Christmas Night
変に弄っていない携帯の着信が鳴り響いたのが昼と言うにはまだ早過ぎる時間で、そこから出掛けたのが幾許かの後。
珍しく連絡を入れてきた奴の顔を少しだけ頭に思い浮かべながら鏡と向き合った自分の表情は人に見せられない位変になってしまっていて、そこで軽く自己嫌悪。
未だに跳ねる髪の毛を押さえつつ泊っていたホテルを飛び出して奴の家に向かうまで、更に車で十数分。
その間にも持ってきていた資料を確かめて来週に開かれる会議事について少し考える。…きっと今回も話し合いは纏まらないんだろうな、主にこれから向かう奴の所為で。
反射的に出てしまった吐息を隠す事無く視線を窓の奥へと移す。相変わらず外は小雪がちらつく寒々しい景色で、大人たちも心なしか足早に道を歩いているように見えた。
けれどその顔はどれも明るく、子供たちの表情もまた明るい。暗い影を落とす者はそこには誰一人居なかった。
景気が良くなってきているとは言え、未だ残されている問題は数多く、皆が皆、笑っていられる訳ではない。でも今日だけはそんな人達も暗い気持ちを引っ込めて楽しそうに笑っている。
どれだけこの日を待ち侘びていただろうか、とはしゃぎ回る子供は少なくない。大人でさえこの日になると羽目を外して盛り上がったりするだろう。
かく言う俺もその一人だったりする訳なのだが、俺は決して羽目を外したりなんかはしないんだからな。むしろあいつの方がやりそうだし。
電話越しに伝わってきた無駄に高いテンションにこれからの事が不安になって仕様がない。最後の辺りなんてなんて喋ってたかすら聞きとれなかったし、大丈夫なんだろうか。
ふらりと軽く眩暈がして来た頃、漸く走り続けていた車がそこで停まり、目的地への到着を知らせる。
いつの間にか顔見知りになってしまっていた運転手と少しの会話をして料金とチップを払い、寒々しい外へと足を踏み出す。
雪風を凌げる所に居たからか、少しの風でも肌に触れればびくりと大袈裟に肩が揺れてしまう。はぁ、と白い息を吐いてコートの襟を立て、俺は部屋ではしゃいでいるであろう大きな子供の元へと向かった。
チャイムを鳴らして直ぐに扉が開くのは物凄く珍しい事で、一瞬呆気に取られて声を掛ける事を忘れてしまう。
あちらも俺が驚いた事に気が付いたのか、嬉しそうだった表情をぱっと引っ込めて眉を吊り上げ、いつもの嫌味を二つ三つ落としていく。
なにもこんな日に言う事無いだろ、と一拍置いた後で俺も反撃してみたが、奴はまるで聞いていないようだった。ちくしょう。
ぽこぽこと頭から湯気を出しながらさっさと部屋の中へと入ると、冷たかった頬がじんわりと熱を持ち始める。暖房が点いているのだろう、扉で仕切られていても部屋の中は外よりも大分温かかった。
アルフレッド、と俺よりも少しばかり高い位置にある顔に呼び掛けると、簡単にその身体はこちらを向く。
疑問符を浮かべながら首を傾げるそいつにコートに突っ込んでいた手を思いっきり押し付けてやると、あまりの冷たさにアルフレッドのアホ毛がぴゃあっと盛大に跳ねた。
「何てことするんだい君は!びっくりしたじゃないか!」
「お前が一人暖かそうにしてるのが悪い」
初めに約束だと強引にスケジュールを弄ったのはお前のくせに、なんで俺の方が迎えに行ってるんだよ。
割に合わない分、これ位したっていいだろ、とによによと口元を吊り上げながら笑う。すると今度はアルフレッドがぽこぽこと怒る番で、口を尖らせながら俺の髪をくしゃりと掻き回した。
雪の所為で少し湿っていた髪の毛は相変わらず自己主張が激しく、あれだけの水分ではどうにもならないようだった。整えた筈なのに、なんでこういっつも跳ねるんだ、俺の髪。
むぐむぐと考えたって答えは出て来ないのだが、ついいつもの癖で考えてしまう。確か手入れがどうのこうの言われた気がするけど、ちゃんとやってるしなあ(じゃあどうしてこうなるんだと聞かれれば、また振り出しに戻るのだが)。
そんな俺の考えを気にもせずにアルフレッドはただずっと俺の髪を弄り回している。よく飽きないよな、こいつ。なんか気が付いたら俺の髪を弄ってるんだが、そんなに弄って楽しいのか?
