Black Sweets

 突き付けられた黒の塊に、恐怖した。
 なんとも表現しがたい焦げ臭さ、色。見た目はどう見ても黒い塊。
 なのに目の前の彼はそれはもうきらっきらの素敵な笑顔で私を見つめている。
 皿の上に乗っている物と、その笑顔のギャップが激し過ぎて、本能が拒絶している。これは、やばい。
 綺麗に盛り付けられていたとしても、これは明らかに食べ物の色をしていない。黒、真っ黒。中まで真っ黒。何処から見ても黒。
 炭でも皿の上に乗っかっているんじゃないかと言う位の真っ黒さ。ぷすぷすと音が鳴っているのは焦げているからだろうか。
 その物体からは何やら禍々しいオーラも漂っているし、口の中には決して入れてはならない危険物の香りがぷんぷんしていた。
 それなのに、それなのにこの目の前の自称英国紳士と言う人は。

「こ、これは別にお前の為に作ったんじゃなくてあ、余ったんだからな!だから仕方なくやるんだからな!」

 とか何とか期待の眼差しでのたまったのだ。この私に、得体の知れない危険物を、食えと。
 その言葉が発言された瞬間、私は戦慄した。そして、ここまでの人生を振り返って良い事があったかなあと走馬灯のように思い出を掘り起こした。
 そうでもしなければ耐えられなかったのだ。視界に留めただけでも目を刺激する煙が漂っているし、今すぐにでもセルフモザイクを掛けてあげたい位禍々しいものが目の前にあるのだから。
 何をどうやってどうしたらこんなに真っ黒な物体が出来上がるのだろうか。中まで真っ黒なんて素材を火の中にぶち込んでも早々出来る事じゃない。
 これでは使われた食材があまりにも不憫だ。食材もせめて料理がそこそこ出来る人に調理されただろうに…その無念さは心に突き刺さる程だ。
 心の中で南無阿弥陀仏、と繰り返して使われた食材に対して謝罪の念を。どうか安らかにお眠りください。本当にこんな事になってしまってごめんなさい。私がもっとしっかりしていれば…。

 そうだ、もっと私がしっかりしていれば、こんな事にはならなかったんだ。
 私がこの人に興味本位で料理を作って欲しいと言わなければ、こんな事には…。
 どうして言ってしまったんだろう、どうして周りの方達の制止を振り切って言ってしまったんだろう。
 フランシスさんや菊さん達の忠告をもっとちゃんと聞いていれば、こんな状況にはならなかったのに。

 いや違う?本当は既にこの状況になってしまっていて、食べる人が居ない為に私に魔の手が差し伸べられた?
 それとも皆が拒絶して食べてくれなくて、それを可哀想だと思った私が自ら魔の手に歩んでいった?
 …おかしい、記憶があやふやになってきている。何故だ。もしかしてこの悪臭の所為だろうか。
 さっきからずっと鼻を刺激しているそれは近付けば近付くほど強烈な香りを醸し出している。もうこれ以上近付いたら意識が飛びそうな程だ。
 だから記憶もおかしくなってきているのだろうか?だったらどれだけの破壊力があるんだ、この物体は。
 眉間に手を添えて少しばかり頭を振るけれど、あまり効果は無いみたいだった。部屋に香りが充満してきているからか。

 段々と目を細めてしか見る事が出来なくなってきてる黒い物体に中々手を出さない私を疑問に思ったのか、英国紳士は気まずそうに眉尻を下げてくる。
 しゅん、とした顔は男の癖にやけに可愛らしい。菊さんも結構童顔で年齢不詳な人だけど、この人もフランシスさんに比べると断然童顔で、特徴的な眉毛を省けば綺麗な顔立ちをしている。
 普段はちょっと厳しい英国紳士だと思うが、気に障ると直ぐに怒る人だ。更にそれに酒が入ると溜まったもんじゃない。今のこの状況の様に場が戦慄するだろう。
 暴れるし脱ぐしの迷惑行為が絶えない変態紳士になるので、お酒が入ると私は直ぐにその場を去っている。こちらの方は一度経験しているので対処は可能だ。
 けれど料理の方はまだ実際に目にした事が無く、お目に掛かりたいとはほんの少し、ほんの数ミリ程度思っていたようないなかったような気がしないでもなかった。今ではそれを実に後悔しているけど。
 まさかこれほどまでの破壊力を持っていたとは露知らず、巻き込んでしまった方々に申し訳無く思っている。ええ、もう今からでも土下座したい程に。

