幸せのCustard Apple Pie

 今までに突拍子の無い思いつきをした事は多々あって、即実行する事がいつしか癖になってしまっていた。
 それは日時、場所を問わず、ぱっと頭に浮かんだ事は直ぐに取り組まなければ気が済まない。
 子供の頃はむしろのんびりしているね、って言われていた筈なのに、今じゃあやりたい事が見つかれば周りの人がびっくりするほど機敏に動いてしまう。
 どうしてこんな変な癖が付いてしまったのかは分からないんだけど、私自身、そんなに嫌じゃあないからこの癖を直すことはしなかった。
 むしろ一つの事をやり終えた後の達成感がたまらなくて、その感覚を味わいたいが為に定期的に脳が本能を刺激しているのかもしれない。

 ここまでの簡単な説明では、私の癖はそこそこ良い癖なんじゃないかと思われるけど、実際にはそうじゃない。
 思いつきの行動で最後までやるのはもちろん構わない。それは自分でも良いかなって思ってる。
 けど、この癖が誰にも迷惑を掛けていないと言う訳じゃあ、ない。逆に迷惑をかけ放題で困っているんだ。
 それは寝ている時とか、仕事をしている時とかにふ、と思いついてしまうので周りの人は私に振り回されっぱなしなんだ。
 寝ている時に限って大きな音を出す事をしたり、大事な仕事中に遠出をしたり。何故そんな大失態とも呼べる事をしながら仕事を解雇されないのは、自分でも正直分からない。上司がきっと頑張ってくれてるんだろうな、うん。
 せめて一人暮らしになれば両親にも迷惑を掛けなくて済むと思うんだけど…うん、私の親はちょっと過保護な所があってそう簡単に一人暮らしなんかさせてくれないのだ。一人立ちさせて欲しいのに。
 そんな訳で、今日も今日とてふ、とベッドの中で思いついてしまったのだ。

「…そうだ、アップルパイを焼こう」

 爆睡している最中だったのに、何故かぽっと夢の中に浮かんできたお菓子にインスピレーションを刺激され、半分寝ている頭で掛け布団を放り投げる。
 こんな時に限って目はぱっちりと覚めていて、指でこすらなくても良いくらいに視界はクリアになっていた。
 思い立てば即行動に移さなければ。ええと、材料とレシピを用意して。ああ、でもまず最初は服を着替えないと。
 テキパキと服を畳んでシャツとジーンズに着替える。そして色んな所に跳ねていた髪を軽く纏めて、その間にパソコンの電源をカチリ、と点けた。

 料理は得意と聞かれれば、どちらかと言うとNoと私は答えるだろう。
 普段、料理はほとんど親に任せているから、私自身がキッチンに立つ事なんて滅多に無いのだ。あるとすれば、今みたいに思い立った時とお茶を淹れる時だけ。
 それ以外はほんの少し手伝いをするだけで、どうやったら料理が作れるのか、全くと言っていいほど分からない。
 一人暮らしをすれば自炊もするかと思って今の所は放ってしまっているんだけど、これってあんまり良い事じゃないんだよね。
 自覚は十分に持っているんだけど、過保護過ぎる親はナイフすら危ないからと言って直ぐに取り上げられてしまうのだ。手伝っている時だってさ。ねえ、一応私、今年で二十一歳になるんだよ、流石に危ないとは言えナイフ一つ持たせてくれないって、酷くないかなあ。
 これだから料理を作る時はこっそりと物音を立てないようにしているのに、いつもそれは失敗に終わってしまう。
 ああ、もういっそ家出しちゃおうかな。何処かのアパートでも借りて、一人でのんびりと暮したいな…。