徐々にぼさぼさになっていく髪の毛に危機感を抱きながらも、結局は為すがままになってしまっている自分も自分なのだが。いや、決して触ってくれているのが嬉しいとか、そう言う訳じゃあ、多分、ない。
薄っすらと目を細めているのだって、心地良いからじゃあなくて、前髪が目に入ったりするのを避ける為であって、そんな変な事を考えている訳じゃあ、ないんだからな。うん、決してそう言う意図はない、はず。
「ね、ハグしていいかい?」
「…ん」
いやだから、俺は別にこう言うのを待ち望んでいた訳でも無いんだからな。…そりゃあ、強請られたら断らないけど。
人目を気にしなくてもいい室内でしか許さない行為にひっそりと酔い痴れながらアルフレッドに身体を預ける。背中に回された腕はコート越しでも温かくて俺もゆるりと彼の服を掴む。
顔を上げれば安心しきったような笑顔を見せられて、それだけで頬がぼっと熱を持った気がした。うわああ、この笑顔小さい頃と変わらねえ…可愛いすぎるだろばか。
にやけてしまいそうになった表情を隠すようにずるずるとアルフレッドの肩に顔を押し付けてなんとかこの場を乗り切る。けれど浮かんでくる笑顔はどうする事も出来なくて、やっぱり口元が緩んでしまった。
幸いアルフレッドには見えない位置だったからよかったけれど、万が一気付かれていたらドン引きされているに違いない。また昔の幻想を見てるのかい、とかなんとか、こいつなら失笑しながら簡単に言ってくるだろう。
仕方ないだろ、本当にあの頃のお前は可愛かったんだから。今だって十分可愛いし、本田だって同意してくれてるし(俺が可愛いとか言ってたのは横に置いといて)。
うんうんとアルフレッドの可愛さを改めて確認するように頷いていたら、頭の上で小さくリップ音が響く。
びっくりして目を瞬かせながらアルを見ると、目が合った瞬間、額に何かが触れた気がした。あ、ばか。こんな所で何してんだ。
ちゅ、と軽く音を立ててキスされたかと思ったら、今度はもっと下に唇が降りてくる。と言う事はつまり、こいつはもっと深いものを強請ってきている訳で。
思わず一歩後退りしようとしたのだが、生憎とこいつの両手ががっしりと俺の背中を掴んでいる為、動く事もままならなかった。
そろそろ放せ、と胸を押しても、逆に行為はエスカレートする一方で、このままだと最悪丸一日ベッドで過ごす事になりそうな予感がしてきた。それは流石に、まずい。
他の日は百歩譲って良いとして(それはそれで困るが)、今日だけは避けなければならない。だって今日はきちんと予定を立てて、ずっと前から約束していた日なんだから。
アルフレッドもそれは十分承知している筈だ。だから、迫りくる青少年を押し戻して、眉を吊り上げる。
「アル、分かったから、夜まで待て」
「……」
「んな顔しても駄目だ。お前が言い始めたんだろ?」
「…ぶー…、分かったよ」
心底残念そうに肩を下ろして身を引いたアルは頬をぷくりと膨らませて両手をポケットに突っ込んだ。
なんとか今日一日ベッドで過ごすという事はなさそうだ。ほっと胸を撫で下ろしてよしよしとアルの頭を撫でる。マシューともまた少し違うさらりとした触り心地は小さい頃から変わっていない。
嬉しそうに、でもちょっと複雑な面持ちで撫でられていたアルはぽそりと何かを呟いて俺の手を払い除けた。そして着替えてくる、と一言残して踵を返す。
本音を言えばもう少しだけ撫でていたかったのだが、そう言えば時間もあまり無いし無理に引きとめてしまう訳にもいかない。アルの言葉にこくりと頷いた俺は仕方なく扉に凭れかかった。
