貴方の笑顔で天気になあれ。
僕が本田君の「特別な人」になってから早一週間。
なんか避けられてる気がする。…これはきっと気の所為じゃない。
僕が近付くとあからさまにサッと何処かに消えちゃったり、目線を逸らしたり、フェリシアーノ君達と話し始める。
どうして避けるのか聞こうとしても、そんな状況だから聞ける訳が無い。
やっぱり僕のことが嫌いだったのかな?好きだとは言ってくれなかったけど、頭を撫でて笑ってくれたのは彼なりの答えだったんじゃなかったのかな?
僕と本田君の距離は出会ったときからずっと遠くて、一方的に歩み寄っても磁石みたいにくっつくんじゃなくてどんどん離れていく。
それは本田君に限ってのことじゃなかったけれど(いつの間にか僕の周りから皆居なくなっちゃうんだよね、寂しいなあ。別にいいけど)、好き同士のはずの本田君とどうして離れていかなきゃいけないのかな。
これを言ってしまうと、僕から離れていく人は皆、僕の事が嫌いな人になってしまうんだけど、今の問題はそこじゃあない。
特別だと思ってた彼との距離が一向に縮まないのは何故か。どうして逃げるように去ってしまうのか、気になってしまう。
僕は気が付いたら全部壊してしまうから、出来るだけ穏便に事を済ませたいのに、逃げられれば追いかけて閉じ込めたくなってしまう。
あーあ、本田君を泣かせる事なんてしたくないのになあ。僕が無理矢理捕まえたら絶対彼、泣くよね。
誰が流す涙も、僕はどうやって泣き止ませればいいのか分からないからおろおろと慌てて逆効果のことをしてしまう。あ、でもライヴィスのは別かな。あの子は僕が隣に居ると直ぐ泣いちゃうからどうしようもないからなあ。
とにかく、泣かせる事なんてしたくないし、やりたくないから言動に気をつけないといけないな。
まずどうして逃げるのかを聞いて、やっぱり僕の事が嫌いなのか聞いて…その答えが肯定だったら、どうしようかな。
「…うぅー、僕やっぱり苦手だな、こんなの」
ぽそりと誰も居ない部屋の中で小さく呟いて、首を覆うマフラーに顔半分を埋める。
ふかふかのそれは何処に居てもあったかくて、すん、と鼻を鳴らすと僅かに牧草の香りがした。姉さんの家によく行ってたからそこの匂いが染みついちゃったのかな。
心地良い温かさに目を細めてふにゃりと頬を緩ませる。最近会えてないからまた姉さんにも会いたいな。ナターリヤは…、…うん、本田君風に言うと「善処」しようかな…。
はっ…、じゃないじゃない。今は姉さん達に会う事を考えるんじゃなくて、本田君の事を考えないと。
頭をふるふると振って宙に浮かんだ姉さん達の顔を消して、本田君の顔を思い浮かべる。
浮かんだ顔は何を考えているのか分からない僕とおなじ様な表情で、それ以外の表情はあんまり浮かんでこない。
まあ、彼はいつも無表情か目線を逸らして相手と関わりたくない嫌そうな顔をしてるけどね。僕に対してはほぼ後者の表情なんだけど。
もっと別の顔とかさせたいのにな。笑った顔とか可愛いと思うんだけど…僕より童顔なんだし、小さいし。
泣いた顔はさっきも言った通り、させたくないから、当面の目標は笑顔をみることかな?本田君も僕みたいにいつもにこにこしてればいいのになあ。
「まあ、ここに居ない人の事を考えても意味無いんだけどねー」
一人でふふ、と笑って僕は座っていた席を立った。
まずは本田君に会って、そしてどうして避けるのか聞いて、僕の事が好きなのか聞いて、その後に笑うように言って。