「あ、でものんびりは無理か」

 何故なら五月蠅いほどに家に押し掛けてくる彼が居るから。前に来たのはいつだっけ?四日前?
 いつも両親が居ない日に限って訪れる自称ヒーローの彼の姿を頭に浮かべながら、くすりと笑う。カチカチとマウスを動かして、検索するのはアップルパイのレシピだ。
 朝っぱら(下手したらまだ真夜中の時間)から、ライトを点けてレシピを探すなんて我ながら変だなあと思うけど、作りたくて仕方が無い身体はうずうずと忙しなく動いているのでまあ、仕方ないと割り切るしかない。
 お目当てのページを見つけて印刷のボタンをクリックし、材料の一覧へと視線を向ける。ええっと、林檎、砂糖、レモン汁にシナモンパウダーと…。
 一度では覚えきれない材料の数々に画面と睨めっこしながら覚えれるだけ頭に叩き込んでいく。
 どうせ印刷すれば全部分かるんだから、無さそうな材料だけ確かめればいいだろう。
 ガショガショと大きな音を立ててプリントされていく用紙を横目で見つつ、私は材料を確認するためにキッチンへと向かった。

「…まさか不足分が全くないとは思わなかった…」

 冷蔵庫と口をぱかりと開けて、数秒程放心状態になってしまったけれど、頭をぶんぶんと振って早速作業に取り掛かる。
 思いつきで行動する時は大抵材料が足りなくて、買いに走る事がほとんどだったんだけど、今回は珍しく全ての材料が揃っていてびっくりした。まるで私が作る事を予想していたかの様に、だ。
 私の両親はそれほど料理にこだわりを持っている人じゃあないから、今回は本当に奇跡としか言いようがない。
 パイ生地の分量を量って纏めてフードプロセッサーに掛けて、ほんの少し残っていた眠気を徐々に冷ましていく。
 アップルパイは思い立ったとしても直ぐに作れるお菓子じゃあなくて、市販のパイシートが無ければ一からパイ生地自体を作らなければならないお菓子だ。
 けど、効率的に作業をしていけば数時間程で作れるお菓子なので、丸一日を費やして作る料理ほど難しくはない。
 簡単な方に逃げてしまうのももちろん構いはしないんだけど、こうして一からパイ生地を作るのも悪くはないと私は思うんだけどなあ。フードプロセッサーとか便利なアイテムが存在する今だからこそ言える事なんだけど。
 うんうん、と林檎を煮詰める鍋を棚から出して頷き、真っ赤な林檎を丁寧に剥いていく。丸かじりしてしまいたい衝動は寸での所で抑えて、三日月形にさくさくとナイフを入れていった。


 ぴぴぴ、と味気ないシンプルな電子音が鳴ったのは、それから幾許か時間が経った後だった。
 既にアップルパイはオーブンの中でじっくりと焼き上がりを待つだけになっていて、薄っすらと焼き色も付き始めている。
 窓の外も徐々に明るくなってきた気がしないでもない早朝に、一体誰だろうとテーブルの上に放り投げていたそれを手に取る。
 薄い黒塗りの携帯電話のディスプレイには見知った人の名前と番号の羅列が表示されていて、首を傾げながらボタンを押すと、はきはきとした明るい声が耳の奥へと響き渡った。

『あ、もしもし?俺なんだぞ』
「アルフレッドさん…おはよう御座います、どうしたんですか?こんな朝早くに」
『ああ、そっちはまだ朝か!ごめん、起こしたかい?』
「いえ、起きていたので大丈夫です」

 電話越しの彼の声はいつも通りのトーンで、大音量に押され気味になりながらも私は落ち着いた口調で喋りかける。
 そっち、って事はアルフレッドさんはきっと別の国に居るんだろう。早起きがあんまり得意じゃなさそうな彼が、こんなに早朝に、しかもこんなに明るい声で話すなんて滅多にないし。
 頭の中で時差の計算をしながら何処に居るのか考えるけれど、答えを出す前にアルフレッドさんが喋り出したので聞き流さないように携帯を持ち直した。