アルの着替えは俺よりも大分簡単で、支度も数分で終わってしまうものだ。もっときっちりした服も持っている筈なのに、どう言ってもこいつはそれらを進んで着たがらない。
こう言う時の為に着る物じゃあないのか、と突っ込めば笑ってスルーされてしまうから、俺ももう一々突っかかることは止めにした。どうせ何を言ってもこいつは自分を貫くのだから。アルフレッドとはそういう奴だ。
それに、妙にめかし込まれるよりは普段のままでいてくれた方が俺も気が楽だし…。いや、別にそのままのアルが良いとかじゃないからな。会議の時のスーツ姿も格好良いけど、ジーンズとパーカーなアルもかわいい…って何言ってんだ、俺。
有らぬ方向に飛んでいく思考をなんとか元に戻して腕を組み直す。マフラーに手袋、ついでにイヤーマフまで着けたアルが部屋から出てくるまで、そう時間は掛からなかった。
街は赤や金のリボンで彩られ、あちこちに置かれたツリーには雪が積もり、その奥で電球がきらきらと光っている。昼間はそれほど注意を引かないが、夜になればそれは素晴らしい景色になることだろう。
一般的に言われるクリスマスは明日にあたるのだが、前日から盛り上がりを見せているのはなにもこのアメリカだけでは無い。
本田が居る日本だって、様々なイベントが催されていて楽しいと聞くし(けれど一人身の者には耐え難い日だと言っていた。なんでだ?)、俺の国だって今の時間からたくさんのパーティで盛り上がっているに違いない。
そんなイヴの日をどうやって過ごそうか、と悩んでいたのが一月位前の事で、会議が終わった後に問答無用でアルフレッドに予定を変えられるとは思いもしなかった。
相変わらず世界は自分中心に回っていると確信しきっているこいつに振り回されるのは癪だが、それを全部ひっくるめて受け入れたのは俺自身だ。だから、次から次へと文句は出てくるけど、言い訳はしない。
それに、その、やっぱりこう言う関係になって満更でも無い自分が居る訳で…、ああ、いや、これ以上言うとただの惚気にしかならねえから止めとこう。俺も恥ずかしいし。
むぐ、と火照る頬を隠すように顔をマフラーの中に埋める。コートの中の両手はぎゅっと自らを握り締めたままで、一歩前に歩いている奴の両手もまた同じだった。
手を繋ぎたい、なんて女々しい考えは早々に彼方へと吹き飛ばした筈なのに、どうしても視線がそちらへと行ってしまう。人目が気になると言い出したのは自分の方なのに。
不自然なまでに忙しなく身体を小刻みに動かしていたら、アルにも気付かれてしまったようで、きょとりと足を止めた彼は俺の方に振り返る。もふもふしたイヤーマフは見てるだけでも暖かそうだ。
「アーサー?どうかしたのかい」
「…いや、なんでもない。気にすんな」
「そう言って何もなかったの、一度も無いんだぞ」
ぷす、と軽く息を吐きながらそう告げたアルに、俺はそうだったかな、と首を傾げる。記憶を辿るように空を見上げても、雪が落ちてくるだけで思い出す事は何もない。
俺が答えを出さないでいると、見兼ねたこいつは再び歩きながらぽつぽつとまるで呆れたような口調で例を上げていった。けれど、俺にはどれも身に覚えがなくて、結局呆れられてしまった。なんだよ、記憶力そんなに無くて悪かったな。
どうせちっぽけなものばっかりなんだから、忘れてたっていいだろ。他人に迷惑が掛かる様なこともないし、そもそもなんでそんな些細な事まで覚えているんだ、こいつは。
話を聞いていても彼は呆れるだけで、自分が巻き込まれたと言うことは一切言ってこない。こいつは自分が散々な目にあったら原因が目の前に居ても遠慮無く言ってくるから、本当に巻きこまれた事はないのだろう。