二番目の答えが「嫌い」だったら、…うーん、やっぱりどうしようかな?その時に考えればいいかな?うん、それで良いよね。どうせ今考えてもその状況になって考えた事を実行出来るか分かんないし。
いつものコートに袖を通してそんな事を考え、僕は自分の部屋の扉を開けた。
日本に降り立つと綺麗な青空が広がっているのに雨が降っていた。
雲は所々に浮かんでいるからきっと天気雨なんだろうけれど、日本で見るのは初めてだったからちょっとびっくりした。
雨は直ぐに止んで、晴れた空に水滴がきらきらと輝いて虹が浮かんでいた。
この時期、僕の国では雨じゃなくて雪が降るから虹なんて滅多に見られない。だから虹が見れるなんて思ってなくて、日本に来て良かったなあ、と小さく呟いた。
空港から本田君の家までの距離はそれほど遠くはないけど、やっぱり歩くには時間が掛かる。でも僕は少しでも長くこの地を踏んでいたかったのでブーツの音を鳴らしながら只管歩く事にした。
季節はそろそろ冬に差し掛かるけれど、吹き撫でる風は温かい。厚着している人も見かけなかったし、コートを着てマフラーもしている僕の方が珍しいくらい。今の季節、僕の国ではあり得ない風景だ。
やっぱり本田君の所は過ごしやすいなあ。僕ももっと南下したいなあ。そしたらいっぱい向日葵咲かせられるのに。
綺麗に整備された道路から一つ外れた田舎道に入り込んで更に曲がり角を曲がる。
それを数回繰り返してじゃりじゃりと小石を踏んでいけば、少し古めかしい平屋建てが僕の目に飛び込んできた。
話には聞いていたけれど、実際に本田君の家を訪れるのはこれが初めてだったりする。最近の新しい住宅とは違う、瓦屋根の家。
庭に植えられた紅葉を横目で見ながら、ガシャガシャとガラス張りの引き戸を叩く。
インターホンも横に付いていたけれど、その上に張り紙で「故障中」と書かれていたので押すのは止めておいた。
「はーい、どちらさまです…かッ」
「やあ本田君、こんにちわ」
「…」
「あ、待って、閉めないでよ」
数分もしないうちに開けられた引き戸から現れた本田君は僕の顔を見て瞬きを数回したあと、何事も無かったかのように戸を閉めようとした。ので僕はそれを阻止しようと音を立てて戸を押さえる。
じろりと深い茶色の瞳が向けられたけれど、僕はそんな視線に動じるほど軟な性格じゃない。本田君もそれを十分に理解しているからか、直ぐに閉めるのを諦めて戸から手を放した。
本田君の吐息が玄関の奥で聞こえて、それが酷く気まずかった。やっぱり僕が来ちゃいけなかった?
相変わらず一度向けられた筈の視線は僕の方を向かない。伏せた目は僕の身長じゃあ、よく見えなかった。
いつも見上げられているから気にならなかったけど、こんなに傍に居るのにこっちを見てくれないとなんだか落ち着かない。心の奥がもやもやする。
僕が寄っていく時も、本田君が寄ってきてくれる時も、彼はずっと僕の方を見上げてくれた。それなのに今は彼のさらさらしてる黒髪しか見る事が出来ない。
…もやもやする。居心地が悪くて無理矢理見上げさせたくなる。髪を引っ張って上を向かせたくなる。ぎゅっと持ち上げて、それで、…それで?
違う、そんな事したら本田君は泣いてしまう。顔を歪めて痛いって言う。これじゃだめだ、僕はそんな顔させたくない。
…どうして行き着く答えが全部同じになっちゃうんだろう。これじゃあ本田君が言う「無限ループ」って奴じゃないか。やっぱり僕は酷い事しかできないの?人を好きになる事なんてさせてくれないの?
