Hello,Britannia Angel!

 それはとある天使と、とある少女のお話である。
 在り来たりな書き出しとすればまずまずの出来である一行に(少女は言い過ぎだが)、私はそれはそれはもう、これでもかと言う位の深い溜め息を吐いた。
 子供向けのファンタジー作品に出てきそうな始まりは、残念ながらフィクションでは無く、頬を抓っても痛みを感じてしまう現実だった。
 言葉にならないとは正にこの事なんだろう。まさか自分がそんな事をするなんて思っても見なくて、やっぱりもう一度夢なんじゃないかと頬をむぎゅり、と抓る。痛い、夢じゃない。
 見上げた姿は普段とは全く違ういで立ちで、雰囲気さえ変わったように思える。纏うオーラが何と言うか、神々しくて、部屋の中なのに太陽みたいに眩しい。
 それに応じるかのように、目の前の人は口元を緩めて目を細める。穏やかな表情は聖母が子を慈しむ姿に似ていた。似ているだけなら、まだよかった。
 ばさり、と音を立てて人に有らざる物が文字通り、羽ばたく。生きているかのように持ち主の動きに合わせて揺れるそれは間違いなく鳥にしか生えていない、翼だ。
 それが人に生えているだなんて(ましてや作り物じゃないなんて)、現実的に有り得ない。でも、これは夢じゃない。
 おまけに頭には金の輪っかまで浮いている始末。固定用の針金さえ見当たらないだなんて、完成度が高すぎるにも程がある。
 これはいよいよもって納得するしかないのだろうか。いや、まだ少しくらい希望を持ってみたって、…ああ、でもこれはどう足掻いたとしても待っているのは、きっと。

「絶望しかないんだろうな…」

 思わず声に出してしまった事に、また落胆の息を漏らす。相変わらず神々しい光は消えておらず、むしろ輝きを増したように見えた。
 目を背けたとしても事実は変わらないのだが、それをしてしまうのは目の前の人に対してのせめてもの敬意と言うか、気遣いと言うか。
 病院に行こうか、なんて口にしないだけまだマシだろう。入院したって、きっともう手遅れなんだろうけど。
 他人に対してなんて酷い事を考えているんだ、と端から思われてしまいそうだが、言い訳を述べさせて頂くと私はなにも間違った事は言ってないと思う。
 そりゃあ、少しばかり過激な事を言っている自覚はあるのだが、実際この状況を目の当たりにしたら考えずにはいられないだろう。
 だって、いい年した大人が、布切れ一枚を纏った姿で背中に翼を生やして頭に割っかも浮かべて、あまつさえ他人の家に不法侵入と来たら、警察に通報したっておかしくない。
 しかも男で、更に申し上げるなら、その人が知り合いで普段から何もない所を撫でたり話しかけていたりしたら、病院に行け、なんて言いたくもなる筈だ。
 流石に私もそこまで寛大でポジティブな精神を持っている訳じゃあないから、行き成りコスプレした知人が現れたらドン引きする以外に反応しようがない。
 一体これはなんのドッキリなんでしょうか。それともバツゲーム?ああ、お願いだから高い位置から見下ろさないでよ、布の中身が見えそうじゃないか。
 何が楽しくて男のこんな姿を見なくちゃいけないの。しかも知人の。明日からどう接していいのか分からなくなってきた、どうしよう。

「お困りのようだな、俺が奇跡を起こしてやろう!」
「そんな事はどうでも良いですから何か服着て下さいカークランドさん」
「かっ…お前普段名前で呼んで…じゃ、ねえ、今の俺はブリタニアエンジェルであって、お前の言うアーサーじゃねえ!」

 何処からどう見ても貴方にしか見えません、カークランドさん。明らかにファミリーネームで呼んだのに自分でファーストネーム言ってどうするんですか、カークランドさん。
 むしろ否定したのはこっちの方なのにな。悪夢を見ているかのようでいっそ今すぐ気絶したい位だ。
 どうして私は今ここに立っているんだろう。どうしてこの人は誇らしげに胸を張っているんだろう。あんまりにも突然の事過ぎて訳が分からない。
 正直彼が言うような困ったことも起こってないし、ぶっちゃけ困る原因を持ちこんだのは貴方の方じゃないだろうか。
 軽く眩暈もしてきた現在の状況に冷静にツッコミを入れるけれど、どうやら彼の耳は都合の良い事しか入らないらしく、軽くスルーされてしまった。
 それ以上に私の思考すら遮り、ばさばさと純白の翼を羽ばたかせて天使に似つかわしくない悪そうな笑顔を浮かべてさえいる。
 駄目だ、抑えろ自分。ここで盛大に暴言を吐いてしまったら今までの信頼関係が一気に崩れ去ってしまう。立場的にこちらが圧倒的不利なのだから、一時的な感情に振り回されて全てを無に帰してしまう訳にはいかない。そうなったら私の頭はもれなく上司に切り落とされてしまうだろう。想像しただけでも恐ろしい。
 でもだからと言って奇行を華麗に受け流して玄関まで見送る、なんて芸当も出来やしないし…そもそも、私的には知人の域であるこの人が何を思ってイメージダダ下がりのコスプレをして私の目の前に現れたのか理解出来ない。
 普通は好印象を持って貰うために奇行は避けるべきでは無いのだろうか?まさか、この人がぶっとんだ事をするなんて思いもしなかったけど。
 ああでも、奇行と言えば共通の知り合いからは酒癖が悪いので気を付けろ、と念を押されていたような気がする。
 物凄い気迫で注意されたものだから、私は圧倒されながらその忠告を受け入れ、彼をアルコールがある場所には極力近寄らせないようにはしていた。おかげで今の所、周りが頭を抱えてしまう程の惨状には出くわしていない。
 知り合い達が言う酒癖の悪さが今のこの状況なのかは分からない。けれどあれだけの死んだ魚の目を寄越されたのだ、状況が違っているとしても同じ位の酷さなんだろうな、と思った。