「…なあ、食わないのか?あとお前だけだぞ、

 ずずい、と一度戻された皿が再び私の目の前に現れる。あまりの刺激臭に一瞬噴き出しかけたけど、そこは何とか踏み止まった。
 そう、なのだ。残っているのは私と目の前居る英国紳士兼危険物を作った料理人(と言ったらその職の人に申し訳ない程)のその人、アーサー=カークランドしか、この場には立っていなかった。
 あれだけ賑やかだった筈の会議場は一瞬にして静まり返り、あちこちに屍とも呼べる方々が安らかな眠りに就いてしまっている。
 それもこれも、原因は目の前のこの黒い物体なのだが、アーサーさんは自分が作ったその物体、スコーンが美味しいと本気で思っているみたいで、彼らが倒れたのも「スコーンが美味し過ぎて感動のあまりに倒れた」のだと仰る始末。
 周りの人からすると全力で首を振らざるを得ない事なのだが、英国紳士は自らの料理下手を自覚して下さらない。
 もう何とか出来ない程の所まで来てしまっている、のだ。安易にまずいと連呼しても、彼は持ち前のツンとデレを巧みに使って鬱になっても気持ちを持ち直し、料理を止めようとはしないだろう。
 趣味でしているのだと言っているから尚更止めない。これはもう、絶望以外の何物でもない。未来に一筋の光なんかありゃしない。
 だから国々の皆さんは出来るだけ彼をキッチンに立たせようとはしなかった。自宅ならまだしも、こうして人が集まる場所では絶対に阻止してきた。
 なのに、それをぶち壊したのは他の誰でも無い、私だろう。きっと。
 私が食べてみたいなあなんて言わなければ。いや既に作っていたのを食べてみたいと言った?なら何故悪臭に気付かなかった?

 ああもう頭がこんがらがってきた。そもそもの発端が思い出せない。どうしてこんな事になったんだろう。いや、今はこんな事考えるよりも目先の事を考えた方が良いのか?
 どうやってこの危機的状況を回避すれば良いんだろう?でも私が食べたいと言っていた場合、やっぱり要りませんなんて言える筈がない。
 それに私の所為で巻き込んでしまった犠牲者が大勢居るのに、その私が食べないのも…いやいや、そうだとしてもあの危険物を食べたら国じゃない私なんか一瞬でお陀仏になる筈だ。
 国の皆さんだからこそまだ息の根がありそうな…ってここからじゃあ確認出来ない。本当に倒れてる人達は大丈夫なんだろうか?安らかな眠りとか言っちゃったけど本当に永遠の眠りに就いてるとかないよね?ないよね?だからお願い誰か目を覚ましてくださいほんとに!

「なあ?」
「…わ、分かりました。分かりましたからちょっとだけ、ほんのちょっとだけ時間下さい」
「良いけど早くしねえと冷めて美味しくなくなるぞ?」
(もう既に美味しくないとか口が裂けても言えない)

 助け船が来ない事は分かっている。会議に参加する人達はもうこの部屋で死屍累々状態となっているし、彼らの部下などは部屋に近付きさえしないからだ。
 扉は閉め切っているので事情の知らない人がやってきてくれるのを待つのも良いけれど、それも偶然を待つしかない。
 その間に危険物を無理矢理食べさせられたら時間を稼いだ意味が無い。死期を延ばすと言っても僅か、ならもういっそのこと自分から行くしか…無いじゃないか。
 ごくり、と生唾を飲み込んで額に流れる冷や汗をアーサーさんに気付かれないように拭う。
 相変わらず真っ黒なスコーンはぷすぷすと音を立てていたが、禍々しいオーラは少しだけ収まっているようだった。もしかしてあれは湯気だったんだろうか?凄いな、湯気まで真っ黒なんて、どんな事をすれば出来るんだろう。
 まさか彼の華奢な手からこんなダークマターが創造されるなんて思ってもみなかった。流石国、私の予想の範疇を一回りも二回りも超えて下さる。
 にこにこ顔の英国紳士はわざわざ紅茶も用意してくれているみたいで、私がそうやって考えている間もテキパキと動いてティーセットを机の上に置いていた。
 ふんわりと紅茶の良い香りがして、少しだけ焦げ臭い香りが鼻から抜けていく。けどそれもほんの少し。部屋を充満している焦げ臭さは取れずに辺りを漂っている。