「ちょっと…なんで泣いてるんですか」
「ふ、え?…あれ、本当だ」
「…まるで私が泣かせたみたいじゃないですか、早く泣き止んで下さい」
「そんなこと言っても…僕、止め方知らないよ」
いつの間にか目からは透明な液体が流れていて、本田君に言われてそれが涙だって言う事に気付いた。
変なの、悲しいとは思ったけど、涙が流れるほどじゃないのに。胸がぎゅっとなったと思ったら視界がぼやけてた。
涙を流すなんて久しぶり過ぎて感覚が無かったのかな?前に泣いたの、いつだっけ。
ぽろぽろと流れる液体を触ってみても、手袋の上からじゃ感触は全くと言っていいほど無かった。けどずっと零れてる。視界は相変わらずぼやけてる。
鼻の奥は少しだけツン、としてて、それだけしか泣いてる事の自覚が持てなかった。目から流れてる感覚がない。だからどうやって止まるのか、分からない。
ぎゅっと目を瞑っても感覚が無いので止まっているのかも分からない。開けても瞑る前と同じ視界だから余計に。
うー、と唸ってむぎゅむぎゅマフラーを弄る。けど状況が変わる筈もなかった。
なかった、のに。
「仕方ないですね、全く」
「…本田君?」
ぼやけた視界の中で真っ黒だった本田君の頭がゆっくりと傾けられる。あ、こっち向いてくれた。
茶色い瞳の色と、僕とは少し違う黄色がかった肌の色がぼんやりと見えてそれだけで心がほっとする。でもぼやけてて良く見えないのが残念だった。
ぽんぽん、と伸ばされた細い腕が僕の頭を撫でてくれる。視界がはっきりと見えなくても、それは撫でられる感触で分かった。
いつもの優しい手付きでゆっくりと撫でて、ふわふわする髪を梳いてくれる。所々それが肌に触れてちょっとくすぐったかった。
ふにゃふにゃと頬を緩ませてその手付きを楽しんでいたら、いつの間にか流れていた雫が止まっている事に気付く。本田君もそれに気付いて、目を細めて僕の頭から手を放した。
「もう大丈夫ですね」
「うん、そうみたい。ありがとう」
「別にお礼は要りませんから、用が済んだのであればお帰り願いたいです」
「え、まだ全然済んでないよ。ちょっと、戸閉めないで、また泣くよ」
目尻を擦って残っていた涙を拭き取り、笑ってくれたであろう本田君の方を見ると、何故かまた無表情に戻って引き戸を閉めようとしていた。
どうして笑ったのか分かるのは、いつも本田君が笑う時は目を細めるから。だからぼやけた視界でも彼が笑ったのが分かったんだ。
僕にまた泣かれると困るからか、本田君は再度じろりと視線をこちらに向けてくる。そして小さく泣きたいのはこっちの方です、と呟いた。
「変なの、泣きたければ泣けばいいじゃない。僕が抱きしめてあげるよ」
「善処します、と言いたい所ですが全力で遠慮します」
「それってどっちも嫌って事でしょ?傷付くよ〜」
ふにゃりと笑ってマフラーの端で本田君の頬をくしゃくしゃと撫でると、ちょっとむっとした視線が向けられる。
なにするんですか、みたいな顔。怒ってる?って聞いたら、止めて下さいって眉間に小さな皺を作った。
仕方なくマフラーから手を放して(暖かいと思ったのになあ)、代わりにぎゅっと抱きしめてあげると、本田君はびっくりして固まってた。
一テンポ遅れてからやっぱり止めて下さい、って今度は声が高くなりつつ叫ばれた。変なの、なんだか本田君の怒った顔が可愛く見えてきた。
玄関先でハグをして、外だから寒いと思ったけど抱き寄せた小さな身体はあったかくて、一方は怒ってるのにもう一方は笑ってる。変なの。
「変なの、さっき本田君も泣いてたでしょ?」
小さく耳元でそう呟いてあげると、本田君はまたびっくりして身体を硬直させた。あ、図星。
段々赤くなってくる頬に同じものを擦り寄らせて、ぎゅっと抱きしめる力を強くした。
変なの、でもやっぱり好きだなあ、本田君のこと。
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[2009.12.01]