Attention!
アル君が猫になります。動物化注意。
生徒会長さんと白猫。
「お前なんか知るかあ!ほあた!☆」
「ぎゃっ」
ぼふん、と盛大な音と共に白煙が立ち込めて、視界が完全に遮られる。
語尾に怪しいマークを付けた謎の呪文は見事に俺に直撃していて…訳も分からず、俺は本能の向くまま何処かへダッシュした。
あれ?なんで走ってるんだろう、俺。まあいいか。何となく走りたい気分なんだよ。いつもより身体が軽いし、ほら、ジャンプだってこんなに楽に―…。
…あれ?おかしいな、軽くぴょんと飛んだ筈なのに、その高さはいつもの倍以上ある気が。けど目線が低い所為かそんなに高く飛んだ感じが…と、そこまで考えて、思考停止。
…。待て、待て待て、待つんだぞ。なんかおかしい。明らかに今の発言はおかしいんだぞ。『目線が低い』?自分で言っててこれは変だ。
俺の身長はイヴァンよりもちょっと低くて、彼やフランシスよりは少し高めだ。なのに今のこの目線は、王や菊よりも、いや彼の弟のピーターよりも低い。下手したら俺が最初に発見された時よりも低い位だ。
こんなに目線が低いなんておかしすぎる。やっぱり彼のオカルトを甘く見たのがいけなかったのかい?でもこれは流石に酷過ぎるだろ、そもそも俺、今どんな状況なんだい?
ぺたぺた歩いているから足があるのは分かるけど、手が思うように上手く動かない。まるで四つん這いになって歩いているみたいで、両手を上げようとするとべたりと床に突っ伏してしまう。
なんだこれ、変なんだぞ。目の前に突っ伏した腕がふかふかの白い毛で覆われてる。それに手が凄く短くて犬や猫みたいな肉球が付いてて…、……え?
「にゃ、にゃあー!(なんだいこれー!)」
人の言葉で喋った筈なのに、口から出たのは可愛らしい、猫の鳴き声だった。
…いや、いやいやいや。ちょっと待つんだぞ、これなにかの間違いじゃないのかい?流石に彼の、アーサーの仕業だからだと言っても猫に変身させられるなんて聞いた事も無いぞ。
彼の魔法は主に俺達を幼稚化させる事だから、全く別の動物に変化させる事なんて出来ないかと思ってたのに。と言うか何で猫なんだい!?もっと他に格好良い動物は沢山居るじゃないか!鷲とかさあ!
それなのにこんな、猫だなんて、格好良いより可愛いと言われる確率の方が高いじゃないか…!俺は格好良い方が良いんだぞ、全く!
…いやそうじゃなくて。俺が今悩む問題はそこじゃない。どうやって元の姿に戻るか、だ。アーサーとはあんな別れ方をしちゃった訳だから、本人に戻してもらう事は出来そうにない。
だからと言ってこのまま元に戻るまでじっと待ち続けるのは性に合わない。って言うかいつ元に戻るのかも分からないし。
ならどうすれば良いのか。うーん、どうしよう?とりあえず今自分がどんな姿なのか、ちょっと見てみたい気分だ。手足しか見えてない事だし。
そうと決まれば鏡か自分の姿を反射出来そうなガラスがある場所に向かおう。えっと、鏡がある部屋でここから一番近いのは…調理室かな?あそこなら鏡もあるし、シンクもあるから自分の姿を映すのは容易な筈だ。
「にゃぁー(じゃあ調理室へ急ぐんだぞ!)」
ぺちぺちとひんやりとした床を踏み締めながら俺は一人でおー、と意気込んだ。
歩幅は前より大分小さくて、調理室までの距離が大分遠く感じられる。歩いても歩いても進まないんだぞ…。
けど、人の形をしていた時より身体が軽いので沢山歩いたとしても疲れはしなかった。案外猫の形も悪くない…いやいや、人の言葉を喋れないんだから駄目じゃないか。会議とか授業とかはこの姿じゃ出来ないし。あとアーサーとのごにょごにょも。
はあ…なんだって俺はこんな災難に見舞われないといけないんだろう?アーサーとの喧嘩はいつもの事だけどさあ、謎の呪いを掛けられたのは今回が初めてなんだぞ。
よりにもよって今日はヴァレンタインデー。愛を誓い合う日だと言うのに、愛を囁く所か逆に怒鳴り合っちゃったよ、全く。なんでいつもこうなのかなあ。一応俺達恋人同士なんだぞ?日頃イチャイチャ出来ない分こう言う日はのんびりイチャイチャするものじゃないのかい!