「ほらよ」

 カチャリ、と陶器が擦れ合う音と共に、私の前にアールグレイのストレートが淹れられる。
 砂糖はやや多めで、くるくるとスプーンを動かすとカップの底の薔薇模様がゆらりと揺れた。
 熱い湯気を出すそれをふっと息を掛けて冷まし、一口喉に通す。ちょっと熱かったけど、香りが良くて美味しかった。
 どうして紅茶はこんなに美味しいのに、付け合わせのお菓子がこんなにも真っ黒なんだろう。
 天と地程の差がある二つを見比べて頭が痛くなってくる。紅茶の周りはキラキラしてるのに、スコーンの周りは黒い。なんか黒い。
 けど頑張って逝くしかない。ああこんな所で私の人生は終わるんですね、日頃の行いが悪かったのでしょうか。私結構普通の生活送ってたつもりだったのに…。
 ああ、願わくば彼の危険物の最後の犠牲者が私でありますように。これ以上犠牲者増やされたら成仏しようにも出来ないし。
 意を決してそっとモザイクを掛けたい黒の塊に手を伸ばす。崩れた塊の端の方に小さい欠片があったので、それでいいやと手に取って、眺める。
 OK、これだけであの世に逝けてしまう程の破壊力を持っているみたいだ、このスコーンは。
 でも食べるしかない。だって期待の眼差しが痛いほどに突き刺さっているから。それはもうざっくりと。
 せめて視界に入れないように、とぎゅっと目を瞑って、口に、入れ―。

「もー!君ってば一体何してるんだい?あちこちに屍が転がってるんだけど…ってうわ」
「あ?何だよアルフレッド、遅かったじゃねえか。お前も食うか?」
「…あー…はいはい分かったから。、それ食べなくていいよ。君までお陀仏したくないだろ?」
「アルフレッドさん…有難う御座います…」
「まあアーサーの兵器は俺しか処理できないからねー。それより彼らを早く医務室に運んで欲しいんだぞ!」

 ひょい、と私の目の前にあった黒い塊が置かれた皿が無くなり、見上げるとアルフレッドさんが眉間に皺を寄せて危険物を丸ごと口に放り込んでいた。
 噛む音がスコーンを食べる音じゃない気がしたけれど、それは敢えて聞かなかった事にしておこう。
 それよりもまさかアルフレッドさんがここに来て登場するとは思わなかった。そう言えばまだ会議にやってきていなかったのか。
 心の中でヒーロー格好良いと呟いてアルフレッドさんにお礼を言うと、口直しにコーラを飲んでウィンクしてくれた。
 アーサーさんはと言うと、アルフレッドさんが言った「兵器」発言に怒っているみたいでいつもの馬鹿あ、を繰り返していた。良かった、私が食べてない事は眼中にないみたいで。
 そそくさと部屋から退散して医療班を呼ぶ為に廊下を掛ける。ふと手を見ると、食べなかった黒い欠片がぷすりと音を立てていた。
 …。…アルフレッドさんのあの食べっぷりを見て、ちょっと好奇心が湧いたとか、そんなんじゃ無いんだから…。ただ、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ齧る位…。

「…あれ」

 死亡フラグ踏んじゃったかな、と思ったのに。
 …やばい、私味覚おかしくなったかも。どうしよう、どうしよう。

「…これ案外、いけるかもしれない」

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兵器処理班が一人増えました。でもいけると言ってもまずいのには変わりない。

[2010.01.10]