「お、おい!なあ、お前奇跡見たくないのかよ?俺が願いを叶えてやるんだぞ?」
「はあ、そうですか。別に見たくないんでいいです」
「なっ…!な、なんか無いのかよ!一生にあるか無いかのチャンスだぞ?なんでも…はちょっと難しいけど大体の事はやってやるんだぞ?」
「と言われましても」

 じゃあ大人しく警察に行くか今すぐ帰って下さい、とは、やはり言えなかった。
 これじゃあいつまで経っても話が進む気がしない。適当に願いを言って叶えて貰えばすんなり帰ってくれそうな予感もするのだが、あくまでただの予感だ。もし対価が必要だと後から言われたらどうしようもない。
 そもそも何で私が標的になってしまったのかも気になる所だし…もっと知り合いは居る筈なのに、寄りにも寄ってどうして私なんかを選んだんだ。それとももう他の人は全て当たったとか?うわあ、色んな人の死んだ目が頭に浮かんできそうだよ。
 嫌な思考は早々に退出を願う事にして、とりあえず今は期待に目を輝かせる自称天使の処理をどうにかしなくては。
 うーん、と軽く頭を捻って自分の中で必要な物を思い浮かべてみる。いつもならぽこぽこと簡単に浮かんでくるのだけれど、いざその状況に立ってみると結果はさっぱり、一つも浮かびはしなかった。
 おかしいな、少し位は自分にも欲があるとは思っていたのに、どうして浮かばないんだろう。叶える人がこれだから期待してないのだろうか?
 とにかく何か、最近困った事無かったっけなあ…困ったこと、困ったこと…。うーん。

「うん、無いな」
「本当に無いのか?些細な事でもあるだろ…、まさか本当に無いとか言わないよな?」
「無いですけど」
「…っ!」

 あ、物凄く傷付いた顔された。これじゃあ私の方が悪者に見えてくるじゃないか。勘弁して下さいよ、泣きたいのはこっちの方なのに。
 堂々と不法侵入してきて勝手に人の願いを叶えるとか何とか言い出して、挙句泣きだしそうとか冗談じゃない。しかも酷い格好だし、天使だし、眉毛だし。
 いつもの紳士っぷりは何処行ったんだろう、と突っ込みたくなる位、今のアーサーさんは見っとも無かった。それは流石に言い過ぎでは無いかと非難されそうだが、事実なんだもの、仕方ないじゃない。
 でもこんなに酷い有様なのに、私はこの人を追い出そうともしないし、警察も呼ばない。むしろ変な罪悪感さえ出てくる始末。
 …結局、見過ごす事が出来ない性格の所為で今回も損な役回りをする事になってしまうのだろう。ああ、また溜め息の数が増えそうだ。胃薬のストックはあったっけ?後で確認しないと。
 心底面倒なことをものだ、と早速深い溜め息を吐いて、未だに光り続ける天使を慰めようと手を伸ばす。
 そして彼の肩に触れるか触れないかの直前、目の端を真っ赤にした天使は何故かべははは、と品格がまるで無い高笑いを始めた。
 あんまりにも行き成り過ぎた反応に、びくりと肩が震えて思わず伸ばした手をぴゃっと引っ込めてしまう。

「び、びっくりさせないで下さいよ」
「…どうせ俺は役立たずだよ、ちくしょう!ちょっと位良い所見せようと思ってとっておきの魔法作ったのにお前と来たら…!もういい、なんかこうしてやる!」
「えっ、あの、待っ」
「この馬鹿ぁ!ほあた!!」