じゃあなんで俺のことなのに、俺より覚えてるんだか。まさかストーカーとか…いや、恋人なんだからストーカーってのも何か変だな。では、何だって話になるのだが。
「今物凄く失礼なこと考えたよね」
「ほ、ほら、モール着いたぞ!さっさと飯食おうぜ」
「…仕方ないなあ。今回は空腹に免じて許してあげるんだぞ!」
「分かった、分かったからいきなり走んな!…ったく、転んでも知らねえぞ…」
って言ってる傍から滑ってるし。本当、子供だよなあ。ま、そこが可愛いんだけどな。
+++
それからは一般的な男女のカップルが選びそうなデートコースを一日中回った。昼は軽食で済ませて(軽食と呼べる量だったのは俺だけだった)、新しく公開されたと言う映画を見て、モール内やストリートで買い物をしたり、色々。
日が暮れてからは早めの晩御飯と称して以前から予約していたレストランに行き、シャンパンで乾杯しながら美味い物を食べて窓から見える摩天楼に目を奪われた。
まさかこんな店をアルが選ぶなんて思わなくて、感心の声を漏らしていたら「俺もやる時にはやるんだぞ」と胸を張られた。ああ、そうだよな、なんたってお前はヒーローだし。
ほろ酔い気分でそんな会話もしつつ、時間を確認しながら店を出ると、昼間よりも一層冷え込んだ風が通り抜けて行く。けれど澄んだ空気の所為か、歩く足元はそれほど躊躇していなかった。
さくさくと積もった雪を踏みしめて煌びやかにライトアップされた通りを二人で歩いていく。オレンジ色の温かい色と共にジングルベルの音楽も色んな所から聞こえてきて、もう一年も終わりかって思ってしまった。
来年もきっと同じような日々が続くんだろう。書類に囲まれてペンを走らせ、会議でフランシスと殴り合い、色んな所に出掛けて、アルとも、こんな風に接したりして。
ずっとこのままで居たい、なんて叶わない願望だろう。だから、少しでもいい、これからもアルと一緒に過ごす事が出来れば、俺は来年も、それ以降もきっと(否、絶対に)、幸せだ。
「恋人同士ってこんな感じなんだな」
毎年灯される大きなクリスマスツリーを見上げて、俺は何気無しに呟いた。アルは何を今更、と訝しむように眉を顰めていたけど、やがて俺と同じようにツリーを見上げて小さく笑った。
そしてごそごそと右手を取り出して、ふいに俺の左手をぎゅっと握る。低い位置で手を繋がれた事に驚いて顔を上げても、アルは俺に一回だけ目配せをしただけで、何も喋ろうとはしなかった。
大勢の前で何しているんだ、ときょろきょろと慌てて左右を見回したが、周りは日付が変わる時刻にツリーを一目見ようとごった返ししていて、誰も視線を下に落としてはいなかった。こいつ、それに気付いてわざと手繋いだのか。
にこにこと嬉しそうにツリーを眺める奴は俺の気持ちをさて置いて、握った手を弄ぶように絡めていく。気付かれないように、それでいて堂々とやってのけるとは、むしろ尊敬してしまう位だ。
最初は俺も見つからないだろうかと人目が気になったけれど、自然にした方が気付かれない事を早々に理解して、またツリーに視線を移した。
カウントダウンはしない。でも、お互いに手を握り合って、ちらりと首を傾げたら目が合った。周りから幾らか歓喜の声が上がったのは、同時だった。
「メリークリスマス、アーサー」
「…メリークリスマス、アル」
こっそりと周りの声に隠れるように二人でお祝いして、冷え切った唇にそっと同じものを重ねた。
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[2010.12.24]