閉じこもりっきりで出てくる気配がまるで無いのだから、致し方なく私はこんな事をしているのだ。ずっと玄関で突っ立ってる訳にはいかないしね。
足をぶらぶらさせてすっかり裸になってしまった茎を横に置いて、また新しい犠牲者を掴み取る。今度は葉っぱもむしり取ってやろうか、なんて思ってたら、横からにゅっと出てきた腕によって私の行く手を阻まれてしまった。なんて良いタイミングなのかしら、私にとっては最悪だけど。
「貴方、一体なにをしているんですか。こんなに散らかして」
「こんにちは、菊。見て分からないかしら?」
「分かりたくもありません」
そう言ってさらさらな黒髪を揺らした青年は如何にも機嫌悪そうにぶつぶつと呟き始めた。原稿がどうのこうの、云々かんぬん。いつも通りの悪態に私は逆に笑みを深めた。
今は彼にとって一つの山場とも言える時期らしく、菊は国の仕事をする片手間、黙々と部屋に閉じこもって机と睨めっこしていた。休みの日が近ければ近いほど、その表情は険しく、そしてやつれていく。
徹夜はほぼ毎日、彼が言う「締め切り」までそんな不規則な生活をする事が少なくなかった。その時の菊ったらもう、普段の優しさなんてこれっぽっちも存在してないくらいにピリピリしているのだ。些細な音でさえ、運が悪ければ鬼の様な強面で睨みつけられるし。
今だってそう。薄いクマを目元に拵えて視線は温かみすら感じられない。あらやだ、私は客人なのにそんな顔するなんて。
失礼なんじゃない?と止められた腕を払って花を手に取る。可愛らしい小振りの菊の花、彼と同じ名前の花は真っ白な花びらをしていて、少しだけ根元が淡い色のグラデーションになっていた。
「失礼、ですか。修羅場の時は構えないといつも張り紙をしているのに破る方が悪いです。その所為でアルフレッドさんも家に来るんですから、止めて下さい」
「良いじゃない、少し位構ってくれたって。今回の新刊は一冊だけなんでしょう?」
「一冊だろうが二冊だろうが、修羅場には関係ありません。これで二徹目なんですから…」
明らかに帰って欲しいオーラを醸し出して、菊はよろりと細い身体を近くの柱に預けさせる。欠伸は既に徹夜に慣れている所為で一つも出さなかったけど、端から見ても分かるくらい眠たそうだった。
本来ならここで心配すべきなんだろうな。大丈夫?眠いのならゆっくり休んでよ、とかね。
けどそんな事言っても(そもそも言うつもりは無いけど)彼は休もうともしないし、布団に入ったとしても原稿が気になりすぎて寝れないだろう。今までの話を聞いていれば簡単に予測出来ることだ。
それなのに私は例え彼が部屋から出て来なかろうとも関係無くこの家に訪れる。まるで嫌がらせのように、修羅場の時期が来れば必ずと言って良い程。
チャイムを鳴らしても返事は来ない。でも居留守なのはいつもの事だから、慣れた足並みで家の裏手に回り、縁側に座る。後はその時の気分で過ごし方は多種多様だ。本を読んだり、寂しそうにしているぽち君とお話したり、ぼうっと数時間位空を眺めていた時だってあった。
けど高確率でその暇つぶし達は家の主によって中断されてしまう。呆れ顔で言葉が刺々しいけど、ちゃんと私が来た事に気付いてくれるんだ。
きっと菊は分かっているんだろう、私がここに足を運ぶ理由が。何故ピンポイントで忙しい時期を狙っているのか、何故部屋に入らず縁側に居座るのか。分かってて彼は私の茶番に付き合ってくれているんだろう。
人の気持ちをくみ取るのが上手い彼なら私の気持ちを理解する事なんて容易い筈だもの。それなのに嫌々言いながらも無視する事無く私に合わせてくれている。彼は、菊と言う人は、それ程までに優しいのだ。
「それで今日はどう言う風の吹き回しですか?貴方が花占いをしているなんて」
「おかしいかしら?」
「ええ、もちろん。ですが、どうせ占ってなどいないのでしょう」
疑問符すら付けてこないなんて、私ってばそんなにメルヘンチックじゃないのかしら。まあ、否定は出来ないのだけれど。
問い掛けにすらなっていない台詞に答えずにいると、確信した菊はやっぱり、と僅かな音量で呟いた。こら、そう言うのは本人に聞きとれない位の小声で言うものなんだから。
ぶちぶちと無造作にむしり取っていく花びらを菊は嫌そうな表情で見つめて吐息を一つ落とす。散っていく花びらの感触は本当に生きているみたいだ。否、生花なのは間違いない。ただ、私にとっては違うのだけれど。