あーあ、折角カードとか花とか贈ってあげようかなーとか思ってたのに、これじゃあ買いにすらいけないや。アーサーったら何てことしてくれるんだ、くたばれー。
にゃあにゃあ言いながら道中そんな事を考えて、調理室への廊下を歩く。
今日は日曜と言う事もあって、学園内は閑散としている。これなら猫一匹紛れ込んだとしても誰にも見つかる事は無いだろう。
本当は俺だって寮でのんびりする筈だったんだけど、アーサーが生徒会の仕事をするとか言ってたからついでに追いかけてきたんだ。で、暇だったから廊下を歩いてたアーサーに話しかけてみたら喧嘩になった。唐突過ぎて本当に意味分かんないよ、自分でも。なんで喧嘩したんだろう?
職員室に向かう筈だったのか手には鞄と書類が握られていて、それが喧嘩になってからばさばさと床に落ちてたけど…やっぱり拾ってあげた方がよかったかな…?いやいや、猫にされたんだから拾うのは無理か。
うう、今更ながら謝った方が良かったと思えてくる。なんで怒られたのか、言い合いの中ですっかり忘れちゃったんだけど大体俺の所為なんだろうな…、彼が先に怒ったんだからそれは多分間違いない。
けど喧嘩になった理由を忘れた今、素直に謝るのは俺のプライドが許さないんだぞ。うん、でも謝らないともっと怒られそうだ。どうしよう。
もがもがと前足で顔を撫でて首をふるる、と振るう。いつの間にか調理室までもう直ぐの所まで来ていた。
「にゃ、にゃあにゃあー(あ、でも鍵開いてないんじゃ…)」
はた、と気付いた時にはもう遅いと言うものだ。って言うか、今から他の当てを探そうとしても鍵が掛かっていたらこの調理室と変わらないじゃないか。
ああもう、なんでもっと早く気付かなかったんだろう。人の姿なら鍵位えいっと力を入れてドアを押せば開くというのに(え?それは壊してるって?気の所為だよ!)、猫じゃあそれも出来やしない。
立っていた耳と尻尾をぺたりと落として項垂れ、望み薄でドアに鼻を近付ける。ちょいちょいと前足をドアの隙間に引っ掛けてみると、予想とは違ってカラリと小さな音を立ててドアが開いたのでびっくりした。
あれ?なんで開いてるんだろう…誰か閉め忘れたのかな?…でもこれで自分がどんな状態になっているのか見れるんだぞ!閉め忘れた誰か、ありがとう!お礼は何もないけどね!