 気の抜けるような掛け声と共に天使が星の飾りがついたステッキを振り下ろす。なんともコミカルでシュールな光景だが、本人は至って本気らしいのでとやかくは言わないでおく。
 しかし呆然としていられたのもごく僅かな時間だけで、呪文(かどうかは分からないが)によってもこもこと白い煙が立ち込めると心の中は焦燥感でいっぱいだった。
 何かが焼けた臭いはしないから火事にはなっていないのだろうけど、目の前の景色すら真っ白で、何が起こっているのか全く分からない。部屋の検知器が誤作動を起こさなければいいんだけど…。
 いつまで経っても消える気配の無い煙に噎せながら、手探りで何か掴まる所を探す。くるりと踵を返すと、思った以上に身体がぐらついてびっくりした。
 どうやら五感の一つが機能していない所為で平衡感覚も変になっているらしい。…早い所この煙をなんとかしないといけないな。
 かと言って掌で仰いだところで、効果はたかが知れているし、アーサーさんに助けを求めるのもおかしいし…。と言うかまだ笑い声が聞こえてきてるんだけどいつまで笑っているつもりなんだろう。
 ああもう、慰めようとした自分が馬鹿みたいに思えてきた。いや、彼の言った事に同意するのは全くもって不本意なのだが。

「げほっ…けほ、アーサーさん、一体なにし…っ?」

 たんですか、と続けようとした言葉は最後まで続かなくて、踏み出した筈の右足が浮いた。
 否、言いかえるとすれば空を踏んだ、と表現すべきか。どちらにせよ、地面を踏もうとしたらそこに地面が無かった、つまりはそう言う事だ。
 …なんて、言葉に表しても、実際に頭で理解するとなると上手く行く訳が無い。これは、一体どう言う事だ、意味が分からない!
 おかしいな、私の部屋は床が抜けるトラップなんて存在しないし、仮に突然抜けたのだとしたら他の家具も巻き添えを喰らう筈だ。その物音が一つも無いのだから、つまり…えーと、どう言う事?
 味わったことのない浮遊感に頭がこんがらがって何を考えたらいいのか分からなくなる。右足だけを踏み外したのに、気付けば身体全体も宙に浮いてしまっているようだった。
 まるでジェットコースターに乗せられているみたい、けれどここにはシートベルトも座席も、恐怖感を煽るがたがたと言う音もない。あるのは白い煙と、不快な感覚と、風を切る音だけだ。アーサーさんの声はもう、聞こえない。
 落ちているのか、はたまた飛んでいるのかも分からないが、少なくともここはもう自分の部屋じゃない事は確かだ。こんなに私の部屋は広くもないし、落ちているのだとすれば既に地面にぶち当たっているだろうし。
 だとすれば私は今何処に居るんだろう、そして何処に向かっているんだろう。
 こんな事になるのならやっぱり最初から帰れ、とお願いしておくべきだった。情が湧いて慰めるとか、しなければよかった。…今度あったらあの眉毛抜いてやる。

 仰向けになりながらぶつぶつと見えなくなった六弦眉に暴言を吐いて、私は一人で納得するように頷く。するとその数秒後、やっと煙が薄くなり始めて訳の分からない現象の終わりが訪れる。
 視界はまだ靄に包まれていたが、ふと先程から嫌というくらい味わっていた浮遊感が若干変わったような気がする。重みが増したと言うか、先程は落ちているのか飛んでいるのかさえ分からなかったが、今は確実に把握が出来る。…これは、落ちている。
 頭でそう理解した途端、これまた唐突に地面が現れて、受身すら取っていなかった身体がどん、と床に叩きつけられる。思った以上の衝撃に食い縛っていた口から噎せる声が漏れて、ぎゅっと身体をくの字に曲がらせる。
 少しだけ楽になった身体をなんとか動かして周りに視線を向けていく。フローリングだった筈の床はいつの間にか落ち着いた赤色の絨毯に変わっていて、端の方には黒い棚らしきものも見える。
 明かりが少ないのか、全体的に部屋が暗い所為で壁に掛けられているものや立てかけられているものは黒くて、それが何なのかはよく分からなかった。
 見知らぬ風景に唖然としながら身体を起こし、痛む背中に手をやる。一旦落ち着こうと深呼吸しようとしたら、後ろから人の気配と共にがたん、と大きな物音した。ああどうしよう、嫌な予感しかしない。
 ゆるりと首を回して音の方を振り返ると、そこには見間違う筈のない特徴的な眉毛を持った人が居た。
 …どうしてこう、嫌な予感って当たるんだろう。

「お前、誰だ」
「…さあ」

 いっそこのまま記憶喪失にでもしてくださいよ、貴方得意でしょう、魔法とか、奇跡とかさ。
 ぐらりと視界が揺れ、また頭に鈍い痛みが襲ってきて、私は今度こそ絶望した。

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ブリ天さん大好きですが実際にやられると通報物ですよね。

[2010.12.13]