『そうなのかい?なら今すぐ日本に来てくれよ!またアーサーがスコーン焼いてきちゃって処理が大変だったんだぞー』
『あ、てめっ…人が折角作ってやってきたのに何だよその言い方!別にお前が全部食べなくても良かっただろ!俺は本田に』
『それじゃあ菊がお陀仏しちゃうじゃないか!全く、いい加減食べ物じゃない物体を作るのは勘弁してほしいんだぞ!』
『んだと!?』
『…まあまあ、お二人とも落ち着いて下さい』
「…あのー?」

 アルフレッドさんの声より遠くから聞こえてくる怒鳴り声と静かな落ち着いた声に、私は大丈夫かな、と内心おろおろする。
 声の主が誰かはもう一目瞭然なのだが、アルフレッドさんとアーサーさんが今にも喧嘩を始めてしまいそうな会話をしていて、現場の情景が嫌と言う程簡単に想像出来てしまって頭が痛くなる。
 ふわふわと良い匂いを漂わせるアップルパイはまだもう少し焼き上がるのに時間が掛かる為、アルフレッドさんのお誘いもどう返答していいか悩んでいた。

「アルフレッドさん?大丈夫ですか?」
『ん、ああ!ごめん、話の途中だったのにさ!』
「いえ慣れてますから平気です」
『それじゃあ来てくれるかい?口の中が炭の味になってる口直しにさ、君の料理が食べたいんだぞ!』
「私の…ですか?でもそちらには菊さんが居るんじゃ」
『菊のも美味しいけど俺はの料理が食べたいんだぞー。そうだな、アップルパイとか!』

 …えーと、アルフレッドさんは読心術を心得ているのでしょうか、それともエスパー?どっちにしろ偶然にしては出来過ぎていて、私はびっくりして目を見開いた。
 だってピンポイントでアップルパイが食べたいなんて、数えきれないレシピの中のそのお菓子をチョイスするなんて、奇跡としか言いようがないじゃないか(しかも本日二回目の奇跡だ!驚く以外無いじゃない!)。
 私がうんともすんとも言わない事を疑問に思ったのか、アルフレッドさんが電話越しでも分かる位に疑問符を浮かべる。
 どうかしたのかい、と聞かれたと同時、チン、と甲高い音が部屋に響いて今度は驚きのあまりにうひゃあ、と変な声が出てしまった。

?』
「だ、大丈夫…です。ちょっとオーブンの音に驚いただけで…」
『オーブン?何か作ってたのかい?』
「…ええ、ちょっと、アップルパイを」
『わお!偶然だね!』

 口笛を吹くぴゅっとした音が聞こえて、アルフレッドさんもびっくりしたように声のトーンが上がる。
 先程から嫌な予感はしていたけど、出来れば当たって欲しくなかった予感はその後の彼の一言で呆気なく当たってしまう。そのアップルパイを持って今すぐ、こっちに来い、と。
 アップルパイを作ろうと思い立った時は、出来上がった後の処理をどうしようか悩んでいたんだけど、林檎を煮詰めている時に家族で食べようと思ったのだ。
 一人で食べるより美味しいし、何より喜んでもらえるし。親孝行にもなる名案を思い付いたと思ったのに、それなのにアルフレッドさんは、そんな私の儚い思いを見事に打ち砕いてくれたのだ。
 きっと嫌です、と拒否しても、彼はいつもの「反対意見は認めないんだぞ☆」と言う決め台詞で押し切ってしまうに違いない。拒否権を与えないのが彼なんだから、仕方ない。

『じゃあ待ってるから全速力で来てくれよ!』
「…なるべく急ぎますけど一般人だと言う事を忘れないで下さいね?」
『HAHAHA!なにか言ったかい!』
「…いえなんでもないです」

 まあ、食べて貰える人が変わるだけで、その分賑やかで楽しいから良いんだけどね。
 通話終了のボタンを押してミトンを手に嵌めながら、私はくすりと笑った。
 ふわふわ良い匂いがするカスタードアップルパイ、喜んでくれるといいな。

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フードプロセッサー欲しい。

[2010.03.03]