「…ぅ、ぅうー」
「…にゃぁ?……、ふぎゃ(ん?……、うげ)」
しん、と静まり返っている筈の調理室の奥から、か細い唸り声が聞こえて、軽快に踏み出した足がぴたりと止まる。
まさか幽霊の類にでも遭遇しちゃったのか、と首をぎぎぎと回して声の方向に目を走らせる。すると、机の奥で布が擦れ合う音と共に見知ったぼさぼさの金髪が垣間見えて、緊張が一瞬にして解けていった。
ジーザス、今一番会いたくない人に鉢合わせてしまったんだぞ。しかも調理室と彼の組み合わせなんて、死亡フラグ一直線じゃないか。状況からして料理は出てこない筈だから大丈夫だと思うけど…嫌な組み合わせだなあ、これ。
アーサーは俺が入ってきた事に気付いていないらしく、ずっと頭を埋めていつもの鬱状態になっている。これは、もう直ぐ「死にたい」と言い始めるんじゃないだろうか。
なんでまたこんな場所で泣いているのかは分からないけれど、放っておく事は出来なさそうだ。もう、喧嘩するとこれなんだから。泣くんだったら怒らなきゃいいのに。俺、君の泣き顔ってすっごく苦手なんだぞ、分かってるのかい!
音を立てずにひょいっと机の上に飛び乗って、彼が蹲っている机まで移動する。途中でシンクの中に白猫が映っていたけど、今はそれどころじゃない。
とことことアーサーに近付いて、もう目の鼻の先で机から降りると、漸く物音に気付いてぼさぼさの金髪が震えた。
「…?ね、こ?」
「にゃあ、にゃぁあ(アーサー、気付かないのかい?)」
「なんだよ、なんで…猫が学園内に入ってきてるんだ…」
「にゃあにゃあにゃあ、にゃあ(君の仕業だろ?俺だってば!アルフレッドだよ、アーサー!)」
ふぎー、と大口を開けて主張してみるけど、アーサーは全く気付かない様子で俺を見てくる。あ、目が赤くなってる。
セックスしてる時みたいに目尻に涙をいっぱい溜めて眉間に皺を寄せ、アーサーはじいっと目を細める。やけにやらしいなあと思ったら、泣いた所為でシャツが乱れて首筋が見えていた。うわあ、いつもなら直ぐにピシっと決めるのに、ネクタイも曲がってるなんてどれだけ取り乱したんだい?元の姿だったら押し倒してる所だよ全く。
鼻を鳴らして尻尾をぶんぶん振ってみる。けどやっぱりアーサーは俺だと言う事に気付いてくれなくて、撫でて欲しいと解釈したのか、顎の下をカリカリと掻いてくれた。
猫の本能なのか、そうやって掻かれると心地が良くて喉が鳴る。猫にとっての性感帯なのかなあ、と思いつつ優しい手付きに尻尾の動きが次第にゆっくりになっていく。ああ、これちょっと気持ち良いかも。猫がごろごろ言うのも頷けるなあ。
ふにゃあ、と一鳴きしてみたら、アーサーも鼻を啜って口元を緩ませる。その笑みは他人に見せるような笑みじゃなくて、心から安心しているような微笑みだった。
彼もこんな表情するんだなあ。俺もこんな笑顔初めて見たんだぞ。やっぱり人と違って小動物とかと接すると自然とこう言う表情が出来るのかなあ。…だったら猫になって良かったのかな?アーサーの知らない表情がまた一つ見れたんだし…いや、でもやっぱりこのままじゃあ端から見てもペットと飼い主じゃないか。駄目駄目、それじゃあ駄目なんだぞ!俺はアーサーの恋人ってやつなんだから!
少しだけ猫の気持ちの方に傾きかけた天秤を元に戻して、ふるりと頭を振るう。アーサーの指が耳に当たってくすぐったかったけど放っておいた。
「にゃぁー…にゃにぃにゃあ(アーサー、この姿ってどうやったら元に戻るんだい?)」
「ん?…なにか欲しいのか?」
「にゃにぃ、にゃああ…にあっ!(やっぱり通じないよね!分かってるよ!…って何出そうとしてるんだい!)」
「なんだ、欲しいのか?」
「にゃ、にゃああにゃあ!(いや違うよ!ねえ聞いてってば!)」
お願いだから懐からそんな物出さないでくれるかい!ラッピングの上からでも禍々しいオーラが出てきてるんだけど!
