あおぞらのもとに、

 

目の前に一枚の白いカードが舞い降りた。
そのカードを手に取ると、何も描かれていなかった筈の紙にぼんやりと何かが現れてくる。
見た事も無い何かは次第にくっきりと映し出され、それが絵だと言う事が分かる。
緑の枠に絵柄が書き込まれ、そのカードの名前の欄には―

『超融合』

そう、書かれていた。


硝子が散らばった世界が広がっている。

宙に浮かんでいた筈の硝子の鏡は、一枚を残して全て割れて地面に落ちていた。
下を見ると硝子が反射して自分の顔が破片に映り込む。
その瞳は、過去にこの世界に居た時とは違う、いつも通りの茶色だった。
破片から目を離し、地面に散らばった硝子をぱきり、と音を立てて踏みながら前へと進んでいく。
進んだ先にあるのは一枚だけ残っている鏡だ。
手を伸ばせば届く距離まで来て自分は歩んでいた足を止め、鈍く光る鏡に目を向ける。
映し出されるのは自らの姿。さっきの散らばった破片とは何も変わらない、筈だった。
けれど、映し出された姿の瞳の色は―鏡よりも輝く金色だった。
その鏡は姿を映し出した直後に音を立ててヒビが入る。
慌てて手を伸ばすが、手が触れる直前にヒビが鏡全てに広がり、呆気無いほど簡単にばらばらと崩れ落ちていった。
落ちた破片は地面に落ちていた破片と同化し、鏡は光を失っていた。
様々な形で映り込んでいる自らの姿は、いつもと変わらない。
座り込んで確かめようと顔を覗き込んでも、金色に光っていた瞳は何処にもなかった。
まさか。まさか。
ユベルと同時に、俺の心の闇である『彼』も―

―居なくなった?


「っ…」

ズキズキと痛む頭を押さえながら、俺は起き上がった。
視界は眠る前と変わらない青空と緑の世界だった。何も変わってはいない。
眠っていた時間がそれほど長くは無かったのか、それともいつまでもこの世界が昼間のままなのか、それは時計を見ないと分からない。
だが、周りにはそれらしき物は全くと言っていい程無い。作り物すら無いのだから。

「…」

今はその時間も、どうでも良い事だった。
さっきの夢は、本当に夢だったのだろうか。ただの、非現実の出来事だったのだろうか。
それとも、心の中の世界の出来事だったのだろうか。現実に起こっている、出来事なのだろうか。
だとしたら本当に、居なくなってしまったのだろうか。異世界で俺をどん底に落としたと言えるあの存在が。
そんなに簡単に消えるとは思えない…筈なのに。あれは俺の心の闇で、ユベルとは違って切っても切れない絆によって結ばれている存在なのに。
それなのに…居なくなった?

「…いや、でも…。まだそう決まった訳じゃない…」

夢が本当なのか、それともただの夢だったのかは分からないけれど、決めつけるのはまだ早い。
に聞けば分かるだろうか?…聞いても、多分どうする事も出来ないけれど。
彼はユベルとはまた存在が違う。取り戻せるのかどうかも分からない。
心の闇が無くなったのなら、それは喜ばしい事なのかもしれないけれど、俺は素直に喜べなかった。
自分の一部が無くなったのかもしれないのだ。それが例え嫌う存在だとしても、失ってしまった事には変わりない(いやまだ確定は出来ないけれど)。

「…くそ、」

結局自分は無力なのだ。何も出来る事が無い。助ける事も、確かめる事も、出来ない。
自分の心の中を覗く事なんてした事も無いし、どうやってするのかも分からない。
異世界に居た時は無意識でやっていた事だし、今も夢見心地で無意識にやっていた筈なのだ。
やっぱり、に聞くしかないのか。
こういつまでもうだうだ言っている訳にもいかず、俺は真偽を確かめるべく木の根元から腰を上げた。

丘は直線距離だとそれ程距離は無いのだが、花園はカーブしていて中々元居た神殿に戻る事は出来ない。
初めて白の世界からこの世界に来た時に居たのがその丘で、あの時は神殿までの距離がそれ程長くは感じられなかった。
だが、今は花園をかき分けてでも進みたいと思えてきてしまう程長く感じる。
あの時は景色やの事に気が向いていたからだろうか。
そう思うと考え事をしていると短くなるのか、と変な事を思ってしまうが、実際にはそんな事は無いのだろう、多分(断言出来ないのはここが何でもありそうな世界だからだ)。

「…はぁ」

溜め息を吐いて少し焦りながら石畳を駆ける。今度は行きとは裏腹に、花に目を向けずに走った。
さわさわと吹く風が肌に当たって髪をすり抜けていく。息が上がった身体にはそれが心地良かった。
こんなに走ったのはいつぶりだろう、と少し記憶を辿っていると、いつの間にか神殿が直ぐ近くに迫っていた。
やはり考え事をしていると距離が短くなるのだろうか。ちょっと気になる。
神殿の入り口で息を整え、大きく上下する胸を落ち着かせる。
そしてふ、と小さく深呼吸して、俺は神殿へと戻った。

「おーい、〜」

神殿の中に入ると、出ていく前とは何も変わっていない大きなテーブルと、小さなテーブル、威圧する本棚が俺を出迎えてくれた。
その中にの姿は無い。何処かに出掛けたのだろうか?
否、出掛ける場所などあるのかなあ。思いつく場所がさっきまで居た丘しか浮かばない(後は花園の近くの休み場の建物とか)。
にとってはその場所があるのかも知れないが、俺にはさっぱりその場所が浮かばなかった。

?居ないのかー?」

応答が無いのでもう一度声を上げてみる。だが、俺以外の声が聞こえてくる事は無かった。
やはり何処かに出掛けてしまったのだろうか。
聞きたい事が出来たのに、と少し落ち込みながらダイニングテーブルの方へと近寄る。
静かな神殿に響き渡る程の音を立てて椅子に腰掛けると、俺は手をテーブルにべったりと付けて上半身をうつ伏せにした。
木で出来たテーブルは冷たくて気持ち良い。足をぶらぶらさせてその心地良さに浸る。
目を閉じると、さっきまでの出来事が蘇ってきてしまい、吐息を吐きながら薄っすら目を開けた。

「…あれは、」

やっぱり夢じゃなかったのだろうか。考えれば考える程、そう思えてきてしまう。
考えても仕方の無い事なのに、その事しか考えられない。考えるのを止めても、あの出来事が浮かんできてしまう。
これじゃあ全然駄目なのにな、と呟いて、伸ばしていた両手を顔の下に置いて交差する様に組む。
そしてまた、長い溜息を吐いた。