この馬鹿げた暇つぶしの最大の理由はそこにあった。単に目が付いて千切ってる訳じゃない。ちゃんとした、それでいて他人には理解されないような理由。
「ねえ、菊。プリザーブドフラワーって知ってる?」
「ええ、確か…生花を特殊な液体に漬けて長持ちさせた物、でしたっけ」
「そう。造花じゃない本物の花を使うから造花とは比べものにならない位、綺麗でクオリティが高いの」
「…まさか、その花がそう…なんですか?」
ぷちり、と一枚の花びらを千切り捨てて私は目を細めた。それが肯定を意味している事を彼は直ぐに理解するだろう。
けれど言葉を理解しても、どのような気持ちで事に及ぶのかはまだ分からない筈だ。事実、彼はまだすっきりしない表情で何かを言いたそうにしていた。その前に、私は言葉を続けさせる。
私にとってプリザーブドフラワーは生花であってそうでない存在だ。言うなれば異端、人が作り出した禁忌の存在だろう。
摘まれた花は水をやったとしてもいずれ枯れ落ち、死んでしまう。それは摘み取った花に限った事では無く、自然の摂理と言うものだ。種を撒かれ、花が咲き、そしていつしか土に還る。なんてことない、当たり前の話。
けれどプリザーブドフラワーは違う。人工的に作られた造花ではなく生きた花を使って枯れない花を作り出す。妙な液体に漬け込んで、時には自然の色合いさえも塗り替えられてしまうのだ。
更に言えば、プリザーブドフラワーになった花に水をやる事は出来ない。逆に花を駄目にしてしまうからと言う理由で、花達は生きる為に必須だった筈の水すら与えられないのだ。
全ては摘み取ったままの美しい姿を保つ為、ただそれだけの為に花達は枯れる事も、水さえも奪われた。…私はそれが、許せない。
「だから散らせているの。それをこの子達も望んでいるから」
これが人の欲望で散る運命を狂わされた子達に私が出来る、最初で最後の弔い。
大分少なくなった花びらに口を寄せて菊に振り返る。彼は難しい表情で黙ったままだ。別に理解してもらいたくて話したんじゃないから、そんなに悩まなくても良いのになあ。
むすっと眉間に皺を寄せる姿に段々悪戯心が膨らんできて、思わずその額に手を伸ばす。
つん、と山が出来た所を突っついてみると、菊ははっと我に返ったようにあんまり開かない瞳を真ん丸にして驚いていた。
「…」
「あ、そんなに睨まないでよ。ちょっとした出来心なのに」
「…貴方って人は」
びっくりした顔も束の間、直ぐに元の表情に戻ってしまった菊ははぁ、と大きい溜め息を吐いて崩していた足をゆるりと動かす。あ、怒ったかも。
ぎしり、と床板を鳴らして立ち上がった彼は私を一瞥してから踵を返して部屋の方へと歩いていく。引き止めようか一瞬悩んだけど、私もそんなに仕事の邪魔をしたい訳じゃあないから、声を掛けるのは止めておいた。本音を言うともうちょっと構って欲しいんだけど、締め切り近いからね。
私ってば優しいなあ、と自画自賛しつつ何度も頷き、また花びらを摘んでいく。
一枚二枚、リズムを取るように足をぶらぶらさせて五枚目の花びらを千切った瞬間、ひょっこりと部屋に戻った筈の菊が障子の横から現れて、私は言葉にならない悲鳴を上げてしまった。
「な、なに、原稿するんじゃなかったの?」
「ええ、まあ。でも後は修正だけですから、もう少しここでのんびりしても良い事に気付きました」
「何それ…驚かさないでよ、もう」
「おや、驚かしたつもりはありませんが」
「…うー」
ふふふ、と菊は笑ってさっきと同じ場所に膝をつく。そしていつの間にか淹れていたお茶をどうぞ、と差し出した。盆は純和風の木造りなのに、乗せられているカップが西洋風でなんだかおかしく思える。
でも私達にとってはこれが当たり前。いつもみたいに花を置いて差し出されたカップを受け取り、その香りにほっと息を吐く。
「今日はダージリンなのね」
「ええ、セカンドフラッシュを頂きましたから」
「ああ、そう言えばもうそんな季節なのね」
私は空を見上げ、一年が過ぎるのは早いわね、と呟く。
菊はその言葉に一言、そうですね、と答えた。
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