がさごそとアーサーの上着から出てきたのは、赤いチェックのリボンが巻かれた四角い箱だった。一目でそれが何かは分かったけど(今日が何の日か思いだすんじゃなかった!)、市販されているものとは雰囲気が違う。いや、うん、オーラの所為で手作りなんだな、って言うのは嫌という程理解したよ。頭の中では解く事を拒絶してるけどさ。
でも喧嘩してた時はこんな箱なんて、影も形も出てこなかったんだぞ?彼の性格だと俺宛に作ったのはまず間違いないだろう(どうして断言出来るかって?そんなの決まってるじゃないか!俺が彼の恋人だからさ!)。多分出しそびれちゃったのかなあ。そりゃ欲しいのは欲しかったけど、出来れば市販の方が良かったな…(そう言ったら怒るんだろうな、きっと)。
けど作ってきてくれたんだ。ヴァレンタインだから、可愛いラッピングもしてくれて。そう思うと胸がきゅんとする。ああもう、なんでこんなに可愛いんだろう、この人は。これで料理が破壊的に下手じゃなかったら最高なのに!
一番肝心な部分が駄目なんだよな、と項垂れて、尻尾もぱたりと落とす。はあ、と溜め息を吐こうとするが、その前に甘い匂いが鼻を通ってぴくりと耳が動いた。ん、この匂いは。
「ほら、どうせ渡せないだろうし、お前にやるよ」
「…みゃ?(え?ちょ、ちょっと)」
「今回のは上手く作れたと思ったんだけどな…どうだ?」
「にゃ、ふぎ、ふぎゅ、にゃああ、ま、待って、ちょっと待ってよ!ストップ、猫にチョコって君、俺を殺す気かい!?」
「え……あ、アル?」
「え?…あれ?」
ぐりぐりと黒い物体を口に押し付けてくるアーサーに必死で抵抗していると、はた、と目を丸くしたアーサーが視界に映る。
彼の動きが止まった事、そして名前を呼ばれた事に俺もびっくりして、目をぱちぱちを瞬かせる。あれ?…戻ってる?
視線を下ろして自分の身体を確かめる。手は毛で覆われてない、アーサーよりも太くてがっしりしてる。服だって呪いを掛けられる前と同じ、制服にいつものジャケット。視界はテキサスのレンズ越しで、頭の上のナンツケッツがぴょこ、と動いた気がした。…も、戻ってる。
…でもどうして行き成り元の姿に戻ったんだろう?猫の危機的本能が作動したとか?って言うか猫にチョコを食べさせようとするなんて、君って一体どんな神経してるんだいアーサー!チョコレート中毒って単語くらい聞いた事あるだろう!全く、子供の頃に兎と一緒に居たんだから分かってくれよ!本気で死ぬかと思ったんだぞ!
未だに猫が俺の姿に変身した事に驚いているのか、アーサーは微動だにせずに固まってしまっている。小さく開けられた口からはなんで、とかどうして、とか呟かれていたけど、俺もよく分かっていないから答えは返さなかった。
君が呆然としてどうするんだい、あんな姿にしたのは君だって言うのにさ。本当に俺だって気付いてなかったのかい?だったら今度から他人に変な呪いとか掛けないで欲しいよ、本当に。
ぽこぽことアーサーに言いたい事が頭に浮かんで、俺は口をもにゅもにゅさせる。
でも、一番言いたいのはそんな愚痴なんかじゃなくて、一瞬にして彼を現実に引き戻させる仲直りの言葉だ!
「ごめんよアーサー!君を泣かせちゃったりして、ごめんなんだぞ!」
「…ぅ、あ?」
目をぱちぱちさせるアーサーの額にちゅっと軽いキスをして、俺はぎゅっと彼の身体を抱きしめた。
その手に持ってる黒い物体も全部貰ってあげるから、これで機嫌直してよ!ねえ、マイダーリン!
■back ■home ■next
[2010